すれ違う心
めんどくさい二人です‥
マヒロがこの世界に来て、約一か月が過ぎた。
暦の数え方を教えてもらい、持っていたノートに簡単な日記を記している。日記といっても「今日は何を食べた」「今日は何をした」などのごく簡単なものだ。こちらに転移してきた日付は覚えているので、忘れないうちに照合しておこうと日記をつける気になったのだ。
ふとパラパラと見返してみれば、毎日大したことはしていない。
洗濯をした、料理をした、テンセイの小屋の掃除をした、お茶の淹れ方を習った‥そういった類の事が並んでいる。
その全てに、ハルタカの姿が垣間見える。
番いになる方法やその後の話をしたあの日以来、ハルタカは番いになってくれとは口にしなくなった。
マヒロの事を思いやって我慢してくれているのだろう、と思っていた。
だが、ハルタカはマヒロに対して身体的な接触を一切しなくなった。あんなにしょっちゅう抱きしめたり抱き上げたり、口づけをしたりしていたのに、それを全くしなくなったのだ。
その事実が、マヒロの胸をしめつけた。
ハルタカは、マヒロが番いなどではないと気づいてしまったのだろうか。
あの、辛そうにまで見えた熱情は、もう消えてしまったのだろうか。
そう思うとマヒロは切なさで涙が出そうになる。
マヒロは、ハルタカの事を好きになっていた。
もう自分を偽れない。たった二人しかいないこの屋敷内で、ハルタカの姿が見えないと不安になる。姿が見えればほっとするが、以前のように触れてくれないその手に、心が暗くなる。
いっそ、性交してくれと言ってみようか、とまで思った。恥ずかしくてそんなことはできない、とその時は思いとどまったが、別の事を考えた。
もし‥‥やはり自分が番いなどではなかったなら。
番いであれば出るという、龍鱗が出なかったら。
自分は決定的にハルタカの事を諦めなくてはならない。
そもそも、龍人という生き物は、人の世と深くかかわらないのだという。思い切って性交をしてもらっても、龍鱗が出なかったらマヒロはこの気持ちを抱えたまま、ハルタカに会うこともできずに確実に諦めなければならないのだ。
それを考えると、身を切られるように辛かった。
ハルタカはもう同じ寝台には入ってこない。長椅子を別の部屋に移動させてそこで眠っている。
マヒロは一人、寝台の中で何度も涙を零した。
どうすることが一番いいのか、考えてもわからなかった。
ノートを手にぼんやりとしていると、扉を叩く音がした。どうぞ、と返事をすればハルタカが入ってくる。そういうところも優しいな、と思う。
部屋に入って来たハルタカは、マヒロが好きなお茶を淹れた盆を持ってきていた。
「また日記をつけていたのか?」
「ううん、見返してただけ。‥一か月もいるのに私大したことしてないなあって思った」
マヒロの前にカップを置きながらハルタカはまじめな声で言った。
「そんなことはない。毎日いろいろなことに興味を持って取り組もうとしているマヒロは、すごいと思う。前向きだな」
「‥ありがとう‥」
少しぬるく淹れてくれているお茶を啜る。じんわりとした温みが身体に広がり、いい香りが鼻を抜けていく。
少なくとも、人間として嫌われてはいないよな、うん。パンダ的興味くらいはまだ維持しているはずだ。
ハルタカは日本や前の世界の事を色々聞きたがった。政治や国家間の決まり事、災害の対応などテストにも出てきそうにない難しいことを色々聞かれて、マヒロは必死に知識を総動員して答えた。マヒロのつたない話をハルタカは興味深そうに聞いてくれて、ああもっとちゃんとたくさん勉強しておけばよかった、と後悔した。
マヒロが通っていた高校は、地域ではいわゆる進学校と言われているところで、マヒロ自身の成績もそこまで悪くはなかった。勉強ができない方だとは思ったことがなかったが、ハルタカの質問は教科書や受験対策しか勉強していない身には余るものも多く、もっと時事問題や世界の仕組みに興味を持てばよかった、と思ったのだ。
だが、もう前の世界の事を勉強する手段はない。そう考えると、マヒロの胸に何とも言えない寂しさが浮かんでくる。
友人や家族のことを思わない訳ではなかったが、意外にそこに対する思慕は少なかった。ひょっとしたらこちらの世界に順応できるように人への思慕が少なくなるようになっているのかもしれない。そうでも考えなければ、ここまで家族や友人の事に対して気持ちが薄いということが納得できなかった。
どちらかといえば、「本来自分が属するべき世界に戻れない」ということの方が、マヒロの胸を灼いた。
それも、この一か月で少しずつ薄れてきている。自分はやはり、この世界に順応して生きていくようにされているのだな、と実感した。
ハルタカはぼんやりと考えているマヒロに、そっと声をかけた。
「‥マヒロ、お前の好きなお茶や食べ物が少なくなってきた。‥久しぶりに街へ降りるか?お前が行きたいなら、連れて行く」
マヒロが普段の精神状態であったなら、この言葉を絞り出したハルタカが少し苦しそうな表情になっていることに気づいたかもしれない。だが、今は自分の気持ちに折り合いをつけるのに精一杯なマヒロは、ハルタカの言葉の表面しか受け取れなかった。
「あ、うん、行きたいかも‥できればツェラさんのお店行きたい。ツェラさんと話、したいし‥」
そううつむきながら言うマヒロを、ハルタカは唇をきゅっと噛みしめながら聞いていた。
できれば、ここに閉じ込めて一生外になど出したくはない。だがマヒロは人の世に混じって生活をしたいと言っていた。‥時々こうして連れ出さねば、ここにいることが嫌になってしまうかもしれない。ハルタカはそう思ってマヒロに声をかけたのだった。
このところマヒロが少し元気がないのには気づいていた。その原因を尋ねて、自分との番い関係に関する返事が出てくるのが怖かった。だからマヒロの様子は気になっていたが、その事について触れることができなかった。
自分がマヒロに何をしてしまうかわからない、と自覚したあの時から、ハルタカは意識してマヒロに触れないようにしていた。本当はもっと早い段階で街に連れて行こうと思っていたのだが、そうするとテンセイの上で身体が密着することになる。
その時、マヒロを抱きしめたり口づけしたりしない自信が持てなかったのだ。
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