自分の書きたいエッセイの形
2018年12月10日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1072093774744973322
なろうエッセイ、これまでいくつか書いてみて、なんとなくですが、自分の書きたい文章が見えてきたような気がします。
――多分私は、読者の共感を呼びながら、自分の正しさを伝え、読者のためになる、そんな文章が書きたいのかなと。
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言葉って、人に何かを伝えるためにあるのだと思います。
……そう思うのですが。
この当たり前のことが、とても難しいと感じています。
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人に何かを伝えるということは、その人の中に、それまで無かった何かを入れるということではないでしょうか。
そして、それまで無かった何かは、例えごくわずかでも、その人を変化させるのかなと。つまり、人に何かを伝えると言うことは、「人に影響を与え、変化させる」と言い換えてもいいことなのかな、なんて思います。
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何かを書いて公表すれば、誰かに影響を与え、それはやがて変化のさざなみになる、私はそう思っています。
ですが、エッセイというのは、特定の誰かに向けたものではありません。もちろん、どんな方が見るのかも考えます。それでも、作品に込めたメッセージは、見ている方全てに向けたものです。
だからこそ、できるだけ広く「そうだね」と言ってもらえるような文章を書くよう意識したいな、と。
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広く「そうだね」と言ってもらえる文章、それはきっと、誰もが当たり前だと思うことを、一つ一つ丁寧に書き連ねた文章です。
だから、当たり前のことを惜しまずに書きたいなと思います。同時に、余計なことは書かないようにしたいな、と。
――そうすれば、きっと読者は、「そうだね」と頷きながら読み進めることができるのかな、と。
その一つ一つの頷きが、共感を呼ぶのかな、なんて思います。そして、その共感があるからこそ、何かが伝わるのかなと。
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そんな、小さな「そうだね」を重ねて、何かを伝え、読み終えたその時に「そうだったんだ」になるような、そんな文章をわたしは書きたいのかなと。
――この先、そんな文章を書いていけたら良いな、なんて思います。