05. 購入品の後始末
「あー。砂糖たくさん買ったのはいいけど、これどうしよう……」
道のド真ん中で俺は、200キロの砂糖とにらめっこしていた。日本のスーパーでも、砂糖はだいたい1キロずつ売っている。あの袋が200個分もあるのだ。
ボチャーナト商会のお兄さんが荷車をサービスしてくれたから、幸運なことに運べないという状況は回避できている。あちらとしても、他人の物となった品を店の前に詰まれるのは迷惑だったようだ。
それでも日本と違って袋は密封じゃないし、すぐに捌かないと固まっちゃいそう。
ただでさえバーリントとの対決を終え、どっと精神的にも疲れているというのに、目の前には砂糖の山がそびえ立っている。
せめて100キロにしておくんだったな……。仕方がないから押し売りでもしようかな。
「あ、あの!」
「ん?」
俺が頭を抱えていると、後方から声をかけられた。
振り向くと、そこにいたのは先程の少女だった。
「さっきはありがとうございました!」
その少女が俺に向かって頭を下げると、亜麻色の髪が揺れる。
契約書には、彼女・ラウラの借金を帳消しにするという内容も含まれていた。わざわざそのお礼を言いに来てくれたらしい。
てか、この子はあの後、どうやって商会から脱出したんだろう?
「あなたが助けてくれなければ私は――」
「あ、いえ、大丈夫です。俺としてもそちらを利用しただけですから」
これは紛れもない本心。もし小数点だってバレたら自分だけでも逃げようと考えていたなんて、口が裂けても言えない。
それなのにラウラには、俺の態度が謙遜に見えたらしい。
「それでもあなたが助けてくれなければ、今頃私は変態どもの慰み者にさせられていました。ちゃんとお礼を言わせてください」
なぜだろう。“変態”という言葉に、俺は胸を深く抉られる気がした。
ただでさえ、前世の死因のせいで美少女はちょっとトラウマ。ラウラと仲良くなれるチャンスだと、心が躍るようなことは決してない。
もう用がないなら、これ以上傷つく前に俺はこの場を離れようとした。
「そんじゃ――」
「待ってください!!」
「ちょわっ!?」
ところが、ラウラはそれを許さない。
不意に腕をつかまれ、俺はブルっと身震いした。過度の運動不足に加えて荷車があるもんだから、素早い動きが取れない。スピードでは、杖つき老人を除けばまず敵わない。
「な、何か……?」
「あんな危険を冒してまで私と助けてくれたんです。せめて、せめて何かお礼をさせてください」
「いえ、ホント大丈夫なんで」
「そんなこと言わないで!」
か、顔が近い……! 恐怖と羞恥が入り混じった感情がこみあげてくる。
これだけ接近されると、バリアを使ってもラウラまで防護対象とされる。今の俺に、この状況から逃れる術はない。
「はぁ……。それじゃあ、1つお願いしたいことがあるのですが…………」
観念して、彼女に要望を伝えることにした。
♦
ラウラの家は、しがない八百屋だった。
体が弱い母親と、2人の弟妹で切り盛りしている。ラウラは少しでも家計を支えるため、冒険者として日々稼ぎに出ているとか。
俺より1つ年上の16歳だというのに、人間としてかなり差が開いてる気がする。否、俺は14歳で人生が一時停止しているから、事実上2歳差か。
彼女の家が庶民向けのお店をやっていることは、俺にとって都合がよかった。砂糖をラウラに押し付、ゲフンゲフン……渡して、その販売を委託することにした。
ラウラは冒険者をやっているだけあって容易に砂糖を運んでくれたが、そんな彼女は魔術師だという。ますます冒険者をやる自信がなくなっていくよ。
「賃金は2万フォートでいいですか?」
「そんな、恩人からお金をいただくわけには……」
「いいからいいから。ただ働きさせたらアイツらと変わんない。それともラウラさんは、俺をあの連中の同類だと思ってますか?」
「えぇ……ち、ちがっ! そんなつもりじゃ…………」
…………ちょっとは思ってたんだ。
「はい。じゃあ、決まり!」
ボチャーナト商会は、砂糖1キロあたり1,000フォートで販売していた。別に高品質といわけではない。単純にぼったくりなだけ。
そこで俺は、1キログラムで200フォートと設定する。1キロずつ売るとして、200袋。全部売れてもせいぜい4万フォート。
砂糖って毎日買うような物じゃないよね。1日10袋も売れればいいから、完売までに20日かかると仮定する。
すると、ラウラの賃金は1日当たり1000フォート。
どこかのブラック企業もビックリの低賃金だ。
とは言っても、ラウラたちはいつもの商売の片手間で砂糖を売るだけだ。売り場の一部を削るだけで必要経費はさほど変わらず、お小遣いがちょこっともらえる程度の感覚だろう。
俺としては元手6フォートで、さらに寝転がってるだけでお金が入ってくる。これぞまさしく濡れ手で粟。
今日から砂糖が売り切れるまでしばらくは、恩を着せたラウラの家で厄介になって宿代と食費を浮かす予定だ。理想のヒモ生活、万歳。
就活? 資金を手に入れてからね。
「はい、砂糖の売り上げ2万フォート!」
「……………………え?」
俺がラウラの家に上がり込んでからおよそ1時間が経過した頃、ラウラが小銭で膨らんだ袋を俺のところまで持ってきた。
うたた寝していた俺は、理解が追い付かず瞬いた。
にわかには信じがたい。
庶民が朝から晩まで働いて稼げる額が、だいたい5,000フォートなんだ。
…………そうか。俺を追い払うために、貯蓄を崩してきたな。笑顔でごまかそうったって、俺には通用しないぞ。
「いや、お金は売れてからでいいって……」
「だから、売れたのよ」
「……はい?」
一瞬ラウラの言葉の意味を理解できず、俺は石化した。
「しかもお客さんたちがついでに他の商品も買ってくれて、お店は私が生まれて以来の大盛況! 今夜は久しぶりにお肉が食べられるわ!!」
「……………………」
琥珀色の瞳を輝かせるラウラを見れば、ぐうの音も出なかった。
どうしてこうなった? ……いや、当たり前か。
砂糖は庶民にとって生活必需品の1つ。それが普段の5分の1、80パーセントオフで買えるとなれば、そりゃ皆殺到するわ。
聞くところによると、俺が決めた値段は、ボチャーナト商会の息がかかっていない地域の相場よりも格安らしい。そもそも砂糖は貴重だ。ラウラによると、ボチャーナト商会の販売価格ですら世間一般の2倍程度に過ぎなかったというのだ。
それを知ってたら、もっと値段を釣り上げてたのに……。否、ボチャーナト商会からいっそのこと1,000キロくらいせしめていたら良かったんだ。後悔先に立たず。
結局、ラウラを時給2万円で働かせたことになる。何か損した気分。
ああ、夢のヒモ生活が……。
所持金に2万フォートがプラスされる。15歳の小遣いとしては多いかもしれないけど、俺はこれで生活していかなければならない。
宿の相場ってどれくらい? 1週間はもつかな? ヒキニートだったせいで、この世界の物価とが全然分からない。
「それでね、お母さんがキリルも一緒に夕飯どうですかって」
「ぜひお願いします」
現金なヤツだって?
今日は疲れたんだよ。明日のことは明日考えよう。
♦
「はいどうぞ。召し上がれ!」
「お、おぅ……」
まさかの一汁二菜。
ラウラが今夜はお肉って言ってたから、てっきりすき焼きみたいなの想像してた。小さい肉団子が2つだった。
今朝までの俺は、一応とはいえ貴族の御曹司。それなりに良い物を食べてたんだ。いやいや、1人分プラスだからってケチってないの?
「おお! 姉ちゃん、肉だよ肉!! スープもある!!」
「いつもモヤシだけだもんね!」
「こ、こら! お客さんの前でそういうこと言わないの」
ケチってなんかなかった。一家にとっては、ものすごく贅沢だったみたい。
一瞬でも疑った自分が恥ずかしい。ごめんなさい。
「キリル、何で泣いてるの?」
「泣いてません。自分、ドライアイなんで」
久々に外を歩いたからね。目に風が入って乾くんよ。
奥からラウラのお母さんも出てきて、夕餉が始まった。
「キリルさん、こんな貧相な食事で申し訳ありません」
「いえいえ。独り寂しく食事するより、皆で食べる方が楽しいですから」
本音と建前を使い分け、適当にその場をしのぐ。いくらただ飯とはいえ、居心地は芳しくない。
子供たちはそんな俺の存在など気にも留めず、あっという間におかずを平らげる。
「姉ちゃん、肉もっと食べたい!」
「ラート、1人2個なんだから我慢しなさい」
「はいはい。ほら、私のをチョマと2人で分けなさい」
「「わーい!」」
「ちょっとお母さん!」
ラウラの母が自分の小皿を差し出し、幼い2人がフォークを伸ばす。
「いいのよ。私はあまり食べられないから」
「しっかり食べないと、体も良くならないよ」
早々に食事を終えて子供たちが部屋を出ていくと、俺は小母さんの症状が気になって尋ねてみた。
貧しい家だと、栄養が足りずに体を壊すのも珍しくないだろう。
「風邪ですか?」
「多分そうよ。ずっと風邪が長引いてるの。でも、キリルのおかげでお母さんの薬が買えるの。これできっと良くなるわ」
「ずっとって、どれくらい?」
「もう何年も続いているわ。もっと早く薬が買えればよかったんだけど……」
そう言ってラウラは顔を曇らせ、小母さんは申し訳なさそうに娘を見つめた。
てか、何年も続く風邪って、それはもう風邪じゃないよね。
「付かぬことを伺いますが、微熱が続いて体がだるかったり、寝てる時に一杯汗かいたりしてませんか?」
「ええ。よく分かりましたね」
これ、病名分かったかも。恐らく結核。甲斐の虎・武田信玄をも苦しめたといわれる不治の病。
歴史にはまった時、ついでに死因となった病気も調べてたんだよね。梅毒とか腎虚とか。
「キリル、もしかしてお母さんの病気知ってるの?」
「まぁ、名前くらいなら……」
「ホント!?」
安易に呟くと、ラウラが顔を明るくする。
そんな眼で見つめないで! 病名と治療法が分かってても、その手段がないんだよ。結核の治療は薬物療法。当然、そんな薬がこの世界にあるはずがない。
「何て言うの?」
「……結核と言います」
無駄に期待させてしまったことへの申し訳なさで、俺はボソッと病名を呟いた。
ラウラ初耳とばかりに、母と顔を見合わせる。
「ケッカク? 聞いたことない名前」
「他にも、労咳とも言います……」
「老害!? お母さんはまだ若いし、そんな人じゃない!! なんてヒドイことを……」
「うぐっう! だずげでぇぇぇぇ!!」
激高したラウラは俺に詰め寄り、首元を締めてきた。
危うくもう一度死にかけたところで小母さんがラウラをなだめ、ようやく解放された。できれば、もう少し早く助けてほしかった。
「それで、治せるの?」
「それは、そのぉ……」
俺が口籠ったせいで、ラウラの顔が絶望に染まる。
知らなくて損することはあっても、知ってて損することはあまりない。けれど、事実を知ることは、必ずしも希望になるとは限らない。むしろ、その反対が多いと思う。
「ハッキリ言って!」
「…………治せないです、はい」
「そ、そんな……!!」
「いいのよラウラ。私はあなたたちと一緒にいられて幸せだったわ」
「うぅ、お母しゃん……」
母娘が抱き合い、俺はいたたまれなくなって俯く。
あー、何でこんなところにいるんだろ。明らかに場違いじゃん。
「あぁ、教会に行けたら回復魔法をかけてもらえるのに……」
「あら?」
ラウラの呟きに、俺は思わず顔をあげる。
「仕方ないのよ。教会に行ったら、ものすごく高いお金を取られるわ。それより私は、あなたたちにお腹いっぱいご飯を食べて欲しいのよ」
「お母さんがいないとヤダ~。お母さんがいてくれるなら、ご飯なんていらない~」
俺は何を見せられているんでしょうね。
完全に2人だけの世界に行ってしまって、部外者は置いてけ堀だ。
「あの~。お取込み中すみません」
「何よ……? まだいたの?」
母の懐にしがみついていたラウラが、赤くなった目を俺に向けてくる。
この状況で言葉をかけることに、どれだけ勇気が必要だっただろう。
「使えますよ、回復魔法」
「「…………はい?」」
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