インターネットの人間関係について、ふと思ったことを。
2020年 2月19日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1230126080788287489
ちょっとしたぼやきです。それなりに修正しました。まあ、元がぼやきだからね、推敲が足りてないのは当たり前だよねと(笑)
……推敲してもぼやきなことには変わりないよね、なんて思いつつ。
これから言うことは、少し無茶なことかもしれませんが。「忌憚のない意見」って言葉を最近何度か使ったんだけど、本当の意味で忌憚のない意見って、空に向かって放つか、敵に放つか、どちらかしかできないような気がするなんて、そんなことを思ってしまいまして。
――なんというか、相手を慮ると伝わらない、そんなことってあるのかなと。
ただ、空に放ってスルーされるのならともかく、好意的に「伝わっていないとはっきりわかる」感想をもらったりするとね、本当にもやっとするのです。まあ今は何度か経験して心の整理はできてるし、そういったことになりそうな人とはブロック等の機能を使って距離を置くことにも慣れたのですが。まあ、慣れていいのかという問題は別にして。
……人格じゃないんですよね、この辺りは。良い人なのはわかるけどこちらが言いたいことは伝わらない、そんなことは多々ある訳です。
インターネットの人付き合いってその辺りが難しくて、私生活ではきっとそこまで問題ないんだろうなぁという人が、ネット上ではバランスを欠いて見えたりする訳で。まあ、生きづらそうな価値観を持った人だなと感じる人が多いのも事実だけど。
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交流するのにより多くの言葉を重ねないといけない人がいて、その言葉を交換する前に判断されてしまう人がいる。身を守るのが下手な人、伝えるのが下手な人がいる。距離感を保つのが難しい人がいる。
それらは決して「悪いこと」ではないはずなのですが。それでも、インターネット上ではそう思われてしまう、そういう人もいると。
インターネットという道具はきっと、善悪で論ずるのは慎重にならないといけない道具なのだと思う。そして、言葉を交わせない相手とは距離をつめて殴り合うのではなく、沖縄と北海道くらいの距離をあけて、互いに主張を一般論にして、適切な主語で互いが勝手に演説するくらいで丁度いいのだと思う。
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まあ、インターネットで生活している人でもない限り、一番大切なのは現実社会なのですが。でも、せっかくの誰でも気軽に利用できる発表の場ですし、しかもコツコツ積み重ねてきたことはね、大事にしたいですよね。だけど往々にして、そう考えるようなどこか不器用な人が変な風に見られて、どこか薄さを感じる人が多くの人に「まともな人」というように見られたりする。
――ホント、ネットの人間関係って難しいよねと、そんなことを何となく考えてしまいました、まる(笑)
実はちょっと、価値観とか善悪とかに関してエッセイを書き始めてるんだけど、なかなかまとまらなくてですね。うん、難しいよね、なんて思いつつ。




