日常会話の日本語、小説の日本語。
2019年4月19日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1119276183269494789
久しぶりなので忘れられてそうですが。
「この連載小説は未完結のまま……」というメッセージが出る前には更新できました(笑)
小説家は他の創作者と違って特殊技能はいらない、そんな言葉を見たことがあります。確かに、自分も仕事上で、メールや仕様書等、色々な文章を書いてきました。そういった意味では、確かに小説も同じ日本語です。……でも、小説の文章って、相当に特殊ですよね。
――少なくとも私は、仕事で「私は上司に報告しようと席を立った」といった文章を書く機会はなかったと、そう記憶しています。
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普通、小説は一人称か三人称の文章で書くと思います。ですが、普段からこんな日本語を使う人って、あまりいないのではないでしょうか。
普通の人が普段使う日本語って、普通に考えれば、誰かに話しかけたりするための言葉が大多数だと思います。
――目の前にいる「あなた」に話しかける言葉、つまりそれは「二人称」の文章です。
自分に向かって語りかけてくるように書かれた二人称の小説、そう簡単にお目にかかれないと思いますが、どうでしょう?
◇
言葉というのは、何かを伝えるためにあるものだと思います。それはきっと、小説も話し言葉も同じです。ですが多分、伝わり方は違います。
誰かと距離を縮めたい時、何をするでしょう?
礼儀の範囲内で、親しげな口調で話しかける?
相手の希望や悩みに寄り添って、共感を示す?
それらは全て、話し言葉だから有効なのです。物語の登場人物が別の登場人物に語り掛ける「小説」では、作者は読者に語りかけることはできません。
――それでも作者は、読者に何かを伝えるのです。
言葉というのは、何かを伝えるためのものです。
何も伝わらない言葉には、価値がありません。
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小説を書くために必要なのは、確かに日本語だけかもしれません。ですが、本当にその日本語は、普段使っている日本語と同じでしょうか?
私にとって、普段使っている日本語と小説で書く日本語は別のものです。
だからこそ、私は小説の技術を大切にし、磨きたいと思います。小説の技術は、日常生活で勝手に磨かれたりしないのですから。
――そして、そうして技術を磨けば、より多くのことを伝えられるようになると信じています。
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第一、メールにはメールの作法、仕様書には仕様書の作法があります。エッセイにだって作法はあるでしょう。当然、小説にだってあるはずです。
そして、技術やマナーは、「伝えたいことを丸める」ためのものではないと思います。むしろ、技術を磨けば、「伝えたいことはそのまま、柔らかく包み込むように」伝えられるようになるのかなと。
――そうして、作者の伝えたいことをより多くの人に伝えられる作品こそが良い作品だと、私は思います。




