解放
水の牢獄に囚われ、どれだけの時間が経っただろう。
ファナにとっては長い時間だ。不意打ちな上、パニックに陥っているせいで息が持たない。苦悶に顔を歪ませ、喉をかきむしる。
これがリサやアルフレッドなら、呼吸を取り戻すことよりも相手への攻撃を優先して状況を打開する。しかし、ファナは研究者。高い魔力のおかげでそれなりに戦うこともできるが、戦いの心得など会得していない。
意識が薄れていく。元素魔法で空気の膜を作ろうとしたが、ラドルフによって妨害される。
ラドルフは椅子に座ったまま微動だにしない。娘が死のうとも、そこに感慨はない。
弱者に生きる価値はない。それがドゥーラン家の価値観。
もがくファナの脳裏に、ひとつの勝機が閃く。
自身の中に閉じ込めているレベル11の悪魔の力の解放。
人間の魔力量と魔力生命体の強さは、15の階層に分けられる。
しかし、それぞれの強さは対応していない。魔力レベル15のラドルフ相手でも、レベル11の悪魔の性能をフルに活かせれば勝ち目はある。
問題はファナの自我。
悪魔の力を解き放てば、確実に肉体の支配権を失う。そうなったとき、ファナの自我がどうなるかはわからない。一時的に気絶するような状態になるのか、完全に破壊されるか。
溺死か、悪魔に魂を売るか。
どちらにせよ、二度とクレアに会うことはできないだろう。
話すことも、お茶をすることも、一緒に出かけることも、何もできない。
(それは、……いやですわね)
自我を失わずに、悪魔の力だけを解放する。絶妙な匙加減。細く危うい綱渡り。
それでも、やるしかない。
ファナは自身の内側に意識を向ける。体外で構築する術式と違い、体の内側における魔力操作は阻害されにくい。
ラドルフは娘の様子を見てとる。
通常、体の内側における魔力操作の意味するところはひとつだけ。
(身体強化か。ろくに体術も使えんくせに。やけになったな)
「つまらん」
使い魔に命じ、水圧をあげる。その気になれば即死させることもできた。それをしなかったのは、どの程度戦えるのかという好奇心にすぎない。
ファナの魔力量なら、拙い身体強化でもそれなりには持つだろう。
椅子に深く座りなおし、のんびりと死を待つ。
ラドルフの背後で窓ガラスが割れた。
(何だ? 魔力の流れは感じたが、知らん術式だな。古典魔法か)
鋭利な破片は魔力に操られ、ラドルフへと襲いかかる。
ラドルフは空気の粘性を操り壁を作った。空中でガラス片がびたりと止まる。
同時に分析魔法を使い、ファナの術式を調べる。しかし、
(解析できん……? いや、そうか、悪魔の固有魔法か! しかしいつ召喚した?)
水の牢獄が破られる。
部屋中に水滴が飛び散った。それはすぐにラドルフの横に集まり、巨大な球をなす。
(液体が引きちぎられた。サイコキネシスか)
「その選択はまちがっておらんぞ、ファナ。まぐれ当たりなら失望だがな」
「ごちゃごちゃうるさいですわね、お父様」
舌打ち、ファナは眼前の敵を睨みつける。
今、ファナは上品に振る舞える精神状態ではなかった。
体の内側で二つの人格が衝突。悪魔の声が脳に響き、思考を掻き乱されながらも魔術を行使しなければならない。
悪魔の持つ魔力は8割解放。もともと自分が持っていた魔力量を上回っている。
さらに悪魔の固有魔法であるサイコキネシス。これを使うには悪魔の意識を通過しなければならないため、そのたびに意識の衝突が起こる。
しかし、サイコキネシスの汎用性は高い。ラドルフを倒すには必須の魔法。
だから、ファナは怒る。強い感情によって自我を確固たるものとする。
「お前はごちゃごちゃ言わずに、わたくしに力だだけ貸せばいいんですのよ!!!!」
ファナから魔力が溢れた。
ガラスの破片、家具、本棚。それらを操り、ラドルフへとぶつける。
単純な攻撃、簡単に防がれる。
しかし、一瞬でも隙ができれば十分。
ファナは悪魔を召喚。
グロテスクな黒い肉塊。表面には無数の目と、歪んだ口がついている。
レベル13,ゾルグガ。
「乱しなさい、あの男の魔力を!」
ゾルグガ、その力は他者の魔力を操ること。
術式構築の妨害はもちろん、生体魔力の魔素配列すらいじる。
「くそ!」
ラドルフは悪態とともに後退。体の内側から強烈な痛みが生じ、腕が黒く変質。
変質させられた魔力が正常な魔力とぶつかり、拒絶反応を起こす。
ラドルフは体外に魔素を放出。変質した魔力を手放す。
同時に魔素の洪水でゾルグガの力も妨害。魔素の放出は術式を使わないため、ゾルグガの影響下でも行える。
ゾルグガの影響から逃れた瞬間、体表面に結界を構成した。
「少しはやるじゃないか、小娘!」
結界以外の魔力はすべて身体強化へ。
そして、第二ラウンドが始まった。




