「#いいねされた数だけ創作論を語る見た人もやる」をやってみて。――二つめ、「悪役」について。
本日(2020/05/15)まとめて更新しています。ご注意ください。(2/4)
まあ、実のところ私は、今までにあまり悪役を書いていないのですが。
ただ、その人の立ち位置、生い立ちといった背景をしっかりと考えて、それにふさわしい行動をさせるという意味では、主人公だろうが悪役だろうが変わらないのかなと、そんな風に思っています。
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例えばそうですね。悪役として「傲慢な差別主義者」を書こうとしたとします。その場合、その悪役が、なぜそんな思想を抱いているのか、(書くのかどうかは別にして)しっかりと考えておく必要はあると思います。
ただ、これは勘違いしやすいのだと思いますが。その悪役に「○○という事情でこんなことをしてるけど、実は良い奴」なんてものはいらないのかなと。「傲慢な差別主義者」はどうあっても「傲慢な差別主義者」です。そこはごまかさずに書かなくてはいけない。その上で、その思想を持った人間とはどんな人間なのか、そこもごまかさずに書かなくてはいけないのかなと。
――悪を悪として説明し納得させる。悪を語る上で最も大切なのはそれなのかなと。
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悪役には悪役の魅力があるべきだと思います。そしてそれは、型にはまった善人や自分の行動に理由を求めるような人間には無い魅力であるべきかなと。悪人が実は悲劇のヒロインだったなんて、個人的には興ざめです。同情させるようなことを書いた時点で、「悪役」としての魅力は減じると、私はそんな風に思います。
……まあ、悪役には主人公たちよりも伝わりにくい価値観を込めないといけないし、それを説明するのも難しいとは思いますが。
それでも、血の通った人間としての強い悪、そういったものを書けるようになりたいなと、そんな風に思います。




