証
随分とぐっすり眠っていたようだ。意識が眠りの底から引き上げられてくるような感触を覚えながら、マヒロは目覚めた。
身体中にまだ意識が行き届いていないかのようで、動かそうとすれば重い。少し疲れたような‥と、そこまで考えて昨夜のことに思い至った。
二人で睦み合った事実がマヒロの頭を沸騰させる。その瞬間、自分がハルタカの裸の胸に抱き込まれていることを発見し、「うわあ」と思わず声が出た。
「‥マヒロ?」
その声で目覚めたらしいハルタカは、マヒロの頭をずるりと撫でてからぎゅっと抱きしめてきた。
う、嬉しい、けど、恥ずかしい‥!
マヒロは目の前のハルタカの胸に顔をうずめた。温かい、なめらかなハルタカの肌に触れていると気持ちよかった。
ハルタカはふっと笑った気配を感じさせつつ、マヒロの頭に自分の顔をすり寄せた。
「マヒロ、身体は辛くないか?何かしてほしいことはないか?」
「‥大、丈夫、ありがと‥」
甘いハルタカの声に、余計に恥ずかしさが増す。顔が見られない。
ハルタカは優しくマヒロの頭全体を撫でてから顎に手をかけてマヒロの顔を見ようとした。
マヒロの目とハルタカの目があった。
その時、ハルタカの目が驚きで見開かれた。
その顔を不審に思ったマヒロが「何?どうしたの?」と聞いてもすぐには答えてくれない。今までマヒロが見たこともないハルタカの表情に不審が募る。
「ハルタカってば」
ハルタカはマヒロの言葉には答えず、そっと手を出してマヒロの額に触れた。指先が何かに触れている。額の皮膚とは少し違うその感覚に、マヒロは震えた。
「あ、なんか、そこ触られたくない‥」
ハルタカはマヒロにそう言われるとすぐに手を引っ込めた。だが、寝台から抜け出し逞しい裸身のまま、壁際に備えてある美しい細工の箪笥を開けて何かを取り出すとマヒロの元に戻ってきた。
そしてマヒロの傍に座ってそれを差し出す。それは綺麗な装飾のついた手鏡で、マヒロも何度か使ったことのあるものだった。
「え、何‥」
手渡されるままにそれを手に取って覗き込めば、マヒロも驚いた。
マヒロの額の中央に、小さな銀色の鱗のようなものがついているのだ。
大きさは、普通の魚の鱗くらいで爪先ほどしかない。‥汚れか?と一瞬思って自分の指先でかりっと掻いてみたが、そうすることに強い忌避感を覚えた。
「‥これ‥皮膚と一体化してる感じ‥?」
「そう、だな‥」
鏡を見ているマヒロにそう答えた後、ハルタカが急にぎゅっと抱きしめてきた。突然のことに驚いて鏡を落としそうになったマヒロは慌てて体勢を整えた。
「うわ、ハルタカ?‥びっくりしたぁ」
「マヒロ‥それは、龍鱗だ」
‥え?
「え、だってソウガイさんが取って行っちゃったじゃん、龍鱗」
マヒロをぎゅうぎゅうと抱きしめたまま、ハルタカはくぐもった声で続ける。
「‥‥大きさも本来のものとは全く違う、顕現する場所も心臓の上ではない。条件は違うが‥龍人の性として、これが龍鱗であることが、わかる」
ハルタカはそう呟いて、そっとその小さな龍鱗に口づけた。
ざわぁぁぁっと、マヒロは自分の身体の中身が波打つのを感じた。
何か、自分を組成している物質がどんどん組み変わっていくような、変化していくような、不思議な感覚。
頭のてっぺんから足元まで、その波が全身を覆い尽くしてから過ぎ去るまでの時間は、おそらく十秒もなかっただろう。
だがマヒロにとっては恐ろしく長い時間に思えた。
口づけたハルタカにもその変化は見て取れたのか、ぼんやりとマヒロの顔を見つめたままだ。
「ハル、タカ、」
「マヒロ」
お互いを呼び合って顔を見合わせ、お互いに額をすりつけ合った。
何かが変わった。それが何かはわからないが、変わったことを感じた。
正式な番いではないが、おそらくそれに準ずる者に変わったのだ。
お互いの心臓の拍動が、呼吸が、手に取るようにわかる。
「マヒロ‥私の唯一。私の宝」
「ハルタカ‥」
「大丈夫だマヒロ。もう、お前がどこにいても、きっと私は守ってやれる。いつでもお前の傍に行ける」
「‥本当‥?」
「ああ。マヒロがヒトの世で暮らしていても、何か困ったことがあったらすぐにお前のところに来れる。‥だから。行っていい、ヒトの世に」
「ハルタカ‥」
二人はまた、身体を溶け合わせるかのようにお互いを抱きしめあった。
三か月ぶりのアツレンの街は、すっかりナツの様子を見せていた。市場もフユの間よりは多くの露店でにぎわい、ヒトの数も多い。
無論、次代国王にここの領主が決まったことに対する特需もあるだろう。フェンドラの領地全体がお祝いムードに沸き立っている。
今日はマヒロが自分自身でテンセイを駆って空を飛んできた。高地でもマヒロは呼吸が苦しくなることがなくなった。身体が龍人のそれに近くなってきているのではないか、とハルタカは言っていた。そのうち、マヒロのための飛竜を探しに行こうという話にもなっている。
額に龍鱗が浮かんでから、テンセイの声が聞こえるようになった。簡単な意思疎通ができるようになったのだ、ハルタカは自分がテンセイと意思疎通を図れるまで何年もかかったのに、と少し拗ねた様子を見せていて、それを見てテンセイと笑ったものだ。
いつも通り少し離れたところでテンセイを降り、呼んだら来てねと話しかけて街の方へ歩き出した。
一番最初にここを歩いた時から、一年以上が過ぎている。
実に、色々な事が起きた一年だった。
マヒロはその出来事を心の中で一つ一つ反芻しながら、アツレンの街を歩いた。
市場の出入り口に近いところで、ピルカの屋台を出しているナシュに会った。先日十一歳になったナシュは、少し大きくなって大人びているように思えた。
「マヒロ!もういいのか?身体はだいじょぶか?」
からりと笑いながらそう尋ねてくれるナシュに、マヒロも思わず笑みがこぼれる。
「うん、もう全然!すごく元気だよ!‥あれ、タムは?」
ナシュはふうとため息をつくふりをして肩をすくめてみせた。
「お屋敷だよ。最近はずっとお屋敷に詰めっぱなし。‥結局俺もお屋敷で寝泊まりさせられるようになっちまって、ここの屋台に来るのも一苦労なんだ。結構離れてるからな」
タムが、アーセルの屋敷に請われて家令のような仕事に就いたというのは聞いていた。冷静で、しっかりとした意見を持ったタムを知っていたから、マヒロはそれを意外には思わなかった。
アーセルが正式に次代の国王だと現国王からの正式な宣下が国中に出されたこともあり、今フェンドラの領主屋敷は大変な忙しさらしい。王位が移譲されるまでの一年で、新しいフェンドラの領主も決めねばならないのだが選考に難航していると聞いていた。アーセルに下子はいないので、当面の間は前フェンドラ領主であるアーセルの親が暫定で領主の地位に就くことにはなっているが、それとてもいつまでもそのままでいる訳にはいかない。
国王となるアーセルの周りで働くものもフェンドラから何十人かは引き抜かれるわけなので、引き抜かれる人物たちの引き継ぎやいなくなる人物に代わる人材の登用など、フェンドラ公邸は目も回る忙しさなのだと言う。
その中で、タムは非常に辣腕を振るっているらしかった。
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