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やり直しの獣は愛しい花に触れられない  作者: トウリン
王子と希望の花

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10/22

唯一の道標

 王宮の最奥にある、小さな離宮。


 整えられた庭の中に佇むそこにアルベルクが居を移してから、五年が過ぎた。

 療養が離宮に入ることになった理由だったから、彼を訪れる者などほとんどいない。『腫れ物に触る』どころか、触れられるほど近くに来る者が、いないのだ。


 アルベルクは一日の大半を寝台の上で過ごす。時々、調子が良いからとほんの少し歩き回ったりすると、必ず翌日起き上がれなくなる。そのたびロジェには「だから言ったでしょう」と渋い顔をされるのだが、つい、また、試みてしまう。


「この五年間、一度も公の場に顔を出すことがなかった僕のことなど、きっと、誰も期待していないのだろうな。というより、僕を覚えている者の方が少ないかもしれない。焦ったところで、何の意味もないか」

 無理をして寝込んだアルベルクにいつものお小言を口にしたロジェに自嘲混じりでそう返すと、彼は唇を引き結んだ。

「そんなことはありません。皆、アルベルク様が元気なお姿を見せられることを心待ちにしております」

「『皆』か」

 アルベルクは唇を歪めて繰り返した。

 その『皆』は、いったい、何人いることやら。


 と、会話が途絶えたところでメイドが訪問者の報せを持ってきた。


「フェリクス様がいらっしゃいました。お通ししてもよろしいですか?」

「いいよ。通してやってくれ」

「アルベルク様、今日はまだ……」

「大丈夫だ」

 ロジェの気遣いを片手を振って払いのけ、アルベルクは寝台の上で身を起こした。ロジェはため息をつきつつも枕を整え、アルベルクが起きていられるようにしてくれる。

 変化が乏しい離宮の日々の中で唯一変わったのは、弟王子フェリクスがアルベルクの元を訪れるようになったことだ。

 姦しい子どもはアルベルクの身体に障るからとずっと出入りを止められていたが、フェリクスが十歳になった時に解禁になった。それからは、三日とあけずにやって来る。

 王太子の座を巡る周囲の大人の思惑などどこ吹く風で屈託なく懐いてくる弟は、どこかリリアーヌを思い出させた。

 健康そのもの太陽のような弟を妬む気持ちがアルベルクの中に全く無いとは言えない。だが、無邪気な眼差しで慕ってくるさまを可愛く思う気持ちの方が遥かに大きかった。

 ――今は懐いていても、いずれ、ものが解かるような年頃になれば、フェリクスもまたアルベルクから離れていくに違いないが。


「ご機嫌いかがですか、兄上!」

 元気いっぱいで飛び込んできた少年は、ロジェの姿に気づくと寝台から数歩離れたところでピタリと立ち止まった。いつも、もっと静かにするようにと注意されるからだ。

「フェリクス、おはよう」

「おはようございます、兄上」

 手招きするとパァッと顔を輝かせ、駆け寄ってくる。


「兄上、リリアーヌの手紙をお持ちしました」

「君がかい?」

「はい、廊下で小間使いと会って、兄上のところに持っていくと言うから、じゃあ、僕がやるよって」

 小間使いも気の毒に。王子に持って行かせる不敬と、王子の言い分を拒否する不敬と、どちらの方が重いかさぞかし悩んだことだろう。

 アルベルクは苦笑を噛み殺しながら、フェリクスが得意げに差し出す手紙を受け取った。

 リリアーヌからは週に一度手紙が届く。この五年間、途切れることなく続いていた。したためられているのは、楽しそうな日々の様子だ。


『背が伸びました。今にアルベルクさまを追い越してしまうかもしれません』


『真っ白な仔猫を拾いました。白というよりも銀色と言った方が良いかもしれません。紅い目で、すごくきれいな子です。とても小さくて心配でしたけれど、すっかり元気になりました。この子がこんなに元気になったのですから、アルベルクさまもきっと元気になります』


『馬に乗れるようになりました。ちょっと速く走らせたら、リュカに怒られてしまいました。でも、とても気持ち良かったです。アルベルクさまと一緒に駆けたいと思いました』


 リリアーヌの手紙には、そんな、楽しいことばかりがちりばめられている。読むたび、アルベルクの中には早く彼女に会いたいという気持ちが募っていった。


「兄上、今日の手紙には何て書かれているのでしょう?」

「ん? ああ、そうだな。開けてみよう」

 身を乗り出しながらのフェリクスの催促に、アルベルクは封を開ける。取り出された便せんに、少年の顔がパァッと輝いた。

 王宮から出られないフェリクスもまた、リリアーヌの手紙は宝箱のように思えるのだろう。


 アルベルクはしたためられている文章を読む。

「飼っている猫と一緒に、森を散歩したそうだよ。でも、迷って、またリュカに叱られたそうだ――って、黙って森に入ったのか!?」

 普通、公爵令嬢は一人で森の中を散策などしないだろうし、そもそも屋敷の庭に出るのがせいぜいだろう。何事もなかったから良かったものの、護衛のリュカも気が休まることがないに違いない。ロジェも心配症だが、リュカの方はその必要があって口うるさくなっているようだ。さすがに、少しばかり彼のことが気の毒になる。

(まったく、あの子は変わらないな)

 一見おとなしげなのに、その行動力には驚かされる。

 淑やかたろうと取り繕おうとしても隠しきれない好奇心旺盛なところや、『貴族令嬢』という型には嵌め込んでおけない自立心。淑女としては不適切なのかもしれないが、それらは、リリアーヌをリリアーヌたらしめている、大事な要素だ。


「リリアーヌはいつでも楽しそうですね。僕も森に行ってみたいなぁ」

 羨望を含んだ声でこぼしたフェリクスの頭をアルベルクはくしゃくしゃと撫でる。フェリクスとリリアーヌは、色々な意味で、良く似ている。

(きっと、会えば気が合うのだろうな)

 並べば、恐らく、アルベルクよりも似合いの二人と言われるようになるのだろう。

 そんな考えが頭をよぎり、胸がちくりと痛む。それを無視して、アルベルクはフェリクスに微笑みかけた。

「そうだな。それには馬に乗れるようになったり、獣に襲われても戦えるようになったりしないとだ」

「そうですね! 僕も頑張ります! 兄上、また来ます!」

 フェリクスは勢いよく頷いて、パッと立ち上がる。そうして、つむじ風のように部屋から駆け出していった。


 フェリクスを見送ったロジェが、やれやれというように小さく息をつく。

「……アルベルク様、お茶をお淹れしましょうか」

「ああ、頼む」

 ロジェの心中が手に取るように判って、アルベルクは苦笑を噛み殺しながら答えた。そうして、再び手の中の便箋に眼を落す。


 リリアーヌの手紙には、いつだって、楽しいことばかりが書き綴られている。

 そして、最後にはいつも「一緒に頑張りましょう」という一言があった。「アルベルクさまと一緒に大好きなこの国をより良いものにしていきたいです」と。

 リリアーヌは、恐らく、アルベルクを信じる唯一の存在だ。

 アルベルクにとって、彼女からの手紙は数少ない外とのつながりで、そして、唯一の未来を見つめる為の道標だった。それがなければ、彼はとうに全てを諦めていたに違いない。

 毎週届く手紙の文字が段々と大人びていくことに、アルベルクはリリアーヌの変化を実感していた。変わっていく彼女の傍に居られないことが、口惜しかった。


 リリアーヌに会いたい。

 ――会いたい、けれども。


 アルベルクは、骨と皮ばかりの手をギュッと握り締める。

 リリアーヌには、この姿を見せたくない。寝台から出ることさえも叶わない、情けないこの姿を。

 早く健康になって、堂々と二本の足で立てるようになって、リリアーヌに会いたかった。


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