「#いいねされた数だけ創作論を語る見た人もやる」をやってみて。――四つめ、「言語化」について。
本日(2020/05/15)まとめて更新しています。ご注意ください。(4/4)
うん、「言語化」なんて、ちょっと変な言葉を使ってみましたが。要するに「自分の信じることを書こう」と、そんな話になるのかなと。
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なんていうか、「○○はこうあるべき」とか「○○を書いてはいけない」みたいなことを言う人がいるじゃないですか。「バッドエンドはいけない」とか「ご都合主義はいけない」とか。……それも一つの意見だとは思います。その意見があってはいけないなんてことを言うつもりはありませんし、100%否定をするつもりもありません。
――ただ、そういったことの前に、「自分が納得できないことは書いてはいけない」ということは、少し意識した方が良いのかなぁと。
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人それぞれに書く理由が違うのはわかります。読まれたい、人気が欲しいという理由で流行りのジャンルに手を出すのが悪いというつもりもありません。
……でもね、例えば「なろうテンプレ」にこれっぽっちも納得できないまま、見様見真似で「なろうテンプレ」を書いても、ろくなことにならないとも思います。
例えば、「なろうテンプレ」が好きな人が、自分なりのテンプレ作品を書き上げる。そうすると、その作品には、「なろうテンプレ」を通して「作者の考え」が盛り込まれる。この「作者の考え」がそのまま作品の個性になります。
――でも、見様見真似だと、「作者の考え」が乗らないのです。そうして出来た作品には、作者の個性が乗らないのです。
何か一つの事柄に対してどんなことを考え、どう感じたか。こういった思索が個性の源です。だからこそ、自分の好きなこと、自分がこうあるべきだと思うこと、自分が面白いと思うこと、そういったことを最優先で書くべきです。そこは、簡単に譲るべきではないと思います。
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読者のことを気にして、読者受けしそうなキャラを作って動かすことに終始する。まあ、宣伝としてはありかも知れませんが、それが本当の意味で「創作」と言えるのか、私は首を傾げます。
――そんな作品を書いて評価や感想に一喜一憂する位なら、まずは「自分の納得できる作品」を書きましょうよと。
自分の好きに書けば良いのです。自分が納得できるまでつきつめて書けば良いのです。そうして出来た作品に対して何かを言われたら、「お口に合わなかったようで残念です」とか言って、ばっさりと切り捨ててしまえば良いのです。
――深く交流するのはね、「自分の作品」を好んでくれる人だけでも十分だと思います。
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自分の考えに沿ったことを書けば、色々と考えなくてはいけないことも出てきます。色んなことを考えれば、次に書くことも生まれます。そうやって書くことと考えることを繰り返していけば、少しずつ、だけど確実に、自分の個性がはっきりとしていくのです。見様見真似では得られない、しっかりとした個性が生まれ、育っていくのです。
――読まれるように書くという「宣伝」はね、それからでも遅くはないと思います。
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例え読まれる人が少なかったとしても、「自分の好きなことを突き詰めて一つの作品にする」という行為には、大きな価値があると思います。それは時に、「より多くの人に読まれる」という価値を超えることもあるのかなと、そんな風に思います。




