アツレンでは
アーセルは怠い身体を起こして何とか水を飲んだ。少し身体を動かすだけなのに、かなり体力を消耗する。折られた腕と足の骨は治療してもらったはずなのだが、あまりに怪我の程度が酷かったためにアーセルが持っていた体力をほぼ使い切る形でしか治療ができなかった、と医師に言われた。
『国王選抜』が明日にも終わる、という期限の二日前。
ダンゾは、ガルンと組んでアツレンにまで刺客を放ち、アーセルの命を狙ってきた。退異騎士たちや退異師たちをも巻き込んだ大規模な戦闘に発展し、アツレンの街並みにも一部家屋や建物が破壊されるという被害が出た。
幸いなことに市民には死人や重傷を負ったものは出なかったが、足かけ四日に渡って戦闘は続いた。
四日目の朝、ダンゾとアーセルの一騎打ちのような形になり長い時間戦うことになった。二人の死闘はおよそ三時間にもわたって繰り広げられ、周囲を囲む騎士や退異師たちは固唾をのんで見守っていた。
知らせを受けた国王直属の近衛隊が駆けつけ、辺りを封鎖する中、右足と右手をへし折られ、うずくまったアーセルに勝利を確信したダンゾが襲いかかった時、アーセルが地面に素早く転がって体勢を整え下から大剣をもってダンゾを突き刺した。
ダンゾは腹から心臓にかけて真っ直ぐに貫かれ、即死。
アーセルの勝利となったのだ。
その後、ダンゾとガルンの一味は近衛隊に拘束され王都へと移送された。ガルンも領主の職を解かれるだろう。
アーセルは、ダンゾとの死闘の後三日に渡って意識不明の重体であったが、医師たちの必死の治療によりようやく命を繋いだ。
意識を取り戻してから今日でようやく五日。上半身は少しなら起こせる、というくらいまでには回復してきていた。ただ、内臓や全体の体力は落ちたままなのでうまく消化機能が働かない。そのせいでこのところずっと流動食のようなものしか口にしていない。
「アーセル」
控えめなノックの後、少しだけ扉が開けられその隙間からルウェンが顔を出した。
ダンゾたちの襲撃から、ルウェンも満身創痍で戦い続けていた。人質奪還の時に傷めた肩をまた負傷し、片腕が上がらない状態ながら剣を振るって敵を退けた。一時は肩から先を切断しなければならないかも、と言われていたが、何とか回復をしている。ただ、まだ片腕は上がらない状態ではあるが。
アーセルは呼びかけられたがまだ声がうまく出ない。視線をルウェンの方にやって合図すると、ゆっくりルウェンが入ってきた。真っ赤な果物を盛った皿を手にしている。
一度寝台脇の小机に皿を置き、椅子をアーセルの寝台横に寄せて座る。真っ赤な果物は賽子の目に細かく切られていた。
「アーセル、流動食ばかりで飽きただろ?ランガの実を手に入れたから切ってきた。滋養もあるから‥少し口に入れてみないか?」
ランガの実は滋養がとてもある栄養価の高い果実だ。だが、かなり高所に行かないと取れない実なので手に入ること自体が稀である。どうやって手に入れたのだろうといぶかしげに美しい果実を眺めていると、ルウェンが苦笑して言った。
「嫌かもしれないが、ハルタカ様が持ってきてくださったんだ。マヒロ様に頼まれたらしい」
なるほど、と納得して目をつぶる。自分の状態のことは、速信鳥を通じてハルタカやマヒロにも知らせてあることは聞いていた。おそらくマヒロが心配してハルタカに頼んでくれたに違いない。ハルタカがアーセルのためにわざわざランガの実を採るとも思えない。
‥‥まあ、マヒロが手に入ったのだから、機嫌はいいのかもしれないが。
「食べるか?」
ルウェンの言葉に、小さく顎を引いて応え、口を開けた。ごく小さく切られたランガがアーセルの口の中に滑り込む。舌と口蓋でじゅっと押しつぶせば瑞々しいランガの果汁が口の中一杯に広がった。美味い。
ゆっくりと味わっているアーセルの顔を見て、ルウェンはほっと息をついた。
「よかった、食べられて」
そしてアーセルの口の中からランガが消えたのを見計らってまた新たな実を口の中に差し入れる。久しぶりの果実の甘さに、身体が喜んでいるのがわかった。
果汁を味わいながら自分にランガを差し出すルウェンをじっと見上げる。
ルウェンがマヒロを置いて帰って来た時、アーセルはルウェンを立ち上がれないほどに殴り倒した。ルウェンは何も言わず、殴られるがままになっていた。殴られても殴られても立ち上がり無防備な姿をさらすルウェンに、アーセルは腹立たしさが収まらなかった。
何度目かによろよろとルウェンが立ち上がり、またアーセルがそれに向けて拳を振りかぶった時、それまで無言でその様子を見つめていたタムがアーセルの前に立ちはだかった。振りかぶられた拳は急に止めることができず、タムの頬を掠って切り傷をつけた。
タムは頬から血を流しながらも怯まずに言った。
「アーセル様、もう十分でしょう。マヒロ様はご自分の意志でお一人で上を目指されたのです。マヒロ様にはご自分で、ご自分の行動を決める権利があります。ルウェン様にも」
タムの静かな金色の目は、アーセルを冷静にさせるだけの力強さを持っていた。
ルウェンは後ろからタムの肩に手をかけ、自分が前に出ようとした。
「タム、‥いい、おれ、は、それだけ、の事を、した、から」
タムは振りむいて厳しい声で言った。
「自分を虐めて、罪悪感をごまかすのはおやめになった方がいいですよ。そんな行為は、何も生みません」
アーセルとルウェンは、二人とも茫然とほっそりした身体のタㇺに宿る激情に驚いていた。
程なくしてマヒロが無事にハルタカのもとに辿りつき、ハルタカも目覚めたという連絡を受けた。身体はまだ完全に回復していないが、意識ははっきりしており命に別状はないとのことで屋敷全体が湧きたった。
回復してからで構わないからマヒロの無事を確認したいと言えば、完全に回復したならそのうち連れてくる、としぶしぶハルタカは答えた。
その後すぐにダンゾたちの襲撃があって、今になる。マヒロの様子はあれ以来連絡がないからわからない。ハルタカからの速信鳥への連絡は、一方通行なのでこちらから様子をうかがうことができない。本来、速信鳥はその能力を持ったキリキシャの間でやり取りをされるものだが、ハルタカはタツリキによって連絡をしてくるので通常の速信鳥のような連絡の取り方ができないのだ。
ランガの実を持ってきたときも、実を渡すや否や走り去っていってしまった。
皿に盛られたランガが半分ほど減ったところでアーセルは口を閉じ、僅かに首を振った。ルウェンがそれを見て果実用の串を皿に置く。
色々と事件はあったが、『国王選抜』を勝ち抜いたのはアーセルになった。
これから勝者認定があり、そのあと一年をかけて国王位が移譲される。
フェンドラの新しい領主をその間に決めねばならないし、アーセル自身国王としての様々な職務に就くべく準備をせねばならない。
これから怒涛のような一年が始まるのだ。
ルウェンは、国王となったアーセルの隣で支えることを夢に見ていた。
しかし、今のルウェンにその考えはなかった。
目を閉じて横たわるアーセルに、ルウェンは声をかけた。
「アーセル」
言われてアーセルがゆっくりと目を開ける。この黄色い目に見つめられることがどれほど嬉しかっただろう。この秀麗な横顔を見つめられる幸福をどれだけ噛みしめたことか。おのれの想いが成就することはなくとも、傍にいるだけで幸せだと思えた日々だった。
「俺は、ずっとお前が好きだった。愛していた」
アーセルが大きく目を見開いてルウェンを見る。思わずその重い身体を起こそうとしているのを見て、ルウェンは片手でそれを制した。
「いいから、横になっていてくれ」
アーセルは素直に横たわったまま、しかしじっとルウェンを見つめている。
「この気持ちは、お前に伝えることはないと思っていた。ただ傍にいられるだけでいいと思っていた。‥お前が、マヒロ様と結ばれてくれたらいいと思っていたのは嘘じゃない。俺が知る限り、初めてのお前の恋だったからな」
アーセルはそう言われて目元を赤く染めた。ルウェンは続けた。
「お前は国王になる。・・いい王様になれるよ。俺の夢が叶った。ありがとう」
アーセルの目は縋るようにルウェンを見つめたままだ。
「でも、俺は王都へは行かない。‥ここで、退異騎士としてやっていくつもりだ」
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