Black & Rust Belt
夏が過ぎ去る。
彩は最後の授業が終わるや教室を飛び出した。かつては敵だらけだった教室も、今やはばかることない。
階段を駆け下り、駐輪場へ。彼女は眠たそうに待っていた。
すらりと背は高く、艶やかな髪は後ろでひとつにまとめている。
ボタンは二つも開けているが、それでも胸は苦しそう。たんぱく質を取るからか、同年代の子より一回りも二回りも大きい。
梨沙はこちらに気づくと手を振った。
「遅かったね」
「普通に授業受けてただけだから」
そう言う梨沙は今日もサボっていたのだろう。昼休みは一緒に食べたが、午後からは見ていない。
呆れていると、梨沙は自転車を引っ張り出した。
彩は後ろに乗る。腰に腕を回す。筋肉質だが女の子らしい柔らかさもまとう、優しい背中。
梨沙がひと漕ぎすると車体が安定し、走り出す。校門を抜けると川沿いの一本道。スピードをあげる。
「どこ行く?」
「んー……梨沙ってさ、私と会うまでどこで遊んでたの?」
「だいたいずっと練習してたかな。あとは寝てた」
「空手の? じゃあ、道場?」
「とっくに破門されたから、適当な場所見つけてひとりで。行く?」
彩は一も二もなくうなずいた。
川をさかのぼり、街から遠ざかる。
人気が減るにつれ、金属音が聞こえてくる。
いつもの世界と違う、さびれた工場地帯。
隙間もないほどに立ち並んでいた工場も、やがてまばらに。
鉄の音は自然に気圧され鳴りを潜め、土の匂いがとってかわる。
最後の工場を通り過ぎ、さらに10分。山の中に倉庫があった。
自転車がとまる。
「ここ?」
「うん」
中は50メートル四方の空間。壁沿いにラックが並び、鋼材が置いてある。
何年も使われてないのだろう。窓ガラスは割れ、トタンの屋根からはところどころ空が見える。
廃墟の中、明らかに馴染まないオブジェクトが置いてあった。
縄が巻きつけられた、木の柱。
倉庫内のものを駆使して作られたベンチとバーベル。
スポーツドリンクが入っていたペットボトルの残骸。
彩が理解できないでいると、梨沙が柱の前に立つ。
ぶん殴った。ずしんと振動が伝わり、鋼材を揺らす。
縄が巻いてあるとはいえ、木。
それを何度も、何度も殴る。
「ちょ、ちょっと、やめて!」
「え? ……あー、ごめん、びっくりした?」
梨沙に抱き着いて動きをとめる。
梨沙の拳は赤くなり、血もにじんでいた。
縄には黒い染みが無数についている。何千回、何万回も繰り返された、拳の痕。
「え、え? パンチってこんなふうなの?」
「殴って自分の手痛めたんじゃ話にならないでしょ?」
「それは、……そう、なの?」
格闘家の世界の一端を垣間見た。同じ人間とは思えない。恐ろしい。
「こっちも、そういう拷問器具?」
「拷問って……これはただの筋トレ用」
梨沙は苦笑し、ベンチに寝転がる。バーを持ち上げて筋トレの動作をして見せた。
「重いの?」
「このバーは10キロ。横に重り転がってるでしょ?」
ベンチの周りには円盤状の鉄塊が散らばっている。これをはめて使うらしい。
「やってみる?」
「遠慮しとく。これって、何キロくらいでやるの?」
「マックスだと95かなー」
「んえ!? 90!?」
「骨格的にこれくらいが限界っぽいんだよねー。ベンチは空手に関係ないし、いいけどね」
「関係ないんだ」
「うん。それより腹筋とか下半身かなー。ベンチついでにやってただけ。あんま意味ないよ」
「意味なくないよ! 胸の形保つのに大事だよ! 梨沙の大きさなら支える靭帯も強くないと形が整わないでしょ……って、あっ」
失言。
口を押えるも、すでに遅し。
「あー、いや、これはその、違うくて、一般論っていうか、美容に関する知識と申しますかなんというか」
慌てて弁明すると、梨沙が苦笑。
「彩、けっこう見てるもんね、あたしの胸」
バレてた。
死のう。帰って遺言書に、クラスメイトたちへありったけの罵詈雑言を書き連ねて首を吊ろう、そうしよう。
静かに決意を固める。
「触りたいの?」
「いいんですか!?」
決意は吹き飛んだ。人生ってすばらしい。
「女同士だし。気にしないけど」
「女に生まれてよかった」
梨沙はベンチに座ったまま、後ろに手を置いている。体をそらす姿勢になり、胸が強調されて非常にエロい。
彩は隣に腰かける。わずか数十センチの距離に梨沙の顔があった。
鼓動が高鳴る。血が上りすぎて耳が聞こえない。視界は狭まり、梨沙以外のすべてが見えなくなる。
どう触ったらいいのだろう。
がっつり揉むのはさすがに怒られそう。かといって遠慮がちにつつくのもかえっていやらしい。
迷った末、手のひらに力を入れず、胸の上に置いた。
ごわついた生地の制服、固いブラ。その下に、柔らかくて重たい感触。
「めっちゃ緊張してるじゃん。あたしまで恥ずかしくなってくるよ」
あはは、と頭をかく。
その様子がいとおしく、彩は、梨沙に抱き着いた。
「わあ! ちょっと!?」
そして、キスをした。梨沙はのけぞった姿勢のままだったせいで転びそうになる。押しのける余裕はない。
彩は思い切り体重をかけて抱き着き、梨沙の唾液をすする。
「ちょ、ま、落ち着きなって!?」
梨沙がようやく体制を持ち直し、彩から離れた。
そこで冷静になる。自分はなんてことをしたのだろう。
彩はがばっと頭をさげた。
「ご、ごごごごめん! つい、いや、ついで許されることではないんだけど、その、ほんとごめん!!」
返事がない。
もしかして本当に嫌われた?
審判を仰ぐ気持ちで、顔をあげる。
梨沙は、怒っていなかった。ベンチの隅にちょこんと腰かけ、唇に触れている。顔は上気し、わずかに目がうるんでいた。
彩の視線に気づき、はっと居住まいを正す。
「い、いや、別に、驚いただけで、別に嫌だったとかじゃ、ない、から……気に、しなくていいよ」
「え、嫌じゃ、ないの?」
「まあ、そりゃ、……うん」
「えーっと、…………じゃあ、続き、する……?」
「あーはは、さすがにここじゃあね。一応、あたし的には道場だから」
彩はすぐに解決策を思いついた。
しかし口にするのははばかられる。これを言うと本当に、そういうことになってしまう。
けど、さっき梨沙は、嫌じゃなかったと言った。
じゃあ、もしかして、…………いいのか?
「来る途中、ホテル、あったと思うけど」
「え、あー、えっと、……うん」
「今のは、その、相槌のうん、じゃないよね?」
梨沙は観念したように居住まいを正した。
視線を落とし、ぽつりと答える。
「…………うん、行こう」




