第五区
アーセルはレイリキシャ[白髪黄色目]の退異騎士です。
レイリキシャは物質に干渉ができ、生産系の仕事や異生物を退治する「退異師」などに従事することが多いです。
ニュエレンのダンゾが子飼いの手下を動かしたとするならば。
アーセルは考えた。
一人で何でもこなせる器用なやつを使うだろう。能力特化で考えれば、今回の事の可能なシンリキシャとキリキシャは絞り込める。残る一人のマリキシャが誰かだ。人あたりがいいのに荒事にも強く、臨機応変の対応ができる男。
ジータ、か。
ジータであるとするなら、あいつの隠れそうなところは貧民街だ。しかも少しいかがわしいところ。
そこまで考えて、アーセルは立ち上がって人を呼ぼうとした。だが、やめた。
厚手の無地のマントをロッカーから取り出して体を覆う。それから壁にかかっていた長剣を外し、背に負った。そしてそのままアツレンの貧民街に向けてこっそりと部屋を出た。
ハルタカはアツレンで一番高い尖塔の上にいた。そこからアツレンの街全体にタツリキを薄く流し拡げていく。どうにかしてマヒロの行方を早く掴みたい。マヒロの気配や転移のキリキが使われた気配を探ろうと必死だった。
だが、龍人の力は大きいが神というほどの力を維持しているわけではない。いくらハルタカと言えども、アツレンという北部最大の都市全域を覆うタツリキを流すというのは無謀な振る舞いだった。しかもその中で薄い気配を探るというのは、砂漠でたった一つの砂粒を探すようなものである。
ずいぶん長い間、タツリキを流して気配を探っていたがそれらしきものは掴めない。ぐらり、と眩暈を覚えて尖塔の上に膝をついた。‥今はこれ以上探ることができない。
マヒロ。マヒロ、私を呼べ。ピアスを割ってくれ。
ハルタカは祈るようにマヒロに向けて心の内で叫んだ。
無論、その応えはなかった。
アーセルは第五区と呼ばれる貧民街に来ていた。ここは、非合法に他の領地から流れ込んできた流民が主として住んでいる地区だ。アーセルとしてもここに不法流民が溜まっているのは承知しているが、無下にもと後へ返すのも忍びなく、見てみぬふりをしているところである。ただ、その分行政の手が届きにくくなっており、どんどん治安が悪くなっているところでアーセルの悩みの種にもなっている地区であった。
今も歩いていると、非合法な売春の客引きや物乞いの声、怪しげなものを売り買いする者たちの声などが聞こえてくる。それらを耳にしながら、その中に『カベワタリ』に関することが少しでも含まれていないかと神経を研ぎ澄ました。
きっちりとマントで身体を覆い、深くフードをかぶっているアーセルに売春者らしきヒトがしなだれかかってきた。
「どうだい、たくましい若者さん、俺を買わないかい?パルーリアもあるよ!」
パルーリア、と聞いてアーセルは眉を顰めた。
この世界では、性交はお互いに愛し合う気持ちがなければ快楽を得られないようになっている。だから強姦など行っても快楽は得られない。しかし、春を鬻ぐ者たちはそれでは商売にならない、というので今までに好意を抱いたものを幻覚で見られるような「パルーラ」という軽い幻覚剤が売春で使われてきた。それは依存性も少なく、薬の作用も強くないので長く世界各地の売春宿で愛用されてきたものだった。
だが、20年ほど前ゴリキ統治国で売られるようになった「パルーリア」は、従来のものの作用をもっと強力にした幻覚剤だった。使用した者に強い幻覚を見せ、誰とでも性交可能な状態にしてしまう。その上依存性も強く、繰り返し使用すれば精神が破壊されていくという厄介な代物だ。ゴリキ統治国でも出回った当初に対策はしたらしいが、このようなものはあっという間に広がるもので、遥か海を隔てたこのサッカン大陸にまで普及するのに時間はかからなかった。
無論、王国としては使用禁止薬物として取り締まっているのだが、幾ら取り締まってもいたちごっこでどこからかまた普及が始まる。被害者の数は年々増えて、どこの国でもパルーリア依存症の患者の救済は急務になっている。
そんな薬物までこの貧民地区で売られているというのは、アーセルも初めて聞いた事だったので思わず足を止めた。
「パルーリア?‥いくらで売っているんだ」
「ああ、若者さん、欲しいのかい?でも俺はあんたならパルーリアなしでも大丈夫だけどねえ」
売春者は大きな胸を揺すって下品に笑った。性交は多少の好意があれば成立はする。売春者にとってアーセルは好ましかったのだろう。その言葉に構わずアーセルは質問を続けた。
「いくらで売っている?‥それからどれくらい数があるんだ?数があるならあるだけ欲しい」
市中に出回る前にここにある分だけでも買い占めておいて後で手入れをさせようと思い、そう尋ねたのだったが、売春者はあははと嫌な笑い方をした。下卑た目でアーセルの顔を覗き込むようにして、その腕に手をかけた。
「へえ、若者さん、パルーリアを使ってものにしたいヒトでもいるのかい?ふふ、今ここにあるのは三回分だけだよ。本当は後十回分もあったんだけどねえ‥今朝がた売れたからさ」
今朝がた。
アーセルの眉がぴくりと動いた。
あまりにタイミングが良すぎる。
アーセルは自分の腕を掴んでいる売春者の腕を掴み返した。一瞬、にやりとした顔を見せた売春者だったが、アーセルの顔を見た瞬間、「ひっ」という声を上げた。
フードの下から覗く黄色い目は、恐ろしい程にぎらぎらと光っていた。
「そのパルーリアを売った相手について教えてもらおうか。‥何、対価は払ってやる」
ぎりりと腕をねじ上げられた売春者は、心の中で声をかける相手を見誤った、と臍を噛んだ。
売春者から聞いた情報をもとにやってきたのは、第五区の外れにある一軒家だった。もとは立派な家であったのだろうが、外壁が少し崩れ落ちて寒々しい雰囲気を出している。ただ大きさはあり、攫われた『カベワタリ』がどのあたりに閉じ込められているのかはわからない。
アーセルはここまで来て初めて、一人で行動したことを後悔した。ヒトをやって応援を頼むことも速信鳥を出すこともできない。だが連絡を待っていては相手は移動するかもしれないからなるだけ早く行動することが望ましかった。
少し離れたあばら家の陰に隠れて観察していると、報告にあったシンリキシャのダシルが入っていくのが確認できた。扉の向こうにちらりと青髪のものが見えたから、あれが転移を受け持ったキリキシャだろう。
となれば、この中にいることは間違いない。
三人を相手に確実に倒し、『カベワタリ』を保護するためにはどうしたらいいか。
アーセルは冷静に考えていた。
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