エザルカ家
国の果てにある、深い森。
森の一部と化した、巨大な屋敷がある。
門には蔦が絡まり、石畳は木の根に埋まり、壁は苔むしている。
ニーナは実家の有様を見てため息をついた。王都の宮殿に住みたいとは思わないが、だからといって廃墟に住むのはごめんだ。
これなら寮にいた方がずっといい。去年まではそうしていた。しかし今は気になることがある。
玄関の扉に手を当てる。金具が錆びついているせいでびくともしない。
「メルクリウス」
言うと、水銀の人形が主人の道を開いた。
中の空気が溢れてくる。冷たく、埃っぽい。
殺風景なホール。
奥には螺旋階段。天井にはろうそくが乗った形跡のないシャンゼリア。
カーペットも、棚も、花瓶も、何もない。がらんどうの空間。
母曰く、「われわれには必要のないものだ」
「だからって遊び心くらい持てばいいのに」
次来るときは絵でも買ってこよう。
心に決めて、ホールを横切る。
壁際にある床のタイルをはがした。すると地下へ続く階段があらわれる。
魔法で光源を出し、冷たい空気の中へ足を浸した。一段降りるたび、気温は冷えていく。
地下室は広大で、どこまでも続いている。
床には書物やノートが散らばり、その上に菌糸がはびこっている。フラスコの中には三百年前から閉じ込められている“何か”がかさこそと音を立てる。光はないのに視界は機能し、すべてを見渡せた。
ここはルイ・エザルカの実験室。未発表の研究や、未知の魔道具がそこら中に広がる、魔術師にとっては宝の倉庫。
ニーナはそれらを横目にしながら部屋の奥まで歩いた。光源(ここでは意味のないものだが、あったほうが人間的だと、ニーナは思う)を移動させると、壁際にある人物を照らした。
何百年も前からそこにあるような石像があった。
完璧な造形美。大理石の椅子に腰かけ、物憂げに頬杖をついている。背中からは無数のチューブが生え、床をのたうち回って壁の中へと消えていく。栄養補給のためのものもあるが、それ以外はすべてアカシックレコードとの接続用だ。テレパシーによる接続も可能だが、物理的に中枢神経と繋いだほうが効率的だ。
一国の領土すべてを守るためには必要なものだ。
すべてを監視し、対処する。そのためにはひとつの脳みそでは処理しきれない。
ニーナもいずれあそこに繋がれる。万を越える意思の中に自我は埋没し、国防のための魔道具として命尽きるまでこの場に閉じ込められる。
ぞわりと悪寒が走った。
ニーナの気配に反応し、石像が動く。病的に白い皮膚が伸縮し、血が通い始めた。
目を開いた。ニーナも視線をぶつける。
「おはよう、ママ」
ニーナの母、バーバラ・エザルカ。
最強の魔術師。公爵家にして、国防大臣を世襲する一族の長。
彼女は意思なき瞳で娘を見据える。
「なんの用だ」
「娘が親に会いに来ちゃいけないわけ?」
軽口を言っても、返事はない。
ゴーレムだってもっとかわいげあるのにと思うが、口には出さなかった。
「気になる子がいるの。とんでもない魔力持ってて、妙な術式を使う。既存の古典魔法にない。たぶんあれ、外宇宙がらみじゃない?」
「イルセナ歴799年2月16日、8時44分21秒から55秒にかけてゲートが発生した。魔界から開けられたものだ。そこから来た人間だろう」
「いや、知ってるなら教えてよ!」
「なぜ」
「娘に手紙書く口実なんてなんでもいいでしょ。……って、わかったわかった、そんな目で見ないでよ。ゲート開けたのって、なに?」
「レベル13.8971の魔力生命体。おそらくシュレイグブラットだろう、98.25%生体魔力が合致した」
「全部知ってる! ああ、もう、ほんとにこの国防大臣は。仕事しろ!」
「契約は国内での武力行使を禁じている」
「ママってほんとに頭かっちかちだね。脳トレでもしたら?」
「われわれに固有の脳はない」
「そのチューブ引きちぎってやろうか」
「国防大臣の職務妨害、傷害。第一級犯罪だ」
「へー。私を逮捕できる人なんてママ以外にいるんだ? ふーん?」
あおったところで、バーバラの瞳は冷たいまま。
負けたのはニーナのほう。ため息をつき、踵を返す。
「しばらくこっちいるからね。たまには家の掃除しないと」
「必要ない」
「必要なくてもやるの。あと、たまには普通のご飯食べなよ。血管にブドウ糖ぶち込んでるだけじゃ心は満たされないんだよ?」
心など存在しない、決まりきった答えを聞くのがいたたまれず、ニーナは逃げるように地下室を飛び出した。




