私の怒りスイッチ。――『なろうの底は、ランキング1位よりも「響く」作品であふれてる。』編集後記
2021/04/17 誤字報告反映
2021/04/20 誤字報告反映
2021年3月28日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1375848869188182022
全く原形をとどめていませんが(笑)
まあ、たまにはね。
最近私は『なろうの底は、ランキング1位よりも「響く」作品であふれてる。』というエッセイを投稿しました。久しぶりにエッセイランキングで「何か」を見て、その感情のままに筆を走らせ、色々と見直して出来たエッセイなのですが。
そのエネルギーにした「何か」、一体何だったのか、書き上げたことに満足したのか、ちょっと忘れてたのです。で、思いだそうともう一回エッセイランキングを見直したのですが。
ええ、思いだしましたよ。あるエッセイで、その執筆者が読めなかったランキング外作品のことを「食べられない料理」のように表現したエッセイに腹を立てて、あのエッセイを書いたんだって。
――今のランキングを席巻しているテンプレを批判している人に対して「面白さなんて人それぞれ」とか言いながら、スコップはこんなに大変なんだ、ランキング外にはこんな作品で溢れてるんだと、一部の作品に酷い表現を羅列する。
ホントにね、その一部の作品を書いている人からすれば、たまったものではないと思います。
◇
でもまあ、正直、気持ちはわかります。というか、別にその人が「人格的に」腹立たしいとか、そういうことを思っている訳ではありません。多分その人の表現力の問題だと思っています。
ランキング作品が素晴らしいと思うのなら、ただ褒めれば良いだけですし、苦労を語りたいならただ苦労を語ればいい。でもね、それって意外と難しいよねと。
比較しないと「優れている」と表現できない。でも、優れているところを挙げられないから、比較対象の悪いところを探す。落差を大きくすればわかりやすくなるだろうと抽象化して大げさに書く。で、こんなひどい状態からすくい上げるのは大変なんだと苦労を語る。そうですね、結果、とても面白い読み物になったのかも知れません。私はその面白さを共有できませんでしたが、まあ楽しく読む人もいるのだと思います。
でもどうなんでしょう。あの人、ホントにあんなことを主張したくてあの文章を書いたのかなぁと、今は結構本気で思っています。
◇
ぶっちゃけ、あのエッセイに関して、思うところは色々とあります。
でもまあ、感想としては、たったの一行でもいいような気もしています。
――「人をほめるのは難しいね」と。
まあ、こう思うのは、単に私の勘違いなのかもしれませんけどね。
◇
実は私の執筆した『なろうの底は、ランキング1位よりも「響く」作品であふれてる。』というエッセイの感想欄で、いくつか「ランキングに対する憎悪」が見えると、そういう指摘を受けました。で、少し首を傾げてたのです。
だって私の作品、ランキングに載ったところで読まれませんし、評価もされません。その辺りは、一度なろうテンプレもどき(異世界転生だけどなろうテンプレじゃない短編作品)を書いてはっきりしたし、そこは自分でも納得しています。
嗜好が違う人たちの集まりに作品を放り投げてもしょうがないのです。「鬼滅の刃」が好きな人の集まりに「おっぱいバレー」を持っていってもしょうがないし、「少林サッカー」が好きな人に「タイタニック」を見せてもしょうがない。ランキングというのは、私にとってはそういうカテゴリ違いな人たちの集まる場所でしかありません。
――はっきり言って、私は「作家としては」ファンタジーランキングや恋愛ランキングに、本当に無関心なのです。あそこが私の作風とは合わない人たちの集まりだなんてことは、あまりに明白ですから。
……まあ、文章力の問題とかがあるのも確かですが。実のところ、それも嗜好の範疇なんですよ。「この位なら読もう」というのは人それぞれで違っていますし、好みの文体とかだってありますからね。
ランキングから落ちるのを文体の問題にするのはまあわかります。ですが、自由に投稿していい場所で作品を探そうとして読みにくい文体の作品に出会ったからって、それを必要以上にけなして相手のせいにして自身の苦労を語るってどうなの?、とは思います。
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でもまあ、書くきっかけになったエッセイも、ランキング作品の批判に腹を立てて書かれてたし、そういう意味では、私も負の感情の連鎖をしてしまったことになるのかなとも思うのですが。
――でもね、一部で指摘された「ランキングルサンチマン」的な感情に踊らされて書いたわけではありませんし、あったとしてもメインではないと、自分では思っています。ええ、全く違う怒りです。あれがルサンチマンだなんて、私は認めるつもりはありません。ええ、あの怒りは正当な怒りだと断言できます。
まあ、多分としか言えませんが。自分の感情は静めたあとに振り返るしかないし、その頃には「生の感情」は忘れてますからね。
◇
あのエッセイ、主張を際立たせる意図もあって、ちょっと強く「ランキングと作品の刺さる・響くという価値は無関係」と主張しました。ストレートに言えば、部分的にランキングの価値を否定しています。
でも、「ランキングに価値はない」という主張と、「ランキング作品に価値はない」という主張は、明確に違うはずですよね。……でも、そのあたりの区別があいまいな人が結構いると、今回のエッセイでの感想欄でのやりとりで気付きました。
で、そういった人があの作品を見ると、あのエッセイからルサンチマン的な何かを読み取ると、そんな流れはあるような感じはします。
……まあ、確かにランキング作品よりもスコップした作品の方が響くことが多いとも書いてますけどね。それはどちらかというと、ランキング作品の傾向と嗜好の問題だと思っています。
もしかして読み取れないかなぁ。まあ、確かにちょっと筆が足らなかった可能性はありますが。でも、これを優劣と取られるのは厳しいなぁ。わざわざ「刺さる・響く」と限定したのも、それ以外の、ランキングに反映される価値観もあると言外に示してるつもりなんだけど。
◇
ただ、何かこう、「ランキングの価値」を、必要以上に信じ込まされている、そんな感じはします。ランキング外の作品を「食べれない料理」みたいな例えをする作品があまり荒れずに、今回の私のエッセイがやたらと攻撃的な(というかめんどくさい)感想が来たのは、ちょっと歪んでるかなと。
……まあ、感想欄をログインユーザーに限定しなかったからかもしれませんが。
なにかねぇ、エッセイの主張と反することを書いておいて「それはお前が悪いんだ」みたいな感じにもっていくとか、ひどい主張の仕方だと思うんだけど。エッセイの主張に反論するのではなく、価値を棄損しようとするようなやり方。
ホントにね、殴り合うつもりがないなら喧嘩なんて売らなければいいのにと、それは本気で思いました。うん、あれは陰湿だった。
◇
ただ、出発点の「価値のないと感じた作品に対して酷い例えをしたことに対する怒り」は、ちょっと忘れないようにしようと、それは思いました。うん、ホント、なんで忘れてたんだろう。
……というか、過去に似たような理由で喧嘩を吹っかけた記憶が。うん、多分これ、私の怒りスイッチだ(笑)
そこはね、気付いて良かったと本気で思っています。うん、これは気を付けよう。




