十年目の邂逅
少し長めです。本日は17時にも更新いたします。
17時更新分が、最終話になります。
その後、ルウェンは暫定的にフェンドラの領主の地位に就いた。その補佐としてタムが随分と活躍をした。
一年後、滞りなく王位移譲の式典が執り行われ、アーセルはカルカロア国王に即位した。ニュエレン、ダーマスの二領は前の領主を失い混乱していたが、他の四領主の話し合いの元で選ばれた新しい領主が、これまた新しい国王に承認され就任した。
新国王と六領主は、「大円卓会議」を月に一度行うことに決め、各領地でばらばらだった様々な制度を段階的に統一していくこととした。
悪名高かったニュエレンの身分制度も表向きには即時廃止された。人々の生活の中にはびこる偏見まで取り除くには、まだまだ時間がかかるだろうが、とりあえずの一歩を踏み出したともいえる。
マヒロは、フェンドラ新領主ルウェンのもとで主にはアツレンの屋敷で暮らしながら様々なことに取り組んでいった。
ツェラとのレース編み商品の開発や、素材研究、日本刀や和食の再現など、思いつくことはどんどん手掛けていった。特にレース編みは、ヨーリキシャを集めて製図を普及させるなどして技術者を育成していき、雪深いフユのアツレンを代表する産業にまで発展していく。
日本で暮らしたマヒロの知識で解析される様々な知識は、この世界の人々の暮らしにも少しずつ変化を及ぼしていった。
ただそれは劇的な変化ではなく、あくまで「きっかけ」にすぎなかった。
「カタナ」の生産地としてアツレンの名が大陸に轟くには、その後五十年ほどの月日を要した。
ヒトの世で、自分のできること、興味のあることを探しながら懸命にそれに取り組むマヒロの姿勢は、周りの人々を巻き込んで変化をもたらしていく。
そして、瞬く間に十年が経っていた。
「やあだあ、まひろとぉ、あそぶぅぅ!」
金髪を揺らめかしながら子どもが泣きじゃくっている。その横でタムがほとほと困った、という顔をしてしゃがみ込んでいた。
「サイリ、マヒロ様はお忙しいんですから我儘を言ってはなりません」
「やあだあ!」
えぐえぐとしゃくりあげる子どもの頭を撫でる。子どもは小声で「やだ」を繰り返し全くタムの言うことを聞いてはくれない。どうしたものか、と途方に暮れていると伴侶がドアを開けて入ってきた。
「どうした、外にまで聞こえているぞ」
「ルウェン」
ルウェンは泣きじゃくっている我が子を見て抱き上げた。
「サイリ、泣くな。タムを困らせるのはよくないな」
「だってぇ、まひろとぉ‥っく」
ルウェンは我が子の言葉を聞いて、ああ、と軽く頷きタムを見た。タムははあ、とため息をついてルウェンの肩に手をかけた。
まだ二歳にしかならないサイリはマヒロが大好きで、今日も遊ぶ気満々だったのだが、今朝早くマヒロは高山の住処に帰ってしまっていたのだ。それを今知ったサイリがいやだと駄々をこねてタムを困らせていたところだった。
ルウェンは困り顔のタムを引き寄せ、その頭に軽く口づけるとサイリに言った。
「サイリ、では今日は俺と一緒に過ごそう。今はまだ仕事があるが、昼飯を食べたら一緒に散歩に行けるから」
「ルウェン、あなただって忙しいのに」
そう言って止めようとするタムにルウェンは笑った。
「俺がサイリと一緒にいたいんだよ。大丈夫だ、今日はそれほど立て込んでいないから」
そう言って子どもを抱えたまま団欒室へ向かう伴侶を見て、タムは肩をすくめながらも微笑んだ。
タムがルウェンと伴侶になったのは四年前になる。結婚してすぐに子果を望んだのは、ナシュの助言があったからだった。
「俺が子果を授かる前に、下子がほしいな」
ナシュは十五の時に出会ったヒトと伴侶になる約束をしており、伴侶誓言式を挙げる前に下子が欲しい、ということによって二人の背を押したのだ。
子果を授かり順調にタムが身ごもって生まれたサイリを、ナシュも殊の外かわいがっている。
このような形で自分に幸せが訪れるとは思っていなかったタムは、この十年を考えると夢のような気さえした。
アツレンの屋敷は、マヒロが滞在するようになってから商談の場所としても使われることが多くなり、少し広くなるように改修された。
ジャックとエレネもこの屋敷に常住するようになって、二人の子どもを授かっている。
王位についたアーセルがアツレンに戻ったことはこの十年一度もないが、人々は新しいフェンドラ出身の国王を誇りに思って過ごしている。
あとは、国王が伴侶を見つけることが国民の願いでもあるが、未だ国王は独身のままだ。サッカン十二部族国やその奥のルビニ公国などからも、何度か輿入れの打診が来たが国王は言を左右にして断っているようだ。
マヒロはアツレンの屋敷に滞在することが多いが、その期間はあまり長くない。一度の滞在は長くても十日から二十日。それらを合計しても年の半分以下にしかならない。
そもそも龍人の番いがヒトの世に降りること自体が珍しいことなのだ。
額の龍鱗は前髪で隠され、マヒロが龍人の番いであることを知っているのは古くからの知り合いだけだ。
そしてマヒロは、今では自分の飛竜である「ポチ」を駆ってアツレンの街に降りてこられるようになっていた。そのため、屋敷の裏手には広大な空き地が整備され、そこに直接飛竜が降りてこれるようになっていた。
この十年、ハルタカがアツレンに姿を見せたのは二、三度ほどである。二人が揃っている姿はほとんど目撃されていない。
それは番いであることを知られないようにとのハルタカの配慮からくるものでもあった。
昼食後、屋敷の中庭をサイリとともに散歩していたルウェンは、上空から羽音がするのに気づき空を仰いだ。
ポチがゆっくりと高度を下げてきている。
裏手の方に向かうポチに気づいたサイリが、「まひろ!まひろきたぁあ!」とはしゃいでルウェンの手を振り払い、空き地の方へ駆け出した。慌ててルウェンもその後を追う。
「サイリ~~!」
「まひろ!」
胸に飛び込んできたサイリを抱きとめてマヒロは頬ずりをした。ぷくぷくしているサイリのほっぺは本当に滑らかで気持ちいい。
マヒロは背中まで伸びた豊かな赤髪を大きな三つ編みに結っている。顔立ちは少し大人びて顎の線が細くなっていた。だが、好奇心旺盛な目の輝きは失われていない。
「サイリ、昨日食べたいって言ってたでしょ?ほら、ランガ!一杯取れたから食べようね~」
「ランガ!」
サイリが目を輝かせて取り出されたランガの実を見つめる。追いついてきたルウェンが苦笑しながらマヒロに近づいた。
「マヒロ様はどんどんサイリを甘やかしますね。ランガなんて、滅多に子どもの口に入るもんじゃないんですが」
言われてマヒロはふくれっ面をした。
「いいじゃん、おばちゃんの楽しみじゃん!かわいいサイリに貢ぎたいんだから、ねえ~!」
サイリはランガの実を抱きしめながら、ね~と返している。ルウェンは、そんな二人を見て微笑んだ。
「ありがとう、マヒロ様。サイリによくしてもらって、嬉しいです」
「私こそ、サイリに構うのを許してもらえてうれしい!」
ハルタカとマヒロも何度か子果清殿を訪れ、子果を願ったのだがいずれも授かるには至らなかった。本物の龍鱗を返してもらってからでないといけないのか、とマヒロは思ったが、そもそも龍人と番いの間に子ができることの方が珍しいらしい。ハルタカの両親がハルタカを得るまでには百年以上かかったと言っていた。
だから、マヒロは子どもは長期戦で考えるしかないことはわかっている。それでも欲しいという気持ちは抑えられないから、サイリや、ジャックの子どもたちを可愛がることにしていた。無論、親達の許可を得てのことではあったが。
もう二年もすれば、ナシュにも子どもができるかもしれない。一年前に誓言式を挙げたナシュと伴侶が、子果納め金をずっと貯めているのをマヒロは知っていた。
さすがにナシュの子どもは、何となく孫のような気さえしてくる。長く生きているとどんどんこういう事が増えるのだろうな‥とマヒロは思った。
マヒロは空を仰いで伸びをした。急いでポチを飛ばしてきたからか、身体がみしみしする。ポチは口は悪いがいい飛竜で、よくマヒロの言うことを聞いてくれる。
(幸せだなあ)
雲のない空を見上げてマヒロは思う。
「‥ん?」
マヒロは空の奥を見つめた。常人には見えない、その一点はどうもおのれの番いのように思える。
「ハルタカ?」
そう呟いたマヒロの言葉を聞いて、ルウェンがサイリを抱き上げながら上空を仰いだ。点にしか見えなかったそれは、恐ろしい勢いでこちらに向かってきて見る見るうちに飛龍の姿を形作った。テンセイの気配を察したポチが、ルルルルと鳴いた。
「お珍しい、ハルタカ様ですか?」
「そう、みたいだね‥ん?何だって?」
マヒロが耳をすますような仕草を見せる。番いとなってからしばらくして、精神感応で離れているハルタカの声が聞こえるようになっていた。
「えええ!?」
大きな声を上げたマヒロに驚いて、サイリが「まひろぉ?」と顔を見上げてくる。その頭を撫でながら、マヒロはルウェンに向かって言った。
「‥どうしよ、ルウェン‥場所変えた方がいいかな、なんか‥ソウガイが来るみたい」
「ソウガイ‥?」
ルウェンは記憶を掘り起こす。‥龍人の最長老ではないか?
思い出したルウェンも思わず息を呑んでマヒロを見返した。二人で沈黙したまま顔を見合わせているうちにぐんぐんとテンセイが近づいてきて、空き地に到着する。サイリはポチ以外の飛竜を初めて見たので、ポチよりも随分と大きいテンセイをきらきらした目で見つめていた。
「おっきい、ぽち!」
その声に弾かれるようにして、マヒロはハルタカに近づいた。ハルタカは十年経っても全くその見た目は変わっていない。
「マヒロ、ソウガイが来る、二人そろったら来ると報せてきたから‥」
と、ハルタカが説明しているうちに、空き地の一角に小さな竜巻が巻き起こった。旋風が収まったその中に立っているのは、すらりとした波打つ銀髪をたたえた龍人だった。
「ソウガイ!」
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