批判的なエッセイの感想欄にて起こったことを備忘録として。
2020年 5月28日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1265684568872374273
まあ、これはぼやきですね。ちょっとこぼしたくなることがあったということで。
私は先日、『全人類は、正義という名の「信楽焼のたぬき」を抱えて生きている。』という、ちょっとアレなタイトルのエッセイを投稿したのですが。そのエッセイの感想欄で、ちょっとしたことが起こりまして。
まあ、立て続けに感想を書き込まれてから全消しされるという、常識的に考えて「迷惑行為」と言えるような行為を受けたのですが。
――ぶっちゃけ、あの行動の動機って何だったんだろうと、軽く思う訳です。
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その方は5月23日(土)の深夜23時頃に感想を書きこんだ後、こちらが返信するたびに真意が読み取れないような短文の書き込みや質問を繰り返し、翌日の昼前(9回目の感想返信時)にこちらがブロックすると宣言した直後、過去の感想を全て消去したのですが。
……あれにはね、本当に脱力しました。
あのエッセイ、そのあと何度か読み返したのですけどね。正直、そこまで過激じゃないと思うのですよ。いやまあ、タイトルはアレだし「攻撃する人」を強く批判しているとも思いますが。でも、自己主張することまで批判はしていない、むしろ尊重しているのです。なのになんで「攻撃」してくるんだろうと思う訳です。
いや、あのエッセイを見て、論破したかったんだとは思いますよ。ああすれば論破できると思ったんだろうなと。自分でも勝てそうな弱い相手を見つけて、作戦を練って準備もして、万全を期してで喧嘩をふっかけてきた。多分あの人、端的な言葉にわざわざ反応する私を見て楽しんでたと思うのですよ。――で、最終的に上手く行かなかったから感想を全部消したと。
まあ、別にそれが悪いとは言いません。なろうはそれができるシステムだし、私も感想を消さないでと訴えていたわけじゃない。まあ、私はその行為を自分に許したくありませんが。
――でも、そうすべきだと判断する人が多いのもわかります。
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結局ね、あの手のエッセイに対して攻撃的な行動を取る人って、「批判する以上、批判を受けるのは当たり前」みたいな考え方から、その相手を「やりこめてやろう」と出てくるのだと思いますが。
――この「やりこめる」という行為を「批判」、つまり正当な行為と認識してるんだろうなと思う訳です。少なくとも「相手が批判文を書いたから言った」、つまり「批判文を書く人を見つければ、その『やりこめる』という行為を相手のせいにできる」と思っているのかなと。
反論をしたいのなら、文章をしっかりと読み込んで問題点を見つけて、理由と共に指摘すれば良いのです。「○○と書かれているが、それは××だから不当だ、こうあるべきだ」と。本当に正しいと思うことを書けば、例えその理由が主観的でも、同意してくれる人はいると思います。正当な批判って、そういうものだと思います。
相手を見て、その相手をやりこめるための言動を行い、その言動を消すことに抵抗のない人がいる。相手が誰であろうと、自分の主張をなかったことにしたくないと考える人がいる。
――うん、まあ、互いに理解はできないよね。距離を置いた方が互いに幸せだと、本気で思うんだけどなぁ。
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ローカルに保存しておいたその時のやり取りを見てるとね、自分の書いた返信がちょっともったいないなと思うのです。これ、内容を整理すればそれなりの内容になるのかなと。
まあ、私はマジレス以外の対処法を知らない人ですし。繰り返し返信すれば、それなりの内容にはなるよねと。
――もっとも、相手にも自身の書いた言葉を消す権利はあるだろうし、その権利は尊重されるべきかなと。なので、誰の発言なのか、またどんな発言だったのかわからないよう、自分の言葉だけで通じるように修正する前提になりますが。
うん、せっかくだし有効活用は考えようかなと。と、そんな結論がでたところで。うん、以上かなと。お目汚し失礼しました。




