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女上司シリーズ

女上司からの送別品「ペアチケット」が意味深すぎる

作者: 墨江夢

 突然だけど、「人はどうして仕事をするのだろうか?」という問いについて考えてみたいと思う。


 回答その1、お金の為。石器時代じゃあるまいし、我々が現代日本で生きていくにおいてお金は必要不可欠なものだ。食べ物を買うのにもお金がいるし、住む家を借りるのにもお金がかかる。

 お金がなければ生きていけないし、逆にお金を沢山持っていれば充実した生活を送ることが出来る。そう考えると、確かにお金の為に働いているというのも一つの理由だろう。


 回答その2、社会の為。世の中を少しでも良くしたい、人々の為に何かしたいという信念から仕事に臨む者も、当然いるだろう。

 このご時世、やり甲斐を求めて転職する社会人も多いわけだしな。確かに社会の為に働いているというのもまた、一つの理由だろう。


 回答その3……は、もういいや。働く理由なんて人それぞれだし、それ故挙げ出したらきりがない。

 結局俺の言いたいことは、「人によって仕事をする理由は異なる」ということで。


 それじゃあ、俺が仕事をする理由は何かって? そんなの決まっている。女の為だ。


 俺・櫻井響(さくらいひびき)には、好きな人がいる。

 木幡志津乃(きはたしづの)。彼女は俺より2つ年上の先輩で、俺の所属する営業部の主任。つまり俺とは、上司部下という関係にある。


 新人の頃、志津乃先輩は俺の教育係を担当してくれていた。

 仕事が出来て、人に教えるのも上手くて、優しくて可愛くて、そのくせたまにドジっ子で。

 そんな先輩に好意を抱くのに、そう時間は要さなかった。


「最初に内定をくれた会社だったから」。そんな理由だけで勤め始めた会社だったけど、後悔なんてこれっぽっちもしていない。


 好きな人と一緒にいられる。それだけで、不思議と働くことが楽しくなってしまう。

 志津乃先輩がいないなら、毎朝満員電車に揺られながら出勤したり、低賃金の為にせっせと働いたりするものか。


 これからもずっと、俺はこの人と一緒に仕事をしていきたい。片思いが実ることはないのだから、それくらい神様にねだったってばちは当たらないだろう。

 そう思っていたのに……


【命 櫻井響を、経理部へ異動とする】


 予期せぬ辞令は、俺の目の前を真っ暗にした。





 異動の数日前、会社近くの居酒屋で、俺の送別会が催された。


 送別会には部署のメンバー全員が参加してくれて、勿論その中には志津乃先輩も含まれている。

 部署が変われば、仕事終わりに飲みに行こうなんて機会もなくなるだろう。だから最後くらい先輩の隣に座りたかったんだけど……そんなこと口走ったら、告白しているのと同じだもんな。俺は言われるがまま、部長の隣に腰掛けた。


 送別会といっても、日頃の飲み会と大した違いはない。実際会話内容も、会社への不満や各々の趣味に関することばかりだし。

 因みに俺は、延々と部長から「営業の心得」とやらを聞かされていた。もうすぐ営業じゃなくなるというのに。


 送別会が中盤に差し掛かったところで、部長が一つ咳払いをして、皆の注目を集めた。


「えー、それではここで、櫻井くんへ激励の言葉を贈るとしよう。ただ、全員からとなると時間がかかってしまうからな。皆を代表して、木幡くんにお願いしたい」


 突然の指名だったにも関わらず、志津乃先輩に驚いた様子はなかった。恐らく事前に部長から打診があったのだろう。

 それでも皆を代表することに多少は緊張しているのか、心なしか顔が赤いように思えた。


「僭越ながら、皆さんを代表して櫻井くんに言葉を贈らせていただきます。櫻井くんが新人だった頃、私は彼の教育係を担当していました。入社したての彼は垢抜けなさと頼りなさが滲み出ていて。……まぁ、今も少し頼りないところがあるんですけど」


 志津乃先輩の冗談で、一同から笑いが起こる。


「それでも櫻井くんは、会社や部署の為に頑張ってくれました。いつも前向きで、素直で、一生懸命で。そこが櫻井くんの良いところであり、尊敬すべきところだと思います。新しい部署に行ったら覚えることも多くて大変だと思うけど、あなたらしさを存分に発揮して、頑張って下さい」


 志津乃先輩の言葉を受けて、俺は胸がジーンとなった。

 同時に、罪悪感も覚える。

 違うんだよ、先輩。俺がいつも素直で、一生懸命だったのは……会社の為でも部署の為でもない。先輩の為だったんだよ。


 それから俺は志津乃先輩から、送別品として小包を渡される。

 中に入っていたのは、オシャレなネクタイピンだった。


 志津乃先輩からの言葉と送別品に、俺は感謝を返す。

 それから部長の音頭で3本締めを行ない、送別会はお開きとなった。


「お疲れ様ー」と口々に言いながら、皆はそれぞれ帰路に立つ。

 明日も仕事があるので、俺も早々に駅の改札口へ向かおうとした。のだが。


「櫻井くん、少し良いかしら?」


 ふと、志津乃先輩に呼び止められる。


「時間は取らせないわ。5分だけ、私に付き合って貰えない?」

「別に構いませんけど……場所を変えた方が良いですか?」

「そうしてくれると助かるわ」


 志津乃先輩に連れられて、俺は近くの公園にやって来る。


 時刻は既に午後10時を回っている。園内には、俺たち以外誰もいなかった。


 ベンチに座ると、志津乃先輩が自販機で水を買ってきてくれた。


「珍しく飲みすぎたみたいね」

「好きで飲んでいたわけじゃないですよ。部長に飲まされていたんです。あの人、ペース早すぎでしょ」


「ありがとうございます」。俺は先輩からペットボトルを受け取る。


 夜風のせいもあってか、酔いはだいぶ覚めてきていた。

 俺は水を一口飲んでから、早速本題を切り出す。


「で、どうして俺を公園に連れて来たんです?」

「それは、その……はい、これ」


 恥ずかしいのか、志津乃先輩は顔を背けながら、俺に茶色い封筒を差し出してきた。


「えーと……今日の請求書?」

「そんなわけないでしょ! どこの世界に、当人の送別会費用を出させる上司がいるのよ! ……それは、送別品よ」

「送別品なら、さっき貰いましたけど?」

「もうっ! 察しが悪いわね! さっき渡したのは、みんなからの送別品! これは私個人からのものよ!」


 成る程、合点がいった。

 先輩はこれを渡す為に、わざわざ俺を呼び止めたのか。


 茶封筒一つくらいサッと渡せば良いものを、皆の前だと恥ずかしいからとこんな回りくどい真似をするとは。本当、可愛らしい女性だ。


 正直なところ、先輩から個人的に送別品を貰えるなんて思ってもいなかった。

 品を貰えたことよりも、贈るに値するくらいには特別だと思って貰えているという事実が、何より嬉しかった。


「ありがとうございます。……折角なんで、開けてみて良いですか?」


 俺が茶封筒の封を切ろうとすると、先輩は慌てた様子で「ダメ!」と叫ぶ。


「開けるのは、家に帰ってからにして。どう使うのかは……櫻井くんの自由だから」

「……わかりました」


 どう使うのかって、中身は現金なのだろうか? いや、先輩に限って、現金なんて生々しいものを贈ったりしないだろう。


 意味がわからないまま、俺は先輩と別れる。

 帰宅後、シャワーを浴びる前に封筒を開けた。中に入っていたのは……遊園地のペアチケットだった。





「うーん。これは一体どういうことだろうか?」


 テーブルの上に置かれた遊園地のチケットを眺めながら、俺は思考を巡らせる。


 遊園地のチケット自体は、送別品として妥当なものだといえよう。

 特に俺みたいなインドア派の人間は自発的に遊園地に行こうとなんてしないから、そういう意味でも良いチョイスだと思う。


 ただ問題は、これがペアチケットだということだ。


 偏見全開で言うけれど、遊園地のペアチケットを使うのはカップルくらいだろう。

 しかし俺には、彼女がいない。一緒に行くべき相手がいない。


 当然志津乃先輩も、俺に恋人がいないことを把握している筈だ。だとしたら、一体どうしてペアチケットなんて贈ってきたのだろうか?


「どうせ使い道がないんだし、さっさと換金しろってことなのか? それとも、早く彼女を作れってこと? まさか……部長と二人で行けとか、そんなおぞましいことを示唆しているんじゃないよな?」


 俺は思ってもいない推理を口にする。……部長と二人でメリーゴーランドに乗るとか、想像するだけで地獄だな。


 志津乃先輩がどんな意図でペアチケットを贈ってきたのか、本当はもうわかっていた。

 都合の良い解釈だと思われるかもしれないけど……先輩きっと、俺と一緒に遊園地に行きたくて、ペアチケットを贈ったのだ。


「……」


 俺は唇に手を当てる。

 鏡を見なくても、自分の顔が真っ赤になっていることくらい容易に想像出来た。


 俺はあと数日で、経理部へ異動する。先輩とは別々の部署で仕事をすることになり、当然一緒に過ごす時間も激減する。

 それが嫌だと思っていたのは、どうやら俺だけじゃなかったみたいだ。

 

 ……にしても、先輩もつくづく素直じゃないな。

 ペアチケットを贈って暗に「デートして下さい」と言うなんて、ほとんど告白しているようなものじゃないか。


 だけど厳密には、彼女は告白していない。

 俺からデートに誘われることを、切望している。

 だとすると、俺が次に取るべき行動は――


「……よし」


 ペアチケットの使い道は決まった。


 翌日。

 俺はいつもより早く出社する。

 志津乃先輩もまた、普段よりずっと早くし会社に来ていた。


 それは偶然か、或いは意図的か。

 期待のこもった先輩の瞳が、その答えを物語っている。


「おはよう」の挨拶をしてから、俺は先輩に尋ねる。


「先輩、週末って空いてます?」

「……どうして?」

「実は、その……遊園地のペアチケットを貰ったので、一緒にどうかなーって」


 先輩は心底嬉しそうに、頷いて見せるのだった。

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