ひととの関り
すみません。
前話(『この身の中の』)を加筆したので、この部分は前回投稿したものと同じです。
「最近、何かお悩みなのだそうですね」
ひょこりと執務室に顔を出したフェリクスがそんなことを言ってきた。
「……ロジェか?」
ジロリと睨んだアルベルクに、フェリクスは頷くことなくニコリと笑った。
いつもはアルベルクの傍に貼り付いている有能な補佐の姿が、今はない。休憩のための茶を淹れてくるとは言っていたが、この間の良さは弟と示し合わせていたのが明らかだ。
フェリクスが言うように、アルベルクは、今、悩みを抱えている。
執務には影響していないはずだが、ロジェが気にする程度には態度に出ていたということか。
アルベルクはため息を一つこぼしてフェリクスに眼を向けた。
「お前は、女性の相手をするのが上手かったな」
兄の言葉にフェリクスは小首をかしげて頷く。
「? まあ、そうですね。僕は女性が好きですから」
もっとも、女性が、というより、フェリクスは老若男女問わず、誰とでもうまくやれるのだが――アルベルクとは違って。
渋い顔をしているアルベルクを、フェリクスはしげしげと見つめてくる。
「リリアーヌのことですか? 仲良くされているようですが、何か問題でも?」
「問題、というほどではないが……」
フェリクスには、彼女とアルベルクが打ち解けているように見えるのだろうか。
確かに、少し前までならアルベルクも今のリリアーヌとの関係で満足できていた。彼女が傍に戻ってきたというだけで、全てを取り戻せた気になれていた。
だが、あの『声』のせいで気付いてしまったから、足りなくなってしまったのだ。
本当のリリアーヌを、彼が知るリリアーヌを、取り戻したいと思ってしまった。
かつての、花が咲くような彼女の笑顔を再び見る為には、どうしたら良いのか。
アルベルクは他力本願だと思いつつ何度も頭の中の『声』に問いかけてみたが、やはりいつものように何も返っては来なかった。
リリアーヌの微笑みを見るたび『違う!』『こんなのじゃない!』と騒ぐくせに、じゃあどうしたらいいのかと投げても一向に打ち返してくれない。
アルベルクと離れていた間、リリアーヌは何をしているときに笑っていたのだろう。
何が、彼女を幸せにしていたのだろう。
それが、アルベルクの頭を悩ませている『問題』だ。
執務机に肘をつき、組んだ両手の上に額をのせて、アルベルクは言葉を選ぶ。
「……リリアーヌが何を好きなのか、私は知らないんだ」
共に過ごした幼い頃の彼女は、本を読むのが好きだった。だが、それは、病床のアルベルクに合わせただけだったのではなかろうか。
少なくとも、『声』がもたらす記憶の中の『楽しそうなリリアーヌ』は、室内で黙々と何かに取り組むよりも、自由闊達に外を駆け回る姿の方が遥かに多い。
ボソリと呟いたアルベルクに、フェリクスは一瞬目を丸くし、小さく笑った。
「何だ?」
「いえ、兄上は本当にリリアーヌのことがお好きなんだな、と思って」
そう言ってから、フェリクスは生真面目な顔になる。
「兄上は、今まであまり人と関わろうとしてきませんでしたよね」
図星を指されてアルベルクは唇を引き結ぶ。渋面の兄に、フェリクスはどこか寂しげな、おとなびた微笑みを浮かべた。
「兄上は――お身体のこともあったし、人と距離を置いてしまうのは仕方がないことだと思います。まあ、実際、メンドクサイことも多いですしね」
機微に敏いこの弟は、アルベルクが未だに他人に対して冷淡なのは、病弱だったということだけが理由ではないと判っているのだろう。引きこもっていたアルベルクとは違って早くから大人たちの間に入るようになったフェリクスの耳には、アルベルク以上に様々な雑音が忍び込んでいたことだろう。
そんな屈託を、この弟は一切感じさせないが。
「必要最低限の言葉は交わしているよ」
「それって、本当に『最低限』ですよね。業務連絡並の。それって、『交流』とは程遠いです」
フェリクスの台詞はまさに正しく、アルベルクはぐうの音も出ない。
だが、興味がない者と交わす言葉など、彼は持っていなかった。関心がない相手との意味のない会話など、時間の無駄でしかない。
その気持ちがアルベルクの顔に表れていたのだろう。
フェリクスが苦笑する。
「どれだけ面倒でも、僕たちはこの社会で生きているのですから、人と関わりを持たずにいることはできません」
それはある種の義務なのだと、フェリクスの声には、十五歳の少年らしからぬ響きがあった。
優雅な魚さながらに人の間をスイスイと泳いでいるように見えても、その胸の内には色々と思うものがあるのか。
「フェリクス」
思わず名を呼ぶと、弟はフッと表情を緩めた。そうして肩を竦める。
「僕は基本的には人が好きですから、何だかんだ言って、嫌じゃないんですよ。八方美人をするのもね」
愛想一つで円滑に進むのなら、安いものですとおどけた口調で言って、フェリクスは笑った。
(僕よりもフェリクスの方が、よほど為政者としての心構えができているのだろうな)
アルベルクは自嘲する。
自分は、幼い。
その自覚はある。
物心つく前から殆どロジェと二人きりで過ごしてきて、彼が社交の場に立つようになってからまだ二年ほどだ。対人面の能力は二、三歳程度でしかないのだろう。
アルベルクの行動原理は常にリリアーヌだ。
再会する前は、『リリアーヌを取り戻したい』。
再会してからは、『リリアーヌに相応しい者になりたい』。
――まさに幼児のように視野の狭い想いで、王太子たろうとしている。
(結局、私利私欲で動いているだけだ)
確かに、王位を継ぐための知識は身についている。
だが、想いはどうだろう。
(僕は、このままでいいのか……?)
リリアーヌに並べる者になりたいと願うなら、もっと、本質的に変わらなければいけないのではないだろうか。
「お前の方が、彼女に相応しいのだろうな」
思わず口から転げ出していた苦い声。己を卑下する台詞に、アルベルクはハッと我に返る。フェリクスを見れば、鮮やかな新緑の瞳を大きく見開いて、アルベルクを凝視していた。
五つも年下の弟に嫉妬混じりの愚痴をこぼすなど、我ながら情けなさ過ぎて二の句を告げずにいるアルベルクに、フェリクスは真面目な顔で深々と頷いた。
「確かに、リリアーヌのことは大好きですよ」
「ッ!」
息を呑んだ兄に、一転、ニヤリと笑う。
「あくまでも、兄上を幸せにしてくれる人だから、ですけどもね。リリアーヌのことはとても可愛らしいと思いますが、僕の女性の好みからは少し外れています」
「お前……」
睨み付けるアルベルクの視線など涼しげに受け流し、フェリクスは続ける。
「ほらね。こんなに一緒にいる僕の考えだって、聞いてみるまで解からなかったでしょう? 相手のことを知りたいなら、言葉を交わすしかありません。何が好きかお知りになりたいなら、そのまま、何が好きなのかお尋ねになればいいのです。眺めているだけで解かることなど、そうはありませんよ」
まあ、どれだけ話し合っても理解し合えない人もいますけどねと、フェリクスは笑って付け加えた。
「兄上は少々お口が不自由ですから、ちょっとしゃべり過ぎなくらいがちょうどいいですよ」
最後にそう残し、フェリクスは片手を振って去っていった。
「まったく、気楽に言ってくれるな」
静かになった執務室で、アルベルクは独りぼやいた。
次いでふと笑みがこぼれた丁度その時、執務室の扉が再び開き、茶の用意を手にしたロジェが入ってきた。
「何か良いことでもありましたか?」
シレッとした顔でそんなことを訊いてくるロジェに、アルベルクは一瞬どう答えるべきか迷う。
目をすがめて見つめるアルベルクに、彼は「何か?」と首を傾げた。
問うたところでロジェに話す気がないならごまかされるのが関の山だ。
不本意ながら、思いつく言葉は一つだけだ。
「……ありがとう」
ムスリとアルベルクが呟くと、ロジェは一瞬微かに目を見開いて、「どういたしまして」と返してきた。




