それぞれの思い
今、マヒロを失ったら自分は冷静でいられるだろうか。
それとも気が狂って龍人として存在できなくなってしまうのだろうか。
ハルタカはまだ若い個体なので、完全な龍化は経験していない。だが気が狂い精神の安寧を失い、自死も選べない龍人は、龍化したまま世界を彷徨うのだと聞いたことがある。
だから、龍人が番いに出会うのは齢千年を過ぎてからの方が多いということだった。そのはずだったのだが。
始めは面倒に巻き込まれたと思った。怪我をした若いヒトを抱える羽目になって、しかもそれが『カベワタリ』で。
だが、龍人であるハルタカにも臆せずにものを言い、感情を豊かに表現するマヒロに。
番いになれと言われても、自分なりに考え真摯に向き合おうとするマヒロに。
口づけや抱擁にいちいち反応して赤くなるマヒロに。
美味しいものを食べて嬉しそうに笑うマヒロに。
どうしても強く自分が惹かれているのをハルタカは感じたし、それを止めることができない。
自分の傍にいてほしい、離れてほしくないと、強い想いが胸の中で逆巻いているのを感じる。
マヒロは、性交にかなり抵抗があるようだった。未経験ということだったから恐ろしいという気持ちもあるのだろう。さらには寿命の問題もある。まだ若いハルタカは、マヒロと番いになれば少なくともあと七百年は死を選ぶこともできない。マヒロにも死の安寧を与えてやれないのだ。
そこまで考えて、ハルタカは激しく頭を振った。こんなに感情を揺らされたのは生まれて初めてだ。今の自分は冷静な判断ができなくなっているかもしれない‥とにかく、すぐにマヒロに答えを求めるような真似はすまい。もし、マヒロが、どうしてもヒトの世で暮らしたい、番いにはなれないというのなら。
まだ百八十年余りはあるだろう、マヒロの寿命が尽きるまでに愛を乞えばいい。それまで自分がマヒロを見守ればいいのだ。
ハルタカは無理矢理そう自分を納得させ、マヒロのために買った品物をひとまとめにして部屋に向かった。
部屋に入るとマヒロは寝台の上に横になって眠ってしまっていた。自分が言ったことにしたがってちゃんと休んだのだ、と思うとハルタカは嬉しかった。布団も何もかぶっていなかったので、上にそっと布団をかけてやる。その刺激に、マヒロがぎゅっと瞼を強く閉じて震わせ、そのあとゆっくりと息を吐いて少し寝返りを打った。薄桃色の唇がほんの少し開いている。
愛おしい。
そういう感情を、ハルタカは初めて理解した。この眠りを邪魔したくない。いつまでも安心して自分の縄張りで過ごしていてほしい。
ハルタカはそっとマヒロの額を撫でて、そのままゆっくりと顔を近づけた。
柔らかい唇に自分の唇を重ねる。ほんの少し開いた唇から細い息が洩れている。思わずそこにそっと舌を挿し入れた。奥に引っ込んでいるマヒロの舌をそっとつつく。そこから痺れるような甘さがハルタカの身体に広がる。
はっとハルタカは顔を離した。
寝ている時に、自分は何をしようとしたのだ。‥卑怯な振る舞いだ。ハルタカは自分を愧じた。
マヒロはすやすやと眠っている。
ハルタカは、もう一度だけ、そっと頭を撫でてやりその場を離れた。
「ルウェン、龍人はやはりカベワタリに執着しているようだったか?」
戻ってきたルウェンにアーセルは訊いた。ルウェンは肩をすくめながらテーブルに置きっぱなしの冷めたお茶を飲んだ。
「ん~、多分あれは番いで間違いなさそう。‥ちょっと面倒なことになったねえ」
そう言われて、アーセルは苦い顔をした。同郷のルウェンの、この軽いものの言いようがどうしてもアーセルは苦手だった。
「もし、本当に龍人の番いなら王国として引き渡してもらうのは難しいのではないか。そう、国王陛下に報告して‥」
ルウェンはかちゃんと乱暴にカップを置いた。その目は非常に冷たく、アーセルの言ったことに対し信じられないと言っているようだった。先ほどまでの軽いものの言いようから打って変わって低く冷たい声でルウェンは言った。
「甘いなアーセル。そんなことを言っている場合じゃないんだよ。どうあってもカベワタリは手に入れないと、お前は次期国王になれない」
「‥‥俺は、国王になりたいなどと思ったことはない」
「なってもらわねば俺が困る」
アーセルの言葉を一蹴してルウェンはどかりと長椅子に座った。そして言葉を続けた。
「いずれにせよ、『まだ』番いにはなっていないんだ。どうとでもやりようはある。カベワタリはまだこちらに渡ってきて間がない。色々物珍しさもあるだろうから、必ず近いうちにまたアツレンか別の街に降りてくるだろう。その時が勝負だ」
そう言い放つルウェンに、アーセルは眉を寄せ嫌な顔をした。
「‥‥あんな、若いヒトに無体を働いてまで俺は国王になどなりたくないんだ」
ルウェンは冷たい目をじろりとアーセルにぶつけた。
「へえ。‥‥じゃあニュエレンのダンゾやターマスのガルンが次期国王になってもお前は平気なのか」
厳しくそう言い詰められ、アーセルはうつむいた。それがよくない、ということはわかってはいる。だが、あの少し怯えて戸惑いの色を隠していなかったカベワタリを、自分たちのために利用することにどうしても心から賛同できなかった。
「そう、は言っていない‥」
「アーセル。お前の高潔なところは美点だし国王にふさわしい資質だと俺は思ってる。‥‥だが、政治はいつも清廉であることはできない。小の犠牲で大の利益をとることも必要なんだ」
ルウェンは少しその目の厳しさを抑え、噛んで含めるように言った。アーセルはうつむいたまま顔をあげない。
こういう人格だから次期国王に推したいのだが、厄介な面もあるな。と思いながらルウェンは言葉を続けた。
「何、別にカベワタリを不幸のどん底に落とそうなんて言ってるわけじゃない。‥‥ちょっと協力してもらうだけさ」
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