プロローグ
「どういうことだ!」
中年の男声が|叫ぶ。
「逃げられたぞ? 管理は完璧ではなかったのか?」
老いた男声が呟く。
「そもそも、アレに『逃げる』なんていう行動を起こすのが不自然ね」
若い女声が告げる。
「創った奴が何か細工をしたとしか思えねぇよなぁ?」
乱暴な男声が響く。
「……感情を持たせる事は全員の意図として決まったハズだ。その結果に僅かな不確定要素が生まれるという事も」
知的な声が応じる。
「決めつけはよくねぇってか? まぁその辺りの原因は後々に考えるとして、結構マズイ状況なんじゃねぇの? これ」
「追っ手を出す。不格好な形になるが完結させる事はできる」
「勝てるかしら? 【英雄】以外の存在で」
「候補は何人かいる」
「ならば、この件はアナタ任せます。他に妙案のある者は発言を」
老いた女声がまとめる様に場に決を取る。
「ない」
「任せる」
「ないわ」
「右に同じ」
「総員の一致によりこの件はアナクフィに一任します。アナクフィ、アナタは創造主の責任において結末を違えた竜を処理しなさい」
間違いがあってはならない。
結末は決まっているのだ。
竜は死ぬ。英雄によって殺される。
何度も修正した。何度も確かめた。完璧な物語が完成する手前だった。
だが竜に逃げられた。死ななかった。ならばどうする?
殺すのだ。
首を斬り落とせ。心臓を貫け。血と命を物語に捧げるのだ。
この不出来となった『英雄と竜』の物語を完結させよ。
竜ヲ殺セ―――
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
全身がいたい……
雨が酷使した身体を更に消耗させていく。
葉や大地に落ちる雨音はうるさい程に我の音を隠してくれている。歩く事さえもままならない身体は息をする度に激痛が走った。
しかし、その激痛が【英雄】との死闘を思い出させる。
引き裂かれるような激痛は身体中に負ったいくつもの傷が原因。致命傷はないものの、少し派手にやり過ぎたかもしれない。
「アハハ……ざまぁみろ」
身体の深手が些細な事に思えるくらい心はとても清々しかった。
出し抜いてやったのだ。ここなら奴らは手を出せない。
直接干渉するなら全てが台無しになるからだ。手間をかけて、何度も軌道修正した純粋なこの世界を破壊するという事は今までの苦労が水の泡になる事を意味している。
「だが……少々難解だな」
これからどうするかは正直ノープランだ。どこに出るのかは解らなかったが、雨の降る森の中とは隠れ蓑として都合が良い。
とにかく傷の回復。心臓の魔力の使用を深い傷から優先して回復させる。
「ん……流石は我の【英雄】だ。中々のドラゴンキラーだな」
傷が治り難い。これは傷口を再構築する時間と手間と、それを維持する魔力が必要だ。
自分が深手であるように【英雄】にも簡単には修繕できないダメージを負わせてあるため、すぐには追って来ないだろう。
殺す、殺される関係が必要であるからこそ、どちらかが圧倒的になる事はない。
「……腹へったなぁ」
空腹感が妙に気になる。そんなモノがある事に驚きだ。他にもこの世界に来たことで追加された機能があるかもしれない。
「……体温維持まで回せないか」
肌寒さを感じ、傷の修復が思った以上に魔力を使っていることを把握。このまま死ぬことは無いが、何かに苦しむのは本意ではない。
木の幹にを手を添えて立ち上がる。激痛は億劫だが、今は我慢。瞳に意識を集めて広範囲を見渡す。
「竜眼は普通に使えるな」
本来の機能は元のままだ。視線が低いのは気になるが目立つ危険と比べれば仕方のない事。今後の為にも、この姿でどこまでできるのか把握しておきたい。
「……そうだ。自由なんだ。アハハ」
何でも出来るんだ。傷を治したら空を飛ぼう。この世界を隅から隅まで旅をしよう。そして――
≪竜ヲ殺セ≫
「!? バカな!」
もう来たのか!? いくらなんでも早すぎ――
「おい、大丈夫か?」
幾つかの木々を挟んで一人の青年が近づいてきていた。明らかにこちらを視認している。
浮かれていて気付かなかった?
竜眼の死角にいた?
魔力の反応を捉え損ねた?
雨の日に森に一人……?
明らかに不自然。アイツらの追っ手……敵……敵だ!
生きる事を前にして冷静な判断など取れなかった。この傷では逃げ切る事も出来ない。ならばやる事は一つだ。
回復を停止し、残った魔力を攻撃と身体能力に転用し飛び掛かる。
「おいおい」
バサッと視界を覆われた。青年の着ていたローブが視界を覆うように投げられたのだ。
関係あるか! 吐き出す咆哮がローブごと向こう側にいる人間を焼き払う。濡れた草木が燃えるほどの高熱が扇状に放たれる。
着地と同時に傷から血が滴る。傷口が開いたのだ。だが顧みている余裕はない。
「怪我人相手に本気を出すつもりはないんだが」
青年は生きていた。放った咆哮が直撃しない斜め下に潜って、被害を最小限に収めていたのだ。
「お前は手加減できるヤツじゃないらしい」
「ガァァ!!」
鱗を腕に出現させて青年に拳を振るう。木を砕きつつも勢いが衰えない一撃は人の身体など簡単に貫く威力があった。
「【白虎】『白尾』」
だが、拳は狙った青年の頭の上を通過するように外れた。そして、次には胸の中心に鈍い衝撃が身体に響く。
「【玄武】『一門』」
意識が飛びかけほどの一撃は青年の肘打ちから生まれたモノ。ただの打撃ではない。足の力を維持できないほどに内部に響く。
「かは……」
思わず前に倒れ込むが青年が支えた。怪我をした生物に容赦のない攻撃。非情なのか優しいのか分からないが、そんな事を考えている余裕はなかった。
抱き止められていたが、それでも抵抗するようにその肩に噛みつく。だが、牙は形成できない。それだけの意識と魔力が残っていなかったのだ。
「必至だな」
力なく噛みついていると青年が訊いてくる。
「……もう……死にたくない……」
ふり絞って出た言葉は無意識の願望だった。
「お前は死ななくていい」
その言葉は今まで聞いた中で一番優しい声色で耳に残る。そして、張り詰めた意識を手放すことに抵抗はなかった。
雨が二人を呑み込むように一層強くなる。
資源の豊富なアスルの森はこの時期になると大雨に見舞われる。雨期のアスルの森は特に危険とされ近くの村では入る事を固く禁じていた。
それでも事情があり、この時期に森に入る必要がある時は雨を見定める必要が出てくる。
アスルの森に関しての深い知識と経験を持つのは当然として、不測の事態を回避する対応力と雨期でも動き回る魔物を退ける戦闘力が必要だった。
森に存在する雨を凌ぐ安全エリアの把握も必要な事。その内の一つである洞窟に青年は少女を運び込んでいた。
「ん……」
少女はゆっくりと意識を取り戻す。視界を照らすのはパチパチと音を立てる焚き火の光だった。
「起きたか」
外を見ていた青年は彼女が目を覚ました事を察し、焚き火を挟んで対面に座る。
「ああ、起きた」
彼女の身体は乾いたローブに包まれている。体温を落とさないために彼が配慮したのだろう。
「怪我は大丈夫か?」
ここまで彼女を運んだのだ。青年は怪我の具合も把握している。
「おかげさまで治った」
意識を失った際は生命維持に全ての魔力が当てられるようになっている。出血は止まり、浅く傷が残る程度までに回復していた。
「は? 嘘つけ」
青年は彼女の言い分を信じられない。彼女はローブをめくって、深傷のあった箇所を指す。
「本当にだって。ほら、こことかこことか」
「わかった、わかった! 見せなくていい!」
彼女は青年が保温の為にも渡しているローブ以外何も着ていないのだ。
赤らめる青年に彼女はキョトンとしたが、その意味を理解し、悪戯を思いついたように悪い笑みを作る。
「照れてるのか? 可愛い奴め」
「うるさい」
「まぁ逆に無反応だったらそれはそれで安心でもあるのだがな。それなりに欲情しているところを見ると貴様は一般的な肉欲を持っているようだ。と言うことは我の姿は異性を魅了するには十分な容姿であると他者から見ても証明されたと言うことだ。そもそも美少女と言う定義は個々の趣味に由るところもあるから男だけではなく女からの意見も聞きたいところだがどう思う?」
「お前がめんどくさい奴だって事はわかった」
熱が覚めたように青年は冷静になって少女に小さな包みを投げる。
「これは?」
「ただの干し肉。腹が減ってなくても口に入れとけよ。また倒れられると困る」
「おや? 我は貴様にのされたと記憶しているが?」
「減らず口が優先か? 肉返せ」
「やなこった」
桜色の髪は背中に届くほど長い。吸い込まれるような翠色の眼は細い瞳が縦に入りは蛇の眼を連想させる。童顔で小柄ながらも、その肢体はローブの上からでもハッキリと凹凸がわかる程に魅力的なモノを持っていた。少女が高水準の容姿を持っていることは地味な防水ローブに身を包んでいても衰えることは無かった。
「なぁ」
「なんだ?」
雨は止まず、焚き火は少しだけ弱くなってきた。
青年は洞窟から雨の様子を眺めており、少女は横たわって消えそうで消えない焚き火を見ている。
「貴様は何でこんな悪天候の中に森にいた?」
少女は焚き火から青年に視線を移す。
「……お前には関係ない」
「お告げでもあったか?」
「なんだそりゃ」
「そのまんまの意味だよ。例えば……竜を殺せ、とか」
燃える薪がパキッと音を立て、雨が一層強くなった。
「違う。個人的な事だ」
「ふーん。食糧に火を起こす道具。何時から森にいる?」
「聞くばかりだな。お前」
「何も聞いてくれないからな」
少女は青年に襲いかかった。結果は返り討ちだったとしても、保護し拘束もなく食糧まで与えられている。怪我人だったことを考慮してもお人好しが過ぎる行動だ。
「じゃあ一つ聞く」
「おう」
「お前の名前は?」
「え?」
二人の過ごしている時間は本当に僅かなものだ。
この僅かな時間で少女に対して質問に値する多くのことが起こっている。
森の中に怪我を負って一人でいたこと。
大怪我が瞬く間に治癒したこと。
気にしなければならないことはまだあるだろう。
にも関わらず、青年が求めた最初の情報は彼女の名前だった。
「泣くほどの質問か?」
青年の言葉に涙が流れている事に気がつく。悲しいわけでも辛いわけでもない。その涙は、ただ嬉しかったのだ。
「嬉し涙と言うやつだ。アハハ」
「変な奴だな」
「貴様ほどじゃない」
焚火の火は消え、薄暗さと肌寒さが気になり始める。雨は変わらず降り続く。
「さっき、個人の目的だと言ったな」
焚火跡の細い煙を見ながら少女が青年に問う。
「何がだ?」
「こんな雨の中を歩く理由だよ」
青年は少しだけ沈黙に入る。変に誤魔化す必要もないので暇つぶしがてら話を始めた。
「レインメーカーを殺しに来た」
「レインメーカー?」
その名前は『五柱』と呼ばれる一角。
世界を脅かすほどの力を個で持つ五体の魔物の一体だった。




