『短編ガチャ』『1話ガチャ』は果たして悪なのか
今回はちょくちょく話題に上っている『小説家になろう』における「短編ガチャ」「1話ガチャ」(以下『ガチャ』と略します。)について、主に作者目線、そして私も他の人の作品をよく読んだりしますので少しだけ読者目線、この両方の視点から個人的な意見を好き勝手書いてみようと思います。
【『ガチャ』とは】
まず、『ガチャ』についてですが、これはなろう作家がとりあえず思いついた話を1話だけ上げて読者の反応を見て、芳しくなければそのまま放置または削除をして次の作品を書き始めるという行為のことを指すようです。
これに関して、詳しいメリットデメリットについては、他のエッセイにおいても取り上げられているためここでは割愛させていただきますが、「短編として載せているのに起承転結がしっかりしていない」とか「1話ガチャは読者を大切にしていない」という点が問題視されているかと思います。
※以下はあくまで『私個人』の見解であり、全てのなろう作者、読者の皆さんに当てはまる訳はないです! ということを予め断っておきます。
【読者視点から『ガチャ』を見てみる】
読者の視点に立って『ガチャ』を考えた場合、やはり一番問題になってくるのが「楽しみにしていた作品が更新されなくなってしまう」ということです。読者側からしてみれば、好きな作品の続きが謎のまま終わってしまうということはかなりモヤモヤしてしまうポイントだと思っていて、ゆっくりでも更新を続けてもらいたいと思う方も多いと思います。
例えば
「好きな漫画を今まで全巻買ってきたけど突然続きが描かれなくなってしまった!どうすんのこれ?」
といった意見の場合、今まで読者のが漫画につぎ込んできた資金面等を鑑みればそれを理由に作者を責めることは理にかなっているかと思います。
しかし「なろう」の場合はどうですかね? 無料で読めて小説も数多の作品から選び放題。1話で切られたら次探せばいいんです。そんな目くじらを立てるような事ですかね?
もしどうしても続きが気になるなら読者側もアクションを起こすべきです。幸い、「なろう」にはポイント評価、感想機能があります。好きな作品にはポイントを付けて感想で好きをアピールすべきです。それがエタりを防止する力になります。
作者は作品を書くのに一定の労力を使っています。何もアクションをせずに、『ガチャ』されたから読者に失礼だーと言うのはちょっと違うのかなと思っています。
しかし、全体としてやはり読者目線で見ると『ガチャ』に対する印象は悪い。私もそう思います。
【作者視点から『ガチャ』を考える】
作者が『ガチャ』をする理由は「もっと作品を読まれたいから」これに尽きると思います。前述しましたが、作品を書くのには労力がかかります。精神的、肉体的に結構参ってしまうことも多いです。そんな時に、どうせ書くなら読まれる作品を書きたいと思うのは自然なことです。
自分ではどうしてもどの話がウケるのか分からないですから、50人に楽しんでもらえる作品よりも、それを書くのをやめてでも100人を楽しませられる作品を模索したい。これは、「最大多数の最大幸福」の観点から考察しても間違いではないです。
ただ、100人をとった場合でも50人を切り捨てていることには変わりありません。これは作者も自覚すべきだと思います。
結局、「自分の書きたいもの」で「読者の好みにもマッチしたもの」を書くのが、エタらずに書き続けられるベストな結果だと思います。そのために試行錯誤しながら『ガチャ』しているという方も多いでしょう。
作者目線で見ると『ガチャ』は自分の更には読者のために行っている行為だと言うこともできるでしょう。
【結論】
読者目線で考えた場合『ガチャ』は悪であって、想いを蔑ろにする行為ですが、作者目線で考えるとあながち読者のことを考えていない行為には思えないです。問題は、読者と作者の認識、考え方の乖離にあると思います。読者は作者にしっかりとリアクションをしてあげて、それに対して作者も真摯に作品で応える。これができない限りは『ガチャ』現象は続くと思います。双方の歩み寄りが大事です。
私はどちらかというと『ガチャ』容認派ですが、問題提起だけして何も解決策を示さないのは嫌いなので、より多くの読者に小説を楽しんでもらうために、作者、そして「小説家になろう」運営さんには以下のことを提案したいです。
〇短編において『ガチャ』する場合の「プロット」状態での投稿
〇「プロット」ジャンルの新設
作者がお話を思いついた場合、プロットを書いて投稿する。そして、反響の大きかったプロットを小説として書き始める。読者は、プロットを見て、書いて欲しいと思った作品に積極的に反応する。こうすれば作者は読者に嫌われる『ガチャ』行為を減少しつつ、作者も「書きたいもの探し」ができるのではないでしょうか。