カベワタリ
あったかい‥
少し息苦しいが、ずいぶん身体は楽になっている気がする。
だが、何やら水がぴちゃぴちゃ落ちているような音が聞こえる。‥唇‥というか咥内に何か侵入してきている‥?
そこでようやくしっかりと覚醒した。
ちょ、ちょっと、私‥ディープキスされてる!
目を開ければ先ほど見た信じられないほどの美形の顔がすぐ目の前にある。目を閉じているので睫毛の長いのがよく見えた。睫毛も銀色に少し黒みがかっている。
(いや、そうじゃな、く、て‥)
自分の咥内にその美青年の舌が入り込んできて自分の舌に絡められている。そこから何か温かいものがじんわりと広がってきている感じがした。
そして何だかフワフワして気持ちいい。‥‥
(‥じゃない!!)
身体をねじって美青年の唇を避ける。ちゅっという音と共に唇が離れた。美青年は顔を離してぐいと拳で口元を拭った。
「起きたか」
「あん、な、な、何して」
「何して、とは?」
「な、何でキスなんかしてんの!?」
「きす?」
美青年は本当に解らない、という顔をして首をかしげた。そんな顔でさえ信じられないほど美しい。
「い、今、口、につけてたでしょ!」
ああ、と納得したような顔をして美青年は座り直した。‥その様子を見て初めてどうやら自分はベッドに寝かされていたらしいことに気づいた。美青年は感情のわからない顔で淡々と答える。
「口づけはタツリキを手っ取り早く流すためにしただけだ。お前の怪我を治すためにしたくもない口づけをしてやったというのにずいぶんな言われようだな」
そう言われて天尋は自分の身体の痛みが、気を失う前よりかなりましになっていることに気づいた。呼吸も普通にできているし、身体を起こしてもそこまで辛くない。
では、この美青年が言っている「怪我を治すためのキス」は本当だったのだろうか。‥だとしたら悪いことを言ってしまったかもしれない。
だがキスで怪我が治るなどとは聞いた事がない。この青年の風貌と言い先ほどの化け物と言い、やはりここは異世界なのだろうか。
「‥治してくれた、んだったらごめん。‥ここって、どこ?」
「龍人の住処だ」
タツトノスミカ?
「えっ、何それ」
そう問われた美青年の顔が、はっと少し歪められた。イケメンはそんな顔してもイケメンなのか。くだらないことを考えていると、美青年が天尋の髪をさらりと掴んだ。
「え、何」
「色が」
言われて首をねじり、掴まれた自分の髪を見てみれば、黒髪だったはずのその中に鮮やかな赤い髪が混じっている。染めた覚えなど勿論ないし、自分は結構真っ黒な黒髪だった。それなのに、目の前に示された自分の黒髪の束の中に鮮やかな赤毛の束が混じっている。
「え、何で‥?」
目の前の美青年は、ふううと大きく息を吐いてさらっと天尋の髪から手を離した。
「‥お前カベワタリだったのか」
またわからない言葉が増えた。とにかくずっとわからないことだらけだ。まだかすかに身体は痛むし、特に足がじんじんとしているし、起きたら美青年にディープキスされているし、天尋の頭の容量はかなりもうキャパオーバーだ。
「何、かべわたりって」
「‥面倒だな」
面倒。
‥‥面倒?
天尋は美青年のその言葉に、怒りと悲しみとがごちゃ混ぜになったような名状しがたい感情がぐわっとこみあげてくるのを感じた。鼻の奥がツンと痛くなる。あ、涙が出ちゃう、と思ったが開いた唇はもう止まらない。
「んなっ、何っ、よお!、んっ、こん、な、変な、とこに、急に、来ちゃって、化け物、に、襲われ、るし、死ぬかと、ひっく、思ったし、せっかく助かったと、思ったら、こんな、い、イケメンだけど、人の感情、全部、どっか置いてきた、みたいな、あんたみたい、な、やつにキスされ、てるし!面倒って何よ!面倒って!!面倒って、言いたいのは、こっちだ、よおお!」
涙も鼻水もぼろぼろずるずる流しながら泣きじゃくる自分の顔は相当にブスだろうと思ったが、堰を切ったように言葉も涙も止まらなかった。
「足、痛いし、身体、も、まだ、っく、痛いしぃ!あんた、みたいなやつじゃなく、て、もっと、優しい人にぃ、助け、られたかったああ!うああん!」
えぐえぐひっくひっくと何もかも垂れ流しで泣いている天尋の寝台から、美青年はそっと立ち上がって距離を置いた。
機嫌悪くしたかな、そう言えばこいつ以外に頼る人はいないんだった、まずかったか、とぐずぐず鼻をすすりながら美青年を見た。
美青年は、よくよく注意してみればほんの少し唇の端を上げているように見えた。‥笑ってる?
「このような暴言を受けたのは初めてだ。龍人に言いたい放題文句を言うヒトがいるとは。さすがカベワタリだな」
そう独り言のように言うと、少し離れたところに置いてあった不思議な形の長椅子に腰を下ろした。わあ、足が長いのがすっごいわかる。
「お前は、生まれた国から次元時空を超えてこの世界にやってきたのだ。そういうヒトの事をこちらでは『カベワタリ』と呼ぶ。帯壁を超えてきたもの、という意味だ」
「たいへき?」
美青年は、今度は面倒だとも言わず天尋の問いに答えた。
「帯壁というのはこの世界をぐるりと取り囲む世界の果ての事だ。何をもってしても超えられぬ。何千年も生きた龍人がその溜め込んだタツリキを解き放って超えた事がある、という伝承があるにはあるがそれが真実かはわかっていない」
「え、世界に果てなんかあるの?」
現代日本で、宇宙の広大さを常識として学んでいた天尋には信じがたい概念だった。だが確か宇宙にも果てがあるのではなかったか?ビッグバンで広がった宇宙は今は膨張しており、いずれ収縮するとかいう説を聞いたことがある。だとすればそのフチは果て、と言えないこともないのではないか。
そうぐるぐる考えている天尋の顔を見ながら、美青年は言葉を続けた。
「いずれの世界も帯壁で囲まれている。その世界で生きるものがその領分を超えぬように。‥だが、調整者の企みか何かの時空の綻びかごく稀にその帯壁を超えるものが現れることがある。それをカベワタリと呼ぶ」
「‥‥それが、私ってこと‥?何でわかるの‥?」
「一番わかりやすいのは髪色の変化だな。こちらでそのような変化をするヒトはいない」
まだ理解が追いつかないがこの美青年の言う事を信じでもしなければ、自分が下校中に突然このような変なところに来てしまったことの説明がつかない。
ふと、気づいて美青年に質問をする。
「ね、ねえ、それって‥帰れない訳じゃないよね‥?」
「元の国へ帰ったものの話は聞いた事がないな」
美青年は何の感情の揺らぎも見せず、すぐさまそう言い放った。天尋はその返事の内容を頭の中でゆっくりと反芻する。
かえったもののはなしはきいたことがない。
かえったもの、ない。
「帰れ、ないの‥?」
「そう聞いている」
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