ふたりで
何だか体が重くて怠い。
この世界に来てから、この重怠い症状を何度経験しただろう‥とぼんやりマヒロは考えながら瞼をこじ開けた。
目の前にはハルタカの熱い胸板がそびえたっており、しっかりと胴体にはその太い腕が回されていた。
ハルタカの胸に、顔をすりつけてすうっと匂いをかいだ。何とも言えない、爽やかないい匂いがする。同じ石鹼を使っているはずなのに、どうしてハルタカだけこんなにいい匂いがするんだろう。龍人って匂いまでイケメンなんだろうか。
「‥マヒロ、目が覚めたか。何か飲むか?」
そうこうしているうちに、ハルタカも目が覚めたようで声をかけられた。確かに喉が少しいがらっぽい気がしたので、こくりと頷く。
ハルタカはそっと寝台から出て、お茶道具の盆を呼び寄せた。ポットの中にお湯を入れてお茶を淹れている。タツリキの使い方も、最長老とハルタカでは随分違うんだな、と少し前に会ったソウガイの事を思い出した。
まさか同じ日本人‥しかも自分より未来からやってきたヒトだとは思わなかった。どの辺に住んでたのかとか名前とか聞けなかったな‥と思う。まあ、あちらはそんなにマヒロと親しく話したいわけではなかったかもしれないが。
五千年以上も生きているって、どんな気持ちなんだろう。与えられた役割だから、それを果たさなくちゃいけないからというだけで、生きていけるのだろうか。
ソウガイには番いはいるのだろうか。‥五千年以上も一人で生きていかねばならないのだと想像してみるが、自分なら耐えられないだろうと考える。
「マヒロ、ほら」
ハルタカがそう言って小さなお茶のカップを手に持たせてくれる。熱々ではなく、すぐに飲めるくらいの温度に調節してある。甘やかされているな、と思いながらそれでのどを潤した。ふわりと茶葉の香りが立ち、マヒロの心をほっと解きほぐしてくれた。
「ハ、ルタカ」
お茶でのどを潤したのがよかったのか、思いのほかちゃんと声が出た。
「どうした?」
「番い‥なれなく、なっちゃった、ね」
マヒロの言葉を聞いたハルタカは、少し眉を寄せながらも薄い笑顔を作った。そしてそっと茶碗を持っているマヒロの両手を撫でた。ハルタカの手の温かさがじわりと伝わってくる。
「十年、待てばいいだけだ。‥‥何よりも、マヒロが私と番いになりたいと思ってくれたことが、私は嬉しいから」
ゆっくりとそう言ってマヒロの両手を撫でる。寝台に座ったハルタカがマヒロの背中を支えてくれている。
初めてここに来た時には何とも思わなかった、そのハルタカの行動一つ一つが愛おしく思えた。
「うん。‥龍鱗が無くても、私はハルタカが好きで、とても大事に思ってる。愛してるよ」
「私もだ、マヒロ」
ハルタカはそう言って、マヒロの頭のてっぺんに唇をつけた。今までは何だかいたたまれないような恥ずかしいような気がしていたのに、今はそういったハルタカの触れ方が、ただ嬉しい。
思わずそっとハルタカに頭を寄せてくっついた。そのままハルタカは優しく背中を抱き寄せてくれる。
「‥龍鱗を抜かれたダメージって、やっぱり大きいのかな?」
「だめーじ、とは?」
「あ、うーん、受けた損傷、みたいな意味」
ハルタカは少し考えて言った。
「そうだな‥直接的な傷はタツリキを流し込んで癒したから無くなってはいるが、マヒロ自身の体力がその分、消耗している。随分身体が重くて怠い感じがあるだろう?」
「うん」
「今、マヒロの身体の中でその体力を回復させている途中だから‥完全に元気になるまではまだ日数がかかるな」
それでは、この住処にいる間に『国王選抜』が終わってしまうかもしれない。アーセルは大丈夫だろうか。
そう思ってうーんと考え込んでいると。ハルタカが顔を覗き込んできて、頬に口づけをした。
「わ、何?」
「領主騎士の事を考えていただろう」
「‥うん、選抜終わっちゃうなって」
「領主騎士はおそらくもう大丈夫だろう。マヒロ、少しずつヒトの世から考えを切り離せるように、練習もしておいてくれ。十年後間違いなく番えるように」
少し顔を顰めながらそう言うハルタカの顔は、何だか子供が焼きもちを焼いている時のように見えて、マヒロはふっと笑った。
お茶のカップをハルタカに手渡して、ハルタカの腕にぎゅっとしがみつく。この中にいれば、何も怖いことはないのだと安心感を与えてくれる、腕だった。
だが、多分それだけではいけないのだろう。
ソウガイは、自分の役割を考えろ、と言った。それまで十年の間、龍鱗を預かっておく、と。
つまりマヒロは十年の猶予を与えられたのだ。自分に課された役割が何なのか考え、結論を出すために。
だから、今からマヒロはハルタカの腕の中で安穏と過ごすだけではいけないのだろう。この世界をもっとよく知り、学んで色々な事に触れながら考えていかねばならない。
奇しくもこの世界に来てから、日本や前の世界の色々な事について知ろうとしていなかったことを後悔した事を思い出す。ハルタカに前の世界の事を色々と聞かれて、あまりよく答えられずもやもやとした気持ちだった。
多分、あのような後悔をしてはいけないのだ。
五千年以上も生きる覚悟はなかなか持てないが、ソウガイがたった一人孤独に向き合ってきたことに、マヒロは番いになるなら少なくとも七百年余りは向き合わねばならない。
たとえハルタカが傍にいてくれるとはいえ、やはり、マヒロは自分の頭で考え、自分の足で立っていたいと思った。
「ハルタカ」
「何だ?」
ハルタカは背中を支えていた手をマヒロの頭に移動し、自分の方に近づけて頬をすり寄せていた。
「‥これからの十年の間に、私はもっとヒトの世に関わりたいと思う。そうじゃないとソウガイが言っていた『私の役割』なんて理解できないよ。‥だから、きっとハルタカは嫌かもしれないけど‥ヒトの世で暮らしたい」
頭の上で、くっとハルタカが息を呑んだ音がした。マヒロの頭を寄せているハルタカの手に力が入る。マヒロはハルタカの顔を見上げた。
「‥一緒にいるって、言ったばかりなのにごめん」
ハルタカは苦しげな顔で目を閉じ、小さく息を吐いた。目をゆっくりと開いて、じっとマヒロの顔を見つめる。ゆらゆらと揺れる金色の瞳は不安げにマヒロの目を捉える。
「龍人の住処にいない限り、ヒトの悪意や策謀から完全にマヒロを守れない‥。マヒロはまだ番いではないから、身体もヒトのままだ。‥何かあった時マヒロの身体や心が害されると思うと‥‥私は‥」
マヒロは、しがみついたハルタカの腕をそっと撫でた。自分がしてもらって、安心した時のように。
「うん、いっぱい話して、できるだけハルタカが不安や心配のないようにしていこう。そうやって、二人で暮らしていこうよ」
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