16-12
私は優真に今日は家にお母さんはいないと嘘を吐いた。
本当は仕事を休んだお母さんがいつものように酒で潰れている。そんな日は、何時もより痛い。だから帰った方がいいと体は警告してくる。
でも、3年ぶりに優真が誘ってくれたのなら私にとって、そっちが何よりも最優先だった。
優真のお母さんや由美ちゃんも、久しぶりに会い、今まで会えなかった私の心配をしてくれた。
優真同様もっと落ち込んでいるものだと思っていた。でも、その話だけはしないように気をつけた。
もう優真にあんな表情をしてもらいたくないから…………。
その日はいっぱいお話した。3年間の楽しかった思い出だけを話した。
心の底から笑顔になれたのは本当に久しぶりだった。
永遠にこの楽しい時間が続けばいいのにと思っていた。それでも楽しい時はあっという間に過ぎていき、帰らなくてはならない時間になった。
ずっとここにいたいと願っても、優真達に迷惑をかけたいとは思っていなかった。
「優真、万里華ちゃんを送っていってあげなさい」
「い……いえ! 私の家近いですし、そこまでしていただかなくても」
「いいっていいって、気にすんな。もう遅いし、誘ったのは俺なんだからさ。最近は物騒らしいし、送っていくよ」
「……いいの?」
「当たり前だろ? 大事な家族に一人で危険な夜道を歩かせられないよ。ほら行こ」
そんなやり取りを玄関でしてから、優真は久しぶりに手を引いてくれた。
小学生の頃、一度だけ、優真に私のことをどう思っているのか聞いたことがあった。
好きか嫌いか聞いていたはずなのに、優真は迷いなく『家族』だと思っていると言ってくれた。
優真にとって、妹の由美ちゃんも両親も大好きな存在、要するに自分のことも大好きなんだと勝手な解釈をしていたのを先程の家族発言で思い出した。
でも、優真にとって大切な存在であると思ってくれているのであれば、私にとってこれ以上に嬉しいことはなかった。
私の家と優真の家はあんまり話が出来る程の遠さじゃない。それがもどかしかったけど、また明日があるから、話したい話は明日にとっておくことにした。
そして、家について鍵を開けた。
優真は私の家の前で、私が見えなくなるまで、小さく手を振っていた。昔の無邪気な笑顔でもなく、無感情の笑顔でもなく、初めて見せた、優しい笑顔だった。
その日は、楽しかった思い出だけで埋め尽くされた。
だから……忘れていた。お母さんの存在を…………。
鍵を開けた瞬間、そこに立っていたのは、怒りに染まった顔を見せる肉親の姿だった。
扉に叩きつけられる程のビンタをされ、今まで嬉しかった感情が恐怖という感情に塗り変えられていく。
お母さんが怒る。
私の心配をしていた訳じゃない。
私が帰ってこなかったから、自分のご飯が作られていないことに怒っている。
酒が無くなってしまったことに怒っている。
自分の言うことを聞かない私に怒っている。
大好きだったお母さんはもういない。目の前にいるのは、お母さんの名を語る怪物だ……。
長かった髪を引っ張られて、和室に連れていかれる。
いくら泣き叫んでも、何の意味もないのに、泣き叫んでしまう。
きっといつものように、怪物の気が済むまで叩かれるのだろう。
……だけど、恐れていた1発が来ることはなかった。
恐怖で閉じていた目を開くと、怪物の手は空中で止まり、その怒りに染まった顔は隣に立っている人物に向けられていた。
「それはやっちゃいけないことですよ。おばさん」
優真は怪物の腕を掴みながらその言葉を発した。
「はぁ? 私が私の娘に何しようと勝手じゃない! くそガキが! 調子乗ってんじゃないわよ!! その手を離しなさいよ! 警察呼ぶわよ!」
「呼べばおばさんの人生終わりですよ? この携帯に万里華の髪を引っ張っていった時の映像もあります。本当はビンタされるところも撮ろうと思っていたんですけど、つい手が出てしまいました」
優真は左手に持っていた閉じてある携帯を怪物に見せる。
怪物の表情が徐々に青ざめていき、私の首を押さえていた手に力が無くなっていった。助かったと安堵した次の瞬間、怪物は私の首を掴んでいた左手で優真の携帯を奪おうとした。
だが、優真は舌打ちしてから、自分を襲う怪物を左足で蹴った。
華奢な体の怪物は簡単に蹴り飛ばされ、怪物にまたがられていた私は、体の自由を優真のお陰で取り戻した。
「大丈夫だったか? 万里華……」
心配しているのがひしひしと伝わってくる目で見てくる優真は私を抱き起こす。その目を見た瞬間、色々な感情が溢れてきて、私は大粒の涙を流しながら、彼に抱きついた。




