04. 契約書はよく読んで
「さて、砂糖をご所望とのことですが、どれくらいお求めになられますか?」
番頭の男はバーリントと名乗り、俺との交渉が始まった。
いざ面と向かって座ると、一気に緊張が沸き起こってくる。
「そうですね、……200キロくらいは欲しいところです」
声を震わせまいと気を張るも、目尻に若干の湿り気を感じた。
「ほう、個人で消費するにはあまりにも多い量ですな。そんなに買われてどうされるのですかな?」
バーリントは俺の感情など興味がないようで、淡々と質問してきた。
一応成人年齢に達しているとはいえ、こんな子供が業者みたいな注文するから不思議に思うのも当然か。
「お菓子でも作ってのんびり暮らそうかなと。余ったら適当に処分すればいいですし」
「それはいいですね~。お店を開かれるのでしたら、私めもぜひ伺わせていただきます」
「ありがとうございます」
もし俺が転売したとしても代金はしっかり懐に入っている。それに、200キロという上限があるから、大した問題にはならないとでもバーリントは考えているんだろうか。
「それで、砂糖200キロとなりますと、だいたい相場が――」
「あー。それについてちょっとお願いがあるのですが……」
「運搬用の台車でしたら、お付けしますよ」
「いいんですか!? ……って、そうじゃないんですよ」
バーリントからの思わぬ申し出に、俺はちゃっかり反応してしまった。
たしかに台車付きはありがたい。今の俺なら5キロで音を上げるわ。200キロとかどうやって運べばいいのやら。
「相場よりもいい値で買うので、この子の借金を見逃してほしいんですよね」
「えっ!?」
この店に来てからというもの終始無言を貫いていた女の子が、ようやく声を出した。言葉にはなっていないけれども。
その言葉を聞いて、お兄さんがバーリントに耳打ちする。
「ほほう。その子の借金は500万フォートと聞いています。その分代金に上乗せすることになりますが……」
「大丈夫です。こちらの値段でいかがでしょうか?」
言って、俺は懐から1枚の紙を取り出し、机に置いた。
バーリントはフランクフルトみたいな指で紙を取り上げると、文面に目を落とした。やがて、紙面の文章を見た彼が目を丸くする。
『売買契約書
売主・ボチャーナト商会と買主・キリルは、以下の通り契約を締結する。
第1:目的物は、砂糖200キログラムとする。
第2:売買代金は、総額6.000.000フォートとする。
第3:売主は買主の支払いと引き換えに( )の金銭債務を免除し、今後一切関りを持たないこととする。
第4:売主は、代金を受け取り次第目的物を引渡す。
(以下略)』
「いち、じゅう、ひゃく、せん…………。ひゃ、ひゃく万!? 600万フォート!!」
「何ですって!?」
バーリントの叫びに、始めて女の子が言葉を発した。
600万フォート。それだけあれば、そこそこ良い外車が買えるよ。この世界の庶民がそれだけのお金を稼ぐのに、一体どれだけの歳月を要するのか……。
「……ダメでしょうか?」
「いえいえいえ、そんなことございません!!」
バーリントが慌てて、汗が飛び散る。汚ねぇ。
(ボチャーナト商会では、砂糖を1キロあたり1,000フォートで販売している。それでも相場の倍以上。十分すぎるほどの暴利だ。
ところがこのガキは、その6,000倍の金額を提示してきた。本来の売値と小娘の借金50万フォートを合わせても、余裕でお釣りが溢れる。どうせ恩を着せて、見目の良い娘の関心を買おうとしているのか? 何がしたいのかは分からんが、こちらにとっては都合が良いことには変わりない……。
だが、あまりにも虫が良すぎる。本当にそんな大金を出せるのか……?)
とでも考えてるんだろうなぁ。
欲深いこいつらが、俺の申し出に喰らいつかないはずがない。ただ、あまりにもおいしすぎると、さすがの悪徳商人も疑っちゃうよね。
「今回の取引はたくさんの砂糖を目的とするので、契約魔法を使いたいと思うのですがどうでしょうか? 丁度その紙にも魔法陣を書くスペースを残してますし」
契約魔法とは、当事者双方に義務を強制的に履行させるために用いられるもので、違反すれば呪いとなって義務者を苦しめる。
契約書に魔法陣を書き、魔術師を介在させて両当事者が一滴の血をかけることで成立する。
もし契約魔法を使えば、俺はイヤでも双方が合意した砂糖の代金を支払うことになる。
むしろバーリントのほうからお願いしたいことだっただろうから、これを断るはずがない。
「ええ。そうしていただけると、こちらとしても助かります」
そしてそのまま、契約魔法を発動させることになった。
少女に名前を()に記入させ、スキンヘッドが魔法陣を書く。
ボチャーナト商会は高額の取引をすることもあるから、いつ契約魔法が必要になってもいいように、常にその用意をしているのだろう。
大抵は、強引に詰め寄って一方的な契約を結ばせるんだろうけども。
ところで何気に針で指を刺すの、痛い……。
注射は目を背けるタイプだけど、ここに白衣の天使はいないから自分で刺さなければいけない。だって他はいかつい野郎しかいないんだもん。絶対ヒドイことになるじゃん。女の子は今、情緒不安定みたいだし。それに多分、俺は敵認定されてるからね。
なかなか刺さないもんだから、お兄さんたちに笑われたよ。
やっとのことで自分を傷つけ、傷口を舐めるふりして回復魔法をかけておく。
「それでは早速代金の方を……」
「はいはい、分かってますよ。即金でいいですよね?」
俺の言葉に、バーリントだけでなく皆が訝しげになる。
それもそうだろう。600万フォートの現金払いとなれば、金貨600枚となる。軽装の俺が、そんなお金を所持しているようには到底見えない。
「もしかして、伝説の収納魔法ですか?」
「いえいえ。そんな大したものはありませんよ」
収納魔法、アイテムボックスか。俺も欲しかったな……。
地獄送りを免除してもらった身としては、わがままを言えたものではないけど。これでも、全く魔法が使えないってなるよりはマシなんだよなぁ。
内心でため息をつきつつ、俺は赤褐色のおはじきを6枚、机に置いた。
「はい、6フォート」
「「「………………え!?」」」
出された銅貨6枚を見て、室内の皆が硬直する。
そんな中、俺は「何か文句でもあるか」と言わんばかりに眉をひょいと持ち上げた。
「いやいやいや。お客さん、契約書には600万フォートと……。おい、なんで契約魔法の呪いが発動しない……!?」
ここでバーリントが異変に気付いたようだ。
当事者が契約違反をしようを思った時点で、魔法の呪いは発動する。
ところが、現に代金を踏み倒しているはずなのに、俺はケロッとした顔のまま。全く苦しむ素振りを見せない。
「…………どういうことだ?」
「どうもこうも、俺は契約書の通りにお金を出しただけですよ」
「何を言って……。んな、まさか!?」
食い入るように契約書を顔に近づけたバーリント。ようやくトリックが分かったらしい。
その契約書には、こんなことが書いてあった。
『売買代金は、総額6.000.000フォートとする』
ちなみにこの契約書は、さっきトイレに籠った時に書いてきた。
まさか誕生日の欲しいものリストが契約書に変身するなんて。ペンは部屋にあったのを、ちょろっと拝借したよ。
『6,000,000』じゃないんです。『6.000.000』なんですよ。
小数点が2個とかおかしいんじゃないかって? ふふ~ん。2個目に見えるのはペンのシミなんだよ。表に書いてある文字が滲んだようだね。
魔法陣が書かれてある面の文章についてしか効果はないから、裏が白紙でなくでも問題ないのだ。
6.000000、すなわち6。
ここに日本のミンポーはない。
俺が金額をハッキリ口にしたわけでもないから、詐欺にもならない。
※日本でやったら立派な詐欺罪になります。絶対にやらないでください。契約自体も無効です。
嵌められたと知ったバーリントは肩をプルプルと震わせ、怒りを露わにしている。
「……貴様、騙したな」
「言い掛かりは止めてください。俺は“こちらの値段”と言っただけで、そちらが勝手に勘違いされたのでしょう。さ、早く砂糖をくださいな」
定価の30倍と思っていたら、実は0.003パーセント。いくら暴利とはいえ、さすがにこれでは元も取れないだろう。
正直、こんなにも上手くいくとは俺自身も思ってなかった。子供だと侮られたことが幸いしたね。
「おい、お前たち。コヤツをブチのめせ!!」
「「「へいっ!!」」」
バーリントの指示に、いかついお兄さんたちが一斉に襲い掛かってくる。屋内で剣を振り回すとか、備品が傷ついてもお構いなしだというのか。
凶刃が迫る。バーリントはニヤリと笑みを浮かべ、女の子は目を見開いて口元を両手で隠す。
「「「うわっ!?」」」
キリル・スラクシンの命運もこれまでかと思われたが、刃は弾かれ、男共は尻もちをつく。一瞬何が起きたのかと、理解が追い付かなかった様子でキョロキョロしてる。
……いかんいかん、ここで笑っちゃ恰好がつかぜよ。笑わないでもう少し、最後まで堪え抜けて。
「な、なんだ……?」
「ええい! 何をしている!!」
バーリントが喚き散らし、下っ端が再度攻撃を試みるも、何度やっても結果は同じ。防御と回復は天下一品。これがなかったら、こんな危険なマネはできなかった。
俺は椅子からおもむろに立ち上がり、静かに言う。
「悪足搔きしても無駄ですよ。さ、早く砂糖をくださいな」
「ぐぬぬぬ……。う、ぐあああああ!!!!」
詰め寄ると、唸っていたバーリントが苦しみ出した。商品の引き渡しを拒もうとしたため、契約魔法の呪いが発動したのだろう。
かなりきついみたい。金輪際、契約魔法とか使いたくないわ。
余談だが、この一件以来ボチャーナト商会が契約魔法を使うことは滅多に無くなったらしい。