ツェラの店で
レース編み、詳しくないので齟齬があったらすみません‥
慌ただしくもにぎやかな朝市の辺りを抜けて、ツェラの店へやってきた。開店前の時間なので、店先の扉は閉じられている。ノッカーのようなものを掴んで軽くハルタカが音を立てればすぐにツェラが顔を出した。
「龍人様、番い様。おはようございます」
柔らかく笑って中へ導いてくれるツェラのその言葉に、胸がずきりと痛んだ。
番いじゃないかもしれないのに。
もう、ハルタカの心はマヒロにないかもしれないのに。
落ち込みそうな心をぐっと奮い立たせる。もしそうなら自分はここで、一人で生きていかねばならないかもしれないのだ。そのために今日はここに連れて来てもらったのだった。
「お邪魔します」
そう言ってツェラに続いて中に入ったが、ハルタカは扉の辺りで止まっている。入ってこないハルタカを不審に思ったマヒロが見上げると、ハルタカは一度ぎゅっと唇を噛みしめてから言った。
「‥私は少し所用があるのでそちらへ行く。終われば迎えに来るからここで待っていてくれるか」
「わかった‥」
マヒロはそう言って扉の向こうに消えるハルタカを見送った。
この世界に来て、ハルタカと離れたのは初めてだ。
無論、ハルタカの住処で別の部屋にいたことはあったが、それはいつでも会える状態であったしハルタカがいる雰囲気は感じられた。
だが、どこに行ったかもわからない状態でハルタカと離れたのは初めてで、じわりと不安が押し寄せる。
その場に立ち尽くして動けないマヒロに、ツェラは優しく声をかけた。
「番い様、どうぞこちらに。ここは寒いですから」
そう言って奥へ促してくれる。マヒロは思わず言った。
「あの、私マヒロです。マヒロって呼んでください」
番い、と呼ばれると胸の底が軋むように痛い。
もしそうじゃなかったら、諦めるしかないのに。
その気持ちが押し寄せてくるようで、番いと呼ばれることに耐えられなかった。ツェラは少し驚いたような顔をしていたが、何も訊かずに頷いてくれた。
奥の温かい部屋に移動してお茶を出してもらう。今度は焙煎茶で、香ばしい匂いが辺りに立ち込めた。少し歩く間にも冷えてしまった身体に、しみわたるようだ。
カップを置いてツェラに問う。
「あの。私少し趣味でレースを編めるんですけど、」
「レースを?つ‥マヒロ様の目隠しのようなものですか?」
「はい、ここまで細かいものはちょっと時間がかかりますけど‥あの、ヨーリキが使えるらしくて」
あれからハルタカに色々とこの世界の事などを教わっていたが、その中でもマヒロが持っているヨーリキの使い方を教えてもらっていた。ハルタカ自身が持っているのは龍人固有のタツリキという力なので細かいことまでは教えられない、ということだったが、それでもマヒロにとってはありがたいことだった。
ハルタカは「解析」という言葉を使っていたが、色々聞いたり試したりしているうちに「分析」する力なのだな、ということがわかってきた。物に集中してヨーリキを流していると、その組成や仕組みなどがぼんやりと頭の中に浮かんでくるのだ。元の知識に左右されるからか、わかっても作れなかったり理解できなかったりするものもあったが、たまたまこのレースの目隠しにヨーリキを流してみたところ編み方がわかったのである。
日本にいた時、趣味でレース編みをしていた。大掛かりなものはあまり作ったことがなかったが、襟飾りや袖飾り、小さく編んでチョーカーやピアス、イヤリングなどに加工して友人や家族に贈ったりもしたことがある。
これならひょっとして頑張れば売り物になるかもと思い、その相談のためにツェラのところに連れて来てもらったのだった。
何しろ編むための編み棒や糸なども何も持っていなかったからだ。
マヒロの話を聞いたツェラは何か思案するような顔をしている。マヒロは自分の外套のポケットに入れていたものを取り出してツェラに見せた。小さな意匠の丸いレースは、携帯のクリアケースに入れていたものだった。
「あの、これ私が作ったんです。小さいですけど‥」
ツェラはそれを手に取ってまじまじと見つめた。目が鋭く光っていて、いつもの優しげな雰囲気はない。やはりこの人もちゃんと商売している大人なんだなあ、と当たり前のことを今さらながらにマヒロは思った。
ツェラは顔をあげた。
「マヒロ様、これはどのようにして使われておられたのですか?」
「えっと、これはなんていうか‥ただの飾りで。あとは襟飾りとかチョーカーとか。ピアスとかにもしてました」
ツェラの目がきらきらと輝きだした。頬が赤くなってきている。いきなりぎゅっとマヒロの手を握った。
「へ?」
「マヒロ様!これは、いいです!襟飾りなんて‥そしてこれをアクセサリーにするなんて考えたこともありませんでした。ぜひ、作ってみてください。そして商品を一緒に考えていただけますか?‥ああ、わくわくするわ。久しぶりに心が躍ります!」
もちろん道具などはこちらでご用意しますから、糸はどんなものがいいですか、などと興奮気味に話すツェラに、マヒロはあっけに取られていた。
ハルタカはテンセイのいるところまで駆けて戻ってきていた。
用事などなかった。マヒロから離れたかったのだ。
いや、違う。
自分から離れて一人で暮らしていくための相談をするマヒロを、傍で見ていたくなかったのだ。
自分にできることを必死にマヒロが探して考えているのは知っていた。そしてそれが、一人で生計を立てていくためであることも。
それは、ハルタカの傍で暮らしていくことを選んでいないということだ。
ハルタカから離れて、ヒトの世に帰ろうとしているということだ。
マヒロが欲しい。この腕の中に閉じ込めておきたい。誰にも会わせずに、もっともっとヒトの住む場所から遠い龍人の住処に囲い込んで、ずっと抱きしめていたい。
だがそれをマヒロが望んでいないかもしれない。
番いを望まない人間を、無理に番いにしてしまえば精神が壊れてしまうかもしれない。あと百八十年の間待てばいいと思っていた心は、ぐらぐらと揺れる。
ざらざらしたテンセイの鱗を撫でながら、ハルタカは答えの出ない問いにため息をついた。
お読みいただきありがとうございます。
少しでも、面白い、続きを読みたいと思っていただけたら、下の広告より↓↓にあります☆評価、いいね、ブックマークや感想などいただけると大変励みになります!
よろしくお願いします。