わずらい
打ち上げの翌日、二人は買い物に出かけた。
雑然とした街並みを縫いながら店を回る。
学園周辺と違い、衛生状態は悪い。下水は整備されておらず、ところどころ強烈な匂いを発している。ゴキブリはもちろん、犬のような大きさのネズミも見かけた。
クレアにとっては見慣れた光景だが、リサには衝撃的だった。
「……やべえ街だね」
素直な感想に、クレアは苦笑する。
「7年前まで、ホムンクルスは経済活動が制限されてたの。一応、市民権は与えられてたんだけど、建築法のせいで住める場所は制限されてたし、職も限られてた。法律自体はもう無効になったんだけど……街はすぐには変わらないみたい」
法律という単語を聞いた瞬間、リサの脳みそが悲鳴をあげる。それでもなんとか話を聞こうと目を開いた。ホムンクルスの歴史や社会的地位なら図書室で調べた。予備知識は皆無じゃない。
リサが頭をフル回転させている横では、クレアも悩んでいた。
リサに対する感情がなんなのか、一晩考えても答えは出ない。
それは置いておくとして、もっと仲良くなる方法はないものか。
(遊びに行く? けど同年代の女の子がどこで遊ぶかなんて知らないし……。とりあえず清潔なところがいいかな。ネズミがいなくて、雰囲気があって、普段より踏み込んでも違和感のない場所)
考えれば考えるほど、周りが見えなくなってくる。
視野は数十センチにまで狭まり、音も聞こえなくなる。
だから、気づかなかった。
「クレア!」
首を掴まれ、引っ張られる。
目の前を栗毛の馬がかすめた。車輪の音、御者の毒づく声。
クレアは投げ飛ばされるように後ろへ下がり、抱きとめられる。
「っぶなー。前見なよ?」
ぽんぽんと、背中を叩かれる。
リサの匂いがした。
近い。ダンスのときよりもずっと。
背中に手を回されている。体が全部、覆われている。胸が痛いくらいに高鳴る。
ようやく、自分のこの感情がなんなのかわかった。理解できたままに、口が勝手に動き出す。
「あ、あの、リサ! 私っ」
「ちょ、ごめん!」
リサはクレアを置いて駆けだした。
馬車の先には人影。子供だ。
リサは馬車の前に出た。子供を抱きかかえる。
飛びのいて距離を取りながら、炎の壁を作った。馬はいななき、前足を上げ、ひっくり返るようにして止まる。
御者が地面に放り出された。馬車の中からは男の悲鳴。
リサは子供を下ろすと、頭をなでた。
「大丈夫?」
子供はきょとんとした顔でリサと、後ろの馬車を見比べ、泣きながら逃げて行った。
子供の背を見送っていると、御者がむくりと起き上がる。
「こんのクソガキ! 危ねえだろうが!」
「危ないのはあんたでしょ。さっきの子、死ぬとこだったよ」
「うるせえ! 平民の分際で。ホムンクルスの一匹や二匹ひきかけたくらいでガタガタぬかすな!」
「ふうん」
すっと、リサは目を細める。
御者からは魔力を感じない。リサもまた身体強化を解き、拳を固めた。
御者が杖を拾い、殴りかかろうとする直前、馬車の扉が開いた。長身の男が出てくる。
「何事だ」
問われ、御者はぴたりと動きをとめる。
「フィンの旦那。……いえ、このガキが」
男、フィンはリサの服を見て眉をひそめる。
「……魔道学院の」
リサが警戒していると、フィンは笑顔になった。
「申し訳ない。大事な商談があってね。遅れるわけにはいかないんだよ」
「さっきの子と友達がひかれかけたんだけど」
「本当にすまない。これで許してくれないかな?」
懐から金貨を取り出す。リサはそれを払いのけた。
「気高いね」
フィンが言うのと合わせて、背後に忍び寄っていた御者が杖を振り下ろした。
リサは振り向きもせず受け止める。
御者は杖を引くが、びくともしない。
「居住区を出るまでなら探知魔法で追える。安全運転で、ね?」
「……肝に銘じよう」
杖を離すと、御者がすっころんだ。毒づくも、フィンにたしなめられて御者台に戻る。
馬車は走り去る。クレアが駆け寄って来た。
「大丈夫?」
「平気平気。寝不足のアルくんの方が百倍怖い」
笑い、「行こ」とクレアの手をとった。
クレアはリサの横顔を覗き見る。息が苦しい。
あのとき、自分は何を言おうとした?
いっそあのまま言ってしまえばよかったのかもしれない。
けど、拒まれたらどうしよう。もっと時間をかけて、仲良くなって、そのほうがいいんじゃないか。
ひとつ答えがわかっても、また別の悩みが生まれる。
懊悩は深まるばかりだった。




