「#いいねされた数だけ創作論を語る見た人もやる」をやってみて。――三つめ、「物語の起伏」について。
本日(2020/05/15)まとめて更新しています。ご注意ください。(3/4)
物語の起伏みたいなことを話題にしようとすると、「ストレス展開が」みたいな意見を目にします。そうですね、鬱展開にすると感想欄が荒れるとかブクマが外れるだとか。まあ、超零細な私にはあまり関係の無い話なのですが。うん、でも敏感になるのはわかります。どの位読まれているのは気になりますし。
ただ、「ストレス展開は避けた方が良い」みたいな意見はよく目にするのに、じゃあ「ストレス展開を避けるにはどうすれば良いのか」という意見は、あまり見かけない気がします。
――いやだって、物語に起伏がいらないなんてことはありえないと思うのです。どう考えても「試練」はいると思うのですよ。常識的に考えて。
というか、ちゃんとした「試練」があれば、必要以上に物語をストレスフルにする必要も無いとは思いますが。そりゃあ、無意味に血が流れたって、物語が面白くなる訳なんてありませんからね。
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まあ、「残虐性を楽しむ物語」を否定するつもりもありませんが。ただ、住み分けの必要性はあると思います。そういった作品は、明確にそういったものを求める人に向けて発信されるべきかなと。もっとも、これは個人的な考えですが。
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物語世界で重大な、その世界の住人にとって忘れることのできないことが起きたのなら、それは物語に大きな影響を与えます。人の死や不幸というのは、関わった人に深く刻み込まれる出来事です。物語の中でそういった出来事が起きれば、それは物語の中で生きる人を傷つけます。そんな出来事を「物語の起伏」なんていういわば「作者の都合」のため軽々しく起こしてしまえば、読者が不快にもなるのも仕方がないかなと。
物語の中での重大事件というのは、物語の必然性や、物語を通して伝えたいことを伝えるために起こすのです。起きた不幸に対する答えを準備できないのに、「物語に起伏をつける」なんて安易な理由で、重大事件なんて起こさない方が良いと思います。
――物語の起伏なんて、「逃げ道のない試練への挑戦と克服」があれば十分ですから。
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例えば、「初めてのお使い」という、「幼い男の子が近所のスーパーマーケットにカレーの材料を買いに行く、身近な大冒険の物語」があったとします。この物語に起伏をつけようと思った場合に、ストレスフルな重大事件を起こす必要なんてありません。ジャガイモが売り切れになっているだけで、十分な「試練」です。
レジのおばさんに「少し向こうの店には置いてあったよ」と教えてもらって、その店に行こうと「挑戦」するだけで、十分に手に汗握る物語になります。
――というか、物語の起伏をつけるのに必要なのは「試練」です。どんな不幸も、試練にならなければ「物語の起伏」にはなりませんよね。
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もちろん、必要ならストレス展開も書くべきだと思います。ですが、「痛み」が「物語の起伏」になるかと言われれば、それは違うのかなと。
――不幸からくる「痛み」より、試練からくる「絶体絶命」を意識して書くよう心がけたいなと、そんな風に思います。




