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月と太陽

「今週のお手紙が届きましたよ」

 そう言って、侍従のロジェが、寝台の上で本を広げていたアルベルクに封書を差し出した。


 ロジェはアルベルクが五歳になった時に『友人』として引き合わされた。アルベルクよりも二歳上で、侯爵であるネルヴァル家の次男だ。ネルヴァル家の者はこの国には珍しい黒髪黒目をしていて、ロジェも黒曜石のような髪と瞳を持っていた。

 侯爵子息である彼は頭も切れ、容姿も優れている。十八にもなれば王宮でもそれなりの仕事を任されていてもいいはずだが、気の毒なことに、アルベルクの侍従を押し付けられていた。

 二年ほど前、ロジェが十六になった時に、父王に別の職務を与えてもらえるように掛け合おうかと言ったことがあるのだが、何故か、その後三日間、まともに口をきいてもらえなくなった。それきり、その話は立ち消えになったのだが、今でも、アルベルトは優秀なロジェを自分の元に引き留めておくことに釈然としない思いを抱えている。


「ありがとう」

 受け取った封書からふわりと微かに漂った香りは菫の花のもので、まさしくその手紙を書いた人を思わせる。


 菫色の瞳と、温かな春の大地のような焦げ茶色の髪の少女。


 リリアーヌ・ブランシュ。


 それが、手紙の差出人であり――アルベルクの婚約者でもある少女の名前だ。


 アルベルクは手紙の封を開ける。便箋に記された文字はまだ幼さを残していて可愛らしい。文章は拙いながらも生き生きとしていて、リリアーヌの楽しい気持ちが伝わってくるものだった。

 思わずアルベルクがクスリと笑みを漏らしたとき、扉が叩かれる。

 傍らに立つロジェを見上げると、彼は扉まで歩み寄り、外にいた者を招き入れた。


「兄上! リリアーヌから手紙が届いたと聞きました! 僕にも聞かせてください!」

 弾む声で言いながら、金髪緑眼の少年が駆け寄ってこようとした。が、サッとロジェが手で制する。

「フェリクス様、いつも申し上げておりますが、もう少し――」

「いいよ、ロジェ。おいでフェリクス」

 渋い顔でたしなめようとするロジェに苦笑し、アルベルクは少年を手招きした。彼はパッと顔を輝かせ、再び寝台に突進する。

「お加減いかがですか、兄上」

「今日は調子が良いよ。朝から起きていられる」

「良かった! お熱が下がったのですね。昨日も一昨日もお伺いしてはダメだと言われてしまったから、心配しました」

「ありがとう」

 満面の笑みを浮かべるフェリクスの頭を、アルベルクはくしゃりと撫でる。


 ――カルヴェ国には王の息子が二人いる。

 一人は正妃を母に持つ第一王子アルベルク、もう一人は、今しがた飛び込んできた少年――側妃を母に持つ第二王子フェリクスだ。

 アルベルクは内向的ではあるが思慮深く、彼が王になれば堅実で穏やかな治世となるだろうと周囲の者は噂する。一方、アルベルクよりも五つ年下のフェリクスは外交的で、軽さと紙一重な屈託のなさがあるものの、年経た暁には、明るく華やいだ国づくりをしてくれるに違いないと期待されていた。二人とも父譲りの豪奢な金髪をしていたが、その目はそれぞれの母の色を受け継いで、アルベルクは澄み渡る空のような紺碧を、フェリクスは萌え始めた木々の葉のような新緑をしている。

 正反対のその気質から、アルベルクは月に、フェリクスは太陽にたとえられていた。


「新しい手紙はそれですか?」

 目聡くアルベルクの手の中にあるものに気づき、フェリクスが身を乗り出してくる。無邪気なその様をアルベルクも可愛いと思い――同時に、ほんの少し、妬ましくも思う。

「ああ、そうだ」

「白い猫の話、出てきますか?」

「ああ。馬で彼と駆けっこしたらしい」

「わぁ! いいなぁ。僕もしてみたい」

「でも、護衛に危ないから二度としないようにと、叱られてしまったそうだよ」

「それは、イヤかな……」

 ヤンチャをして何かと教育係に叱られることが多いフェリクスは、首をすくめた。が、すぐに顔を上げる。


「駆けっこはダメかもですが、僕も随分馬に乗れるようになりました。今度、兄上も一緒に遠乗りに行きましょう」

 期待に満ち満ちた眼差しで言ったフェリクスから、アルベルクはつと目を逸らす。

「そうだね」

 答えはしたが、アルベルクは遠乗りどころか馬の鞍にまたがったこともなかった。

「やったぁ! 約束ですよ?」

 喜びをあらわにするフェリクスだったが、守れない約束に頷いても良いものか。

 口ごもったアルベルクに、ロジェが助け舟を出してくれる。

「フェリクス様、そろそろ歴史の先生がいらっしゃるお時間です」

「え、ホント? じゃあ、行かなくちゃ。兄上、早くお元気になってくださいね!」

 フェリクスはピョンと身を起こし、来た時同様の勢いで部屋を出ていった。


「フェリクス様には、もう少し、落ち着きと思慮深さをお持ちになっていただきたいところですが……」

 ぼやいたロジェに、アルベルクは苦笑する。

「あの子はまだ幼いから」

 そう、幼ささえ抜ければ、きっと、フェリクスは立派な王となるだろう。

(僕とは違って)

 アルベルクは膝の上で手を握り締める。

 フェリクスの無邪気さは、時々、彼に痛みをもたらす。


 序列で考えれば、母の身分からも生まれた順からも、アルベルクが王太子だ。

 だが、満場一致でそうはならない――いや、むしろフェリクスを推す声が大きい理由が、アルベルクにはあった。

 気質や能力、ではない。

 アルベルクの身体的な問題故、だ。


 十六年前に第一王子アルベルクがこの世に産声を上げたとき、国中が喜びに沸き返った。しかし、一年もしないうちに、その声に不安の響きが滲み始める。

 アルベルクは生来虚弱で、立って歩けるようになる年まで、何度も生死の淵を彷徨った。公の場に出るよりも寝台の上で過ごす時間の方が長かった。自身の生誕祭でさえ、出席すればその後七日は寝込む。

 たとえ聡い頭を持っていようが、それを発揮できる体力がなければ何の意味もない。果たすべき役割を持ってこの世に生を受けたアルベルクは、それを果たすことができなかったのだ。


 後継ぎとして危ぶまれる王子を産んだ正妃は、その後、身ごもる気配がない。王は側妃を迎え、まもなく彼女が身ごもった。生まれてきたのは、アルベルクとは正反対に、元気いっぱいの泣き声を上げるフェリクスだ。

 フェリクスが生まれたことで、王族として為すべきことを為せないアルベルクは、『期待されない王子』になった。アルベルクに向けられていた期待は、フェリクスに注がれるようになったのだ。


 その滅多に民の前に姿を現さない王子アルベルクは、十歳になった時、婚約者を得た。


 ――ブランシュ公爵家の娘、リリアーヌを。


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