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「悪いけど、今日は一人にしてくれないか?」
聖域の家に帰ってきた俺は、こちらの腕を組んで離そうとしないシルヴィにそう伝えた。
彼女は「……すいません……」と密着状態であっても聞き取り辛い小声で謝った後、俺の左腕を離してくれた。
部屋に入って、普段は本を読む時にしか使わない窓前の向かい合った椅子の一つに腰をかける。
腕を組みながら、彼女が来るまで俺は無言を貫いた。
やがて、目の前にある椅子に光の柱がたつ。
光の柱は数秒経つと消え始め、光の柱があった場所に一人の少女を視認した時には、跡形もなく消えていた。
「待たせたかい?」
エメラルドグリーンの長髪が特徴的な幼い見た目の少女がそう言うと、優真は静かに首を横に振った。
「そんなことはどうでもいい。保育士の職業が無いというのはどういうことか説明願おうか?」
優真にとって、その事実が衝撃的だったのは言うまでもないだろう。目指していた目標がそもそも存在しないという事実を今更知った優真が焦るのも無理はない。だが、彼女は優真にとって、目上の相手になる。
掴みかかったり、暴言を吐くことも許されない。機嫌を損ねれば、自分を簡単に屈伏させる相手だということを優真は忘れていない。だから、優真は心の中でどれ程怒りを感じていても、慎重な対応をとらねばならない。
また、女神にとっても、優真という人材をそう簡単には見切れなかった。
彼は計画の要だ。今ここで失う訳にはいかない。
「黙っていたことは謝るよ。遅かれ速かれ気付くとは思ってたけど、まさかこんなに早く知られるとは思ってもいなかった。……本当は『神々の余興』が終わってから話そうと思っていたからね」
「なるほど……理解できなくもないな。大事な大会が控えている奴を動揺させたくないってことだろ?」
優真が顔色も変えずにそう答えると、逆に女神の方が驚いたような顔を見せる。
「……えらく冷静に受け止めるんだね? ……私はてっきりもっと怒られると思ってたよ……なんなら、殴られる覚悟だってしてきたつもりなんだがね?」
「……もちろん怒ってるさ。保育士は俺の夢だったんだ……ただ……黙っていたこと以外、あんたに責任はない。もちろん万里華やシルヴィもだ。そもそも天使の万里華や、眷族のシルヴィが、主神のあんたに逆らえるはずがない。だから今は……怒りを通り越してただただがっかりしているよ。……このイライラを誰にもぶつけることが出来ないんだからね……」
優真の目に覇気は見えない。ただ、目標を見失ったことで、一種の脱け殻状態になっているのだと女神は判断した。
これ以上はまずい状況になると普段はふざけている女神にも容易に想像できた。計画の頓挫は彼女自身が一番困る。
「そうか。……ねぇ優真君、こんな時にする話じゃないというのは、百も承知で言わせてもらいたいんだけど、いいかな?」
普段は自分勝手に話を進めてくる彼女が、いつもと違って神妙な顔で尋ねてくる。そして、俺の許可を待つという珍しい行動まで取り始めた。
「…………なに?」
「『神々の余興』に私の眷族として出て欲しい!!」
「……はぁ!? ……この状況で正気かあんた!!」
一瞬、彼女が何を言っているのかわからなくなった。だが、彼女がこんな状態の俺を利用しようとしていると理解した瞬間、怒りで立ち上がった俺は彼女に怒鳴ってしまう。
「……君ならそう言うと思ってたよ。でもね、保育士のない理由は、私の挑戦と無関係じゃないんだ!!」
そう言われたことで、俺の失われていた興味が、彼女の方に向く。彼女は目を向けられたことで急に立ち上がり、頭を下げ始めた。
「……頼む。……せめて話だけでも聞いて欲しいんだ……! 私の希望はもう優真君だけなんだ!!!」
頭を下げながら必死に頼み込んでくる彼女の言葉に、露骨な溜め息を吐いた俺は椅子に腰を下ろして、渋々彼女の話を聞くことにした。




