あなたと、最後の一勝負
呼吸を整えるため、息をつく。ため息にも似た音が、静まりかえった武闘場でいやに大きく聞こえた。
「懲りないお方」
私は、刃の落とされた細剣を相手に向けた。
積んできた修練、そして神より賜った加護〈剣聖〉が、体の内側から力をわき上がらせる。
身は17歳の令嬢だが、心は武人のそれと心がけていた。
切っ先は、相手の胸へと、まっすぐに。
「負けませんよ」
漏れ出した魔力が周囲で渦巻き、私の金髪を踊らせていた。
相手となる殿方は、胸に手を当て優雅に一礼する。私と同じ、刃の落とされた細剣を上に向けると、口の端だけで微笑んだ。
「その言葉、私もまた同じ気持ちです」
踏み込みは、同時。
この一瞬で交わされる刃の数は、きっと今まで私達が交わした言葉の数より多いだろう。
鍛錬と加護〈剣聖〉が数十度目の勝利をたぐり寄せるのを感じながら、私は昔を少し懐かしんだ。この方との逢瀬は、闘いは――これで最後なのだから。
◆
――娘、レンシアに勝利した者に、娘を嫁がせることを約束しよう。
思えば、これほど『貴族の娘は家の駒』という事実を表す言葉はない。
加護は神から賜る特別なものだが、才能や体質と同じく、子孫にも伝わるとされていた。
お父様は私の加護〈剣聖〉がいかに強いものか、ひいては私に子を産ませ加護を遺伝させることがどれほど価値高いか、証明に腐心する。
思い付いたのが、国中の武芸者を呼び寄せ、私と戦わせることだった。
〈剣聖〉がもたらす剣技は英雄的で、令嬢の戦いは格好の宣伝になる。
その結果、もし私に勝てるほどの加護持ちが現れるなら、相手も良質な血筋、つまり高位貴族である可能性がかなり高い。割のいい婿探しだ。
勝負は、領地に人材を召し抱える口実にもできた。『勝負には敗れたが、貴殿の剣には目を見張るものがあった』とでも言えばいい。
万が一私が不如意に敗れても、すでに当家には〈剣聖〉を出したという箔がついている。妹たちは、ずいぶんと有利な条件で婚約を進められるはずだ。
――で?
貴族令嬢らしく、父の命に従い挑戦者を下しながら、私は思ったものだ。
――で? 私の意思は?
来る日も来る日も、〈剣聖〉の加護を目当てに、あるいは当家への縁を求めて押し寄せる、挑戦者たち。
13才から闘いを始め、2年ほど経って成人した時に、私はふと思った。
ここらで圧倒的な強さを見せてみよう、と。
いかに強い加護に守られていようと、向かってくる相手を痛めつけるのには抵抗があった。
だが手加減していると、挑戦者が減らない。
挑戦者が減らなければ、私の自由は減るばかり。
ならば逆に圧倒的な差を見せつけて、挑む者を減らすのがいいでしょう。
鍛錬を始めた〈剣聖〉に、もちろん勝てるものはいなかった。
時に踏み込みの甘い剣を弾き、時に組み手に持ち込もうとする腕をねじり、時に飛び道具を忍ばせた不届き者を反対側の壁まで蹴り飛ばした。
自由な時間がほしくて剣を振っていたら、気づくと楽しくなっていた。
どうせ家の手駒になるくらいなら、剣を極めてしまうのも、意外と楽しいかもしれない。
お父様も異変を感じたのか、当代最強と呼ばれる侯爵令息を呼び寄せた。前日に体力の増強、攻守の増強、俊敏さの増強――そんな多種多様な強化祈祷を施す、念の入れよう。
当日のお父様は、見物だった。
目がこう言っていたもの。
――わかるな、娘よ。この男に負け、結婚するのだ。ま、勝てるわけがないがな?
勝ちました。
以後、私に挑んでくるものはいなくなった。
ただ1人を除いて、ね。
◆
金属を重ねる硬質な音が、武闘場に響く。
セネリオ。
黒髪と、紫色の瞳を持った、この20ほどの青年が私の相手だった。
私の頬のすぐ側を、神速の突きが抜けていった。剣で払わなければ、ひどい怪我を負っただろう。
「惜しかったですわね」
私を娶るのが狙いなら、こんな顔狙いの突きはしない。
セネリオはこういう男だった。
誰も挑まなくなった私の前に現れて、月に一度、手合わせを所望する。圧倒的な差を見せて下してから一年、彼の剣は私をかすめるほどになっていた。
「今日こそは」
彼の言葉と微笑みが、胸を騒がせる。
セネリオは、私の剣を、私の鍛錬をみてくれている。
加護〈剣聖〉や、高位貴族との縁ではなくて。
胸に熱が灯る。こういう人となら――負けてもよかったのに。いや、でも、負けたくない。
あなたは私じゃなくて、勝利を求めている人だからこそ。
「ふっ」
レイピアを、前へ。
切っ先が生き物のように相手の剣をかい潜る。突く、肩を。
セネリオはかわす。速くて、とらえどころがない。水のようだ。
反撃を切っ先で撃ち落としながら、私は距離をとった。
交わる視線からはいろいろなことがわかる。
ある男は富を求めていた。ある男は、私の体を求めていた。彼の視線は、私の目をまっすぐ見つめている。
口を引き結んだ。
「なぜ、こんなにも私に挑むのですか?」
セネリオは応えない。
「事情は知っています。あなたの雇い主は、隣国の貴族。我が国以上に武闘を重視する国柄、最強の剣士が隣国、それも女というのは具合が悪い。ゆえに、腕利きのあなたをさし向け続けている――」
普段は、こういうやりとりはしない。
今日は特別だ。
隣国の男まで挑むようになって、さすがにお父様も話が大きくなりすぎたと感じたらしい。〈剣聖〉の宣伝は十分ということだろう。
勝負は今月限り、ということになっていた。
セネリオとの戦いもこれが最後。
剣だけでなく、言葉も交わしたい相手は、初めてだ。
「聞きましたよ」
私は言い足した。
「本当は故郷に恋人が、想い人がいるのでしょう? 役目を果たす姿勢は立派ですが――ご自身のことも、大事になさいませ」
セネリオが微かに眼を見開いた。
隙。
相手へ2歩で踏み込む。3歩目は前と見せかけ、右へ。
利き手の反対側へ迂回する私に、向こうは反応が遅れた。
刃を弾くものはない。
「はっ」
突き出した剣は、何かに跳ね上げられた。
「え――」
鞘だ。セネリオは左手に鞘を握り、それで咄嗟に、私の切っ先を弾いていた。
加護〈剣聖〉が叫んでいる。
跳べ、後ろだ、まだ間に合う――!
ぐっと腕を掴まれた。
「もう、離しません」
感じたことのない、熱のようなものを頬に感じた。
紫色の瞳に、私の顔が映っている。
「私が求めているのは、あなただけなのです」
利き手の剣が弾かれる。長い一人きりの戦いが、やっと終わった気がした。
◆
ゴトゴトと馬車が揺れている。
隣国の、セネリオの領地へ向かう馬車は、春の日射を受けながらのんびりのんびりと進んでいた。
私は愛剣を抱きながら、唇を尖らせる。
「――最初に、言ってくれればよかったのに」
どうやら。
セネリオが最初に私に挑んだ理由は、情報通りに国の指示だったらしい。だが私の強さを聞くに及んで、国の方が怖気づいた。
『いいから帰ってこい』という国の命をはね除け、セネリオが私に挑み続けたのは、私に――惹かれてのこと。
気づかないうちに、私達は思い合っていたのだ。
安らいだ顔で苦笑して、セネリオは言った。
「想いを告げるのは、勝った時だと決めていました。でなければ、誠実ではない」
日焼けした頬で屈託なく笑うものだから、勝負の顔をずっと見てきたこちらとしては、可愛らしく感じてしまう。
それもまた、ずるい。
あの鞘で剣を弾くやり方も、修練と対策の末に編み出した奥の手のようだった。
「あなたが聞いた、私に『想い人』がいるという噂も――」
私は口を引き結んで、つんと窓を向いた。
「ええ、ええ! そうですね。あれも――」
「あなたのことです」
「――!」
彼が剣で挑み続けることを不憫に思った市民が、他に恋人はいないのか、と尋ねたらしい。
隣国でこんな令嬢に勝負を挑む前に、もっとお手軽な相手はいないのか、という趣旨だ。
それに『確かに想い人はいる』と本人は応えたが、その遠回しの言葉に尾ひれがついて、『遠くに残した恋人がいる』という風に伝わっていたようである。
「……きちんと裏をとらなかった私も、悪かったですよ」
車窓の外は、春。セネリオと一緒の旅は、新鮮でとても楽しい。
2人で手合わせをするのも最高だ。
お父様は、国内の結婚話を蹴りに蹴った私を、持てあましていた。おかげであっさりと、隣国貴族である彼との結婚に許しを得られた。
〈剣聖〉の加護を持つ娘が国外に出るのは、惜しいかもしれないが――まぁ、領地の人材確保に貢献はしたし、これからは私の幸せを求めてもよいだろう。
「レンシア」
潤んだ瞳で言われて、私は頬をかく。
馬車がごとりと揺らいでも、私達の体幹は揺るがない。彼の腕に抱かれるのは、バランスを崩したわけではなくて、あくまで私の意思なのだ。
「君と一緒になれてよかった」
「こちらこそ」
愛してる、とどちらともなく言い合って、互いに唇を重ね合った。