十四歳の花嫁(一)
去年の春 逢へりし君に恋ひにてし
桜の花は迎へけらしも (万葉集)
相模の小田原と、甲斐の古府を結ぶ街道をゆるゆると進む行列がある。
女駕籠が三つ。
三番目の駕籠は、他のものより小ぶりだが美しい装飾が施されている。
駕籠の側には、市女笠に壺装束の侍女たちが従い、その前後には長櫃を担いだ男たちの列が長々と続いている。
「花嫁行列だ」
沿道の人々が囁きかわす。
「北条の姫さまが、お殿さまのもとへ御輿入れになるんだそうだ」
「さすがに立派なお支度だなあ」
「お道具を担いだご家来衆がほら、まだあんなに続いている」
「香姫さまのお輿入れを思い出すなあ」
「ああ。珠々姫さまの時も。あの時のお行列も立派だった」
なにげなく言った男たちは、
「しっ。こんな日に滅多なことを言うものではない!」
周囲に一斉に咎められて、慌てて口をつぐんだ。
香姫というのは、甲斐、駿河、相模の三国同盟の証として北条家に嫁いでいった先代武田信玄の娘である。
そして珠々姫というのは、やはり三国同盟締結のために駿河から武田へ──信玄の嫡男、太郎義信のもとへ嫁いできた今川義元の娘であった。
その両方の婚姻が、どのような結末を迎えたのかは、この甲斐の国でも知らぬものはない。
どちらもめでたい婚姻の日に口に出して良い例ではなかった。
信玄の娘、香姫は甲斐による駿河侵攻によって三国同盟が破棄された後、婚家を追われ実家に帰らされた。
そして今川家からやってきた珠々姫は、太郎義信が駿河侵攻をめぐって父信玄と対立し、のちに信玄の暗殺を企てたとの罪で寺に幽閉され、そこで失意のうちに亡くなったあと、駿河へと返されている。
同盟のために結ばれた婚姻は、ことごとく不幸な結末に終わった。
そして、珠々姫が甲斐を離れ、香姫が小田原を追われてからおよそ十年後。
今度は北条家の姫が、新しく結ばれた甲斐、相模両国の同盟の証として甲斐の当主、武田勝頼のもとに嫁いできたのだ。
(花嫁御寮はまだ十四歳だそうだよ)
(今度のご縁組みはいったいどうなることやら)
人々の視線には、婚礼を祝うよりも年若い花嫁をいたわるような、憐れむような色合いが色濃く混じっていた。
当の花嫁。
十四歳の佐奈姫はそのようなことは知らない。
時折、そっと駕籠の引き戸を開けて外の風景を覗いてみながら、道中を楽しんでいた。
生まれてから、相模の国はおろか、小田原の城下から出るのも初めての経験である。
見るものすべてが珍しく、興味深くてたまらなかった。
山越えのときは、昼でも夜のように暗い鬱蒼とした木々のなかをゆくのが少し怖かったけれど、坂を上るときに駕籠の担ぎ手たちが拍子をとるために掛け合う掛け声が面白かった。
峠の途中で休憩するときに、少しだけあたりを散歩させて貰った。
路の脇にあった湧水は、手が痛いほどに冷たくて、掬って飲んでみると涼やかな味がした。
湧水の側にはひとむらの菫が咲いていた。
佐奈は菫を摘み、その香りを山の空気とともに胸いっぱいに吸い込んだ。
「姫さま。ここを過ぎれば古府中に入ります。
ここからはくれぐれもお顔を出したりなさいませんように」
北条家から遣わされてきた家臣のなかで、一番年長の剣持但馬守が駕籠に馬を寄せてきてそう言った。
「はい。分かりました」
佐奈は素直に頷いて、言われるままに駕籠の引き戸を閉めた。
やがて、行列はこの甲斐の国の王城ともいえる躑躅ヶ崎の館へ入った。
躑躅ヶ崎ではやって来る花嫁のために御殿を新築して待っていた。
どこもかしこもぴかぴかに磨きたてられた木の香も清々しい住まいに佐奈は晴れがましい思いで足を踏み入れた。
小田原から従ってきた乳母の藤野や侍女たちも嬉しそうに室内をみまわしている。
「つつがないご来着、お慶び申し上げます」
出迎えた武田側の清滝という老女は、佐奈姫を見るなり
「まあ、なんとお美しい。御館さまは姫さまのご到着をそれはそれはもう待ちわびておいででした」
と声を弾ませた。
「佐奈の縁談が決まった。年が明けたら甲斐の武田家へ参るように」
小田原城下の母の実家で暮らしていた佐奈のもとに、異母兄である北条氏政からの使者がやって来たのは昨年の秋のことだった。
佐奈は、父氏康が側室の松田殿との間にもうけた末娘であった。
母は、佐奈が七歳の時に氏康が死去すると、一年も経たないうちにあとを追うようにして亡くなってしまった。
以来、佐奈は母方の実家で乳母の藤野や侍女たちに囲まれて育った。
藤野は狼狽した。
この当時、大名の子女が政略結婚の道具として他国へ嫁ぐのは当然のことであり、むしろ名誉なことであった。
しかし、よりにもよって相手が『武田』とは……。
氏政の正室であった由布姫は、永禄十一年に甲斐の武田信玄が行った駿河侵攻のせいで三国同盟が破れたのち、夫婦仲は良かったにも関わらず離縁されて実家へ返されている。
その後、月日がたちさまざまな情勢の変化から再び、武田家の側から同盟の要請がありそれを容れてのこの縁談ということになるそうなのだが。
藤野は武田が嫌いであった。
藤野の姉は、佐奈の異母姉、佳乃姫に仕える侍女で、姫が今川へ嫁いだときも従っていったのだが前述の駿河侵攻の折。
戦の混乱のなかを佳乃姫は輿も用意出来ず徒歩で逃げるはめになり、まわりにいた侍女たちも命からがらの思いを味わったという。
幸い、佳乃姫も藤野の姉も無事に遠江国の掛川城までたどり着くことが出来たのだが、その途上で何度も危険な目に遭い、侍女のなかには戦場から流れてきたならず者に襲われ攫われてしまったものもいたらしい。
それを聞いた氏康が激怒し、甲相同盟は決裂に至ったのだが、それ以来、藤野は甲斐の武田という名を聞くのも不快であった。
その武田に幼少の頃から自分が手塩にかけて育ててきた佐奈姫が嫁がされる。
藤野は目の前が暗くなるような思いであった。
しかし、当主である氏政が決めたことならば拒めようはずもない。
(亡き御館さまがご存命であったのならそのようなことは決してなかったでしょうに)
藤野は姫が哀れでたまらなかった。
佐奈姫はこの時、十三歳であった。
はじめ藤野はこの縁談は武田家の当主、武田勝頼の嫡男、信勝との間に結ばれたものだと思っていた。
勝頼が亡き正室、妙姫との間にもうけた信勝はその年十歳になっていて妻を迎えるにはいささか早過ぎるとはいうものの十三歳の佐奈姫とは似合いの年頃であった。
縁談とはいっても数年の許婚期間を経たのちに信勝の成人するのを待って正式な婚礼を挙げるのだろうと
思っていた藤野は、姫の相手が 信勝の父である勝頼そのひとであることを聞いてさらに驚いた。
勝頼はその時、三十一。
佐奈姫とは十八の年の差であった。
この時代、年の離れた夫婦などいくらでもいるとはいえ、いくつも年の違わぬ嫡男がいるところへ父の正室として年若い姫が嫁ぐというのはやはり異例に思われた。
藤野の姫への哀憐の念はよりいっそう高まったが、
佐奈を溺愛していた氏康はすでになく、姫の生母の松田殿も世にない今どうすることも出来なかった。
藤野は聡明な女だったので佐奈姫の前では内心を押し隠して、今回の縁談を心から喜んでいるふりをした。
姫は、気に入りの物語の草紙などを広げて胸のうちで夫となるべき人の姿を、あれこれと思い描いているようであった。