私はきっと、なろう「舞台装置」肯定派なのかな、なんて思う。
2018年11月30日のツイートを元にしています。
https://twitter.com/cityborderfront/status/1068159340987568128
ツイッターでつぶやいたことを転載すれば、一つで二度おいしい、みたいな感じで始めたこのエッセイですが。気がつけば、このエッセイのためにツイッターを下書き扱いにしています(笑)
まあ、二度おいしいのはそのままなので良いのですが。
なので、はい、今回も元の「下書き」から、結構加筆しています(笑)
なろうテンプレ、ここで執筆していれば、嫌でも意識する言葉では無いでしょうか。当然のように、賛成する人もいれば反対する人もいます。
自分はまだ書いたことはありませんが、いつかは書きたいかな、とも思います。まあ、いつか書きたいと思っているぐらいです。多分私は、否定派でもないのかな、なんて思います。
ただ、「なろうテンプレ」肯定派かと言われると、少し違う気もします。というか、あれはそもそもテンプレなのでしょうか?
私には、あれはテンプレに見えません。
だから、私は多分、「なろう舞台装置肯定派」というような立ち位置にいるのかな、なんて思います。
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私にとって、テンプレとは「中身のない、決まった型」のことです。「中身がない」と書きましたが、別にそれが悪いわけではありません。例えば「三幕構成」は、「中身のない、物語の起伏の型」と言っていいものだと思います。
三幕構成は物語の中身には一切触れていません。ですが、明らかに一つの「物語の型」を規定しています。この型を使えば、いろんな物を「物語の形」にすることが出来るわけです。
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異世界転生/転移、チート、ステータス、そう言った「なろうテンプレ」と呼ばれているものですが。これらは、物語を構成する「要素」でしかないと思います。「物語の型」を規定しているわけでは無いのかなと。
なろうテンプレという型に何かを流し込んでも、物語にはなりません。物語にするためには、別の型が必要です。
逆に言えば、なろうテンプレだからって、転移/転生から始めなけれはいけない訳ではありません。どんな出だしで書き始めてもいいし、どこに見せ場を持ってきてもいい。ただ、なろう的な要素を使うと便利なことがあるという、それだけの話かなと。
例えば数万字書いた後で転生する物語を書いたとしても、それを理由に「なろうテンプレでは無い」と文句を言う人は少ないと思います。
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例えば、時代劇を撮るために、江戸の街並みを再現したようなセットを準備したとします。そのセットのことを「時代劇テンプレ」なんて言うでしょうか?
普通は言わないと思います。別にそのセットをつかったからって、話が決まってしまうわけではありませんから。
そのセットを使って、江戸時代を舞台にした怪獣映画を撮っても構わない訳です。
江戸時代を舞台にする。そこにはメリットもあると思います。社会制度の説明も軽くできるし、武士の持つ独特の雰囲気も利用できる。
時代劇の持つイメージは確かに魅力的です。そこに街並みとかのセットが重要な役割を果たしているのも否定しません。
ですがそれでも、「江戸の街並みを再現したセット」は、ただの舞台装置だと、私は思います。
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なろうテンプレと言われているものも、それは一緒だと思います。
転生、転移は現実世界の価値観を物語の中に持っていくための仕組み、ステータス、チートはその人の能力やその価値を説明するきっかけにするための仕組みで、物語の型というよりは、小道具の類かなと。
そして、そこは創作なのです。少し位、現実味がなくても良い。必要なだけ筆を走らせて、自分の好きなように読者を説得してもいい。
例えば「勇者の剣」なんてものに、現実感は皆無ですが、それは別に構わないでしょう。ただ、「勇者の剣」だから強いとしてしまうのは面白みに欠けるかなと。どうせなら、何故強いのか説明した方が、個性も出るし、面白いかなと。
つまり、白い下着が世界一好きだと言えるのなら、それをチートにして、世界一にしてしまえばいい。「スキル:ホワイトパンツァー(白いパンツな人)」とかそれっぽいチートをつけて、世界最強の男にしてしまえばいいのです。
「サプライズホワイト。それは蛍光増白剤で染め上げられた、驚きの白さが生んだ奇跡の攻撃。その攻撃を目のあたりにした男は、思わず呟く。――これが奴のアタック力か、と」
みたいな感じで。
まあ、流石にこれはアレですが。それでも、説得力さえ出せれば、色々なことが出来ると思います。
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主人公を強くするためにチートをつける、ストーリーで考えるとそうなるのでしょう。ですが、チートを「主人公を強くするための能力」とだけ考えてしまうのは、少しもったいない気がします。
自分の好きなことをチートにする、その好きを伝えるためにそのチートを通して主人公を強くして、ストーリーで見せつける、そんな考え方でも良いのではないかなと。
その方が、きっと魅力的なチートになると思いますし、そんな主人公が無双すれば、作者がチートに込めた思いも読者に伝わるのかな、なんて思うのです。
だからこそ、なろう的な要素を「テンプレ」、つまりストーリーのために消費するのではなく、「舞台装置」、物語を彩る魅力的な道具として見た方が良いのではないかと、そう思います。
◇
最後に。
ホワイトパンツァー万歳!
読者に届け、この想い!




