タムの話
タムは、少し線の細い中性的なヒトをイメージしています。
ルウェンを送り出してから、今度こそマヒロは泥のように眠った。やはりまだ身体は本調子ではないようだ。ハルタカの眠る高山は、本来なら決して人が近寄れないような険しい山の奥だという。しっかり身体を回復させて、高山登山に備えておかねば、と思った。
ぐっすり眠って目を覚ますと、随分夜も遅い時間になっていた。さすがに空腹を覚え、外に出ようとした時メイドが入ってきた。無論ジャックではなく、別のメイドだった。
「マヒロ様、よかったお目覚めになられたんですね。随分眠っていらしたから心配しました」
そう言って明るく笑うメイドは、顔は見たことがあるが名前を知らなかった。マリキシャのようで黒髪黒目だ。やや灰色がかっているようにも見える。年はマヒロより少し下のように見えるが、マヒロはもう見た目の年齢をこの世界では当てにしないことにしている。
「うん、やっぱり疲れてたみたい。あの、ごめんなさい、名前を教えてくれますか?」
「ああ、すみません。しばらくジャックの代わりにマヒロ様のお世話を致します、ソイエと申します」
「ソイエさん、よろしく」
ソイエは明るく笑った。
「ソイエと呼んでください!お夕食をお持ちしますね。普通に召し上がれそうですか?何かお腹に優しいものになさいますか?」
「う〜ん‥多分普通に食べられると思う。量をいつもより少なくしてもらえるかな?」
「かしこまりました」
ソイエはそう言って部屋を出ていった。しばらくして夕食をのせたワゴンを押してソイエが戻ってきた。
「カッケンさんがマヒロ様の好きなものを作って下さったんですよ。お目覚めになられてよかったです」
そう言いながら、居間のテーブルにセッティングしてくれた。
カッケンが腕を振るった夕食は美味しかった。少なくしてもらったおかげで全部食べることができた。下げてもらってから、浴場の準備をしてもらい湯を使って汗を流す。
湯船につかりながらじりじりと考える。
いい案内人は見つかるだろうか。早ければ三日以内にはこちらに繋ぎをつけてくれるとルウェンは言っていた。今自分にできることは、身体をしっかり元に戻して鍛えることだ。
マヒロは中学時代、陸上部で長距離を走っていた。高校になってから部活動に入るのはやめてしまったが、気が向いた時には家の周りを軽くジョギングしたりしていた。考えが煮詰まったり悩んだりした時に走っていると、頭の中がすっきりとクリアになるような気がしていたからだ。
だから多少は体力がある方だとは思っていた。しかし高校に入ってからはぬるい走り方しかしていない。登山の準備期間にできるだけ鍛えておかねばならない。
しっかりと身体を温めてから浴場を出て、すぐに寝台に入った。とにかく今は身体を休めよう。ルウェンからのつなぎが来るまでの辛抱だ。
と、マヒロは思っていたのだが翌日にすぐ繋ぎが来た。しかも思いもかけない人物がやってきたのだ。
「マヒロ様、こんにちは」
「マヒロ、具合悪かったんだってな!こないだの宴会の騒ぎのせいか?もう大丈夫か?」
にぎやかしく部屋に入ってきたのは、ピルカ売りのタムとナシュだった。宴会の後すぐ帰ってしまったそうなので、会うのは四、五日ぶりになる。
「今はもう大丈夫だよ。‥ソイエ、お茶をお願いしてもいい?」
「はい、マヒロ様」
そう言ってソイエが下がった後、マヒロは勢いごんでタムに話しかけた。
「え、タムが案内してくれるってこと?ルウェンに会った?」
「はい、お会いしてお話を伺いました。‥お引き受けしますと言ってこちらにうかがいました」
「タム、高山を登ったことがあるの?」
タムは金色の目をじっとマヒロに向けた。どこまでも見通すかのようなその瞳に、思わずマヒロは背筋が伸びるような気がした。
タムはそんなマヒロを見て少しだけ唇の端を上げ、小さな声で話し始めた。
「マヒロ様、高山のご案内は致しますが最初に言っておきます。ハルタカ様のいらっしゃるところまでは行けません。絶対にです」
静かではあるが強い口調でそう言い切られ、マヒロはすぐには反論できなかった。そんなマヒロを見つめながら、タムは淡々と話を進めた。
「‥私は、隣国サッカン十二部族国からここへ亡命してきた者です」
ナシュはマヒロの部屋の隅で大人しく座っている。にこにこしているが、何も言わない。タムが言っていることを理解しているのだろうか。
マヒロの頭の中で「亡命」という言葉は重い印象のものだった。ニュースでしか聞いたことのない言葉。言葉の持つ意味は、この世界でも同じなのだろうか。だが、なぜ亡命してきたのかと聞くのは憚られる。そんなマヒロの心の動きを見て取ったのか、タムはふっと笑った。
「詳しい経緯は省きます。まだナシュが四つくらいの頃でした。しかも季節はナツで、今よりもずっと登りやすい天候でした。ですが私たちは遭難した」
マヒロは息を呑む。
タムは静かに話を進める。
「ナツであっても、高山は寒い。私たちは逃げるように来ていたので防寒も十分ではなかった。ナシュを抱いて、意識が朦朧としてああもう死ぬのだな、と思いました。‥そういう場所なんです、あの高山は」
マヒロは黙ってその話を聞いていた。悪気なく、本当に無理であることをちゃんとマヒロに伝えようとしてくれている。だが。
「‥どうやって、タㇺ達は助かったの?」
「本当に幸運でしたが、ハルタカ様とは違う龍人様に救っていただきました。気づいたらアツレンの街外れまで飛竜で送っていただいていたのです」
タムは懐かしそうな顔をして言った。そしてきゅっと顔を厳しくした。
「その時言われました。『今日は気が向いたから助けたが、今後お前たちが遭難していても私は見殺しにする。あの山はそういう場所だ。ヒトが入るべきではない場所だ』と」
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