自身のおこしたさざ波と「向き合う」ということ。
2019年1月25日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1088836550169743360
軽く加筆修正が入っていますが。大きな変更はないと思います。
……始めから、この位の文章が書ければいいなとは思うのですが(笑)
以前投稿したエッセイ「なろう作家の書籍なんて、買わなくて良いんじゃない?」の雑感をもう少し。
あのエッセイ、過激なタイトルのせいでしょうね、実に様々な意見が書き込まれました。で、私は、その感想のほとんどに、できるだけ真面目に返信ををした訳ですが。削除もブロックもせずに済んだのはまあ、幸運もあったのかなと思います。……そうですね、振り返ってみると、けっこう微妙な返事をしていたりもしますが(笑)
ただ、ですね。どうせなら、もっと言い合っても良かったかな、そんな風に思ってたりします。……ホントにね、喧嘩を売るかのような感想を書き込んでおいて、その喧嘩を買わせないなんて、アレだよねと。
――どうやら私は、意外と好戦的だったみたいです(笑)
◇
感想の返信では、本当に好き放題に自己主張をさせてもらいました。でもね、それで反感を持たれても何も問題が無い、そう思っています。むしろ、「自分はそういう人間だ」と周りに伝わった分だけ、得をするのかなと。
落ち着いて返事をする、一貫した主張をする、この二つさえ守っていれば、自分の主張を許容できる人が残って、そうでない人は立ち去る、そうすれば、自分が付き合える人間だけが周りに残ります。それっていいことだよねと、そんな風に思うのです。
友達を百人作るよりも、少しずつでもいい、そういった、自然体で付き合える友達を増やしていきたいかなと。
――そういった人には「友達百人」以上の価値があると、そんな風に思います。
だからこそ、私は、反論するために言葉を拾い読みするような人にまで、自分の書いた文章を読んでほしいとは思いません。逆に、文章をしっかりと読み込んで、理路整然と反論してくる人は、とてもありがたいと思います。
――論壇に立つとは、そういうことだと思います。
◇
……もっとも。人間、感情が揺れ動くと「文脈が読めない人」になりますからね。曲がりなりにも「趣味作家」を名乗る以上、それはダメかなあと。平常心はとても大事です。
落ち着くために散歩、これ大事!
創作するときはサイクリング、これも大事!
適度な有酸素運動で、心を落ち着けましょう。
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物語というオブラートに包まず、直に主張する。これを簡単なことのように思っている風潮がなろうには見られますが、そんなことはありません。ある意見が無謬なことなんてあり得ません。反論は常に来ますし、来るべきです。それでも、何かを主張した以上、その正しさは自分で支えなくてはいけません。それには強さが必要です。
読まれるということは、影響力を持つということです。それは同時に、世の中にさざ波を立てるということです。そしてそれは、大きな波になることだってあります。批判もね、きっと、その波の一部なのです。
――だからこそ、その波は自分が起こしたということは忘れない方が良いと、そんな風に思います。
その波はきっと、自分の書いた文章が読まれるほどに、大きくなっていきます。そして、その波に自身が流されてしまうようでは、何も主張できません。その波を起こしたのは自分だと、そう自覚することが「批判と向き合う」ことなのだと、そんな風に思います。
――きっとそれは、波を立てた人が背負わなくてはいけないことなのかな、と。
◇
別に、批判を全てを受け止めなくてはいけないとか、そんなことを言うつもりはありません。ですが、対処の方法次第で、結果も変わってきます。せっかく言葉を発したのです。自身が望む結果を引き寄せるためにも、しっかりと対処をすべきです。
――自身の起こした波に対処できるようになる、それもきっと、作家には必要なことなのかな、なんて思います。