Chapter12-4
先程の樽からどれほど進んだだろうか。
「ダメだ。全く道がわからん…」
樽のあった坑道から歩き進めて数十分。一行は未だ地下迷宮を彷徨っていた。
どこまでも続く、同じ道、同じ壁面、同じ床。明かりですら等間隔で配置されたこの変わらない地下迷宮は、経験豊富な久や、方向感覚に優れたタケやハチをもってしても困難な構造だった。
(通りで、ここに居れば安全って言う訳ね)
先陣を切り続けるジョゼに浮かぶ、もう一人の自分。彼女の提案は、間違いなく友を守るための最善策だったと知る。
地下に張り巡らされたこの施設はさながら蟻の巣の如く、住む者は堅牢に守り、侵入した外敵は惑わせる仕組みだ。
周囲を常に警戒しながら進み、思った場所には辿り着くことができない。その間にも時は刻々と進み、自分たちの残り時間という首をゆっくりと締めてくる。幸い、先ほどの樽の位置から他の隊員とは遭遇していないが、いつ自分たちの脱走がばれるかも分からない状況では、全力で駆ける訳にはいかなかった。
「次の辻を左折するわ」
ジョゼが一瞬振り向き、後続の四人に進行方向を告げる。正面には何度遭遇したかわからない丁字路がまた出現していた。
足音を殺し、極限の出せる速度で坑道を突き進む五人。諜報者のような足取りの一行は丁字路に差し掛かって左折した。
「あれは…」
左折した先からも続く、長く変わり映えのない坑道。しかしながら、その目線の遥か先だけは、今までと少し異なっていた。抜群の視力を持っているジョゼのきれいな目が、それを捉える。
「階段か?」
そして矯正具で視力を補っているタケの目にも、それが写った。
階段だ。坑道の突き当りから上に伸びる階段が見えている。床や壁と全く同じ色合いの石を彫った階段が、周囲の壁に溶け込むようにひっそりと上に道を伸ばしている。
「来る時、階段なんて通ってないよな」
最後尾から首を横に突き出して見据えるハチ。ハチの目も確かに階段を捉えたが、ここに案内された際、上りにしろ下りにしろ、階段を通った記憶はなかった。
「完全に迷ってるな……。ともかく進もう。ちょっとでも地上に近づかないと」
久の記憶にも階段の通過はない。久は自分たちが完全に迷っていると判断し、来た道を戻ることよりも地上に近づいて行くことを優先するべきだと考えをシフトした。
次第に近づく上への階。坑道にはいくつかの十字路もあったが、五人はそれを全て無視し、安全を確認しながら、とうとう階段の最下段に辿り着いた。
階段は、自分たちが思っているより段数があった。目視で三十段くらいだろうか。上階も今まで同様、仄かなオレンジ色の明かりが見える。
「……。」
階段を前にし、目を閉じるジョゼとハチ。上階の気配を探知しようとしている。残る三人は「どうだ?」と尋ねたい感情をぐっと堪え、二人の探知を静かに待つ。
「大丈夫、そうよね?」
目を開くジョゼ。しかしその発言は、今まで何度も行ってきた周辺探知の中ではなかった、疑問形。
「そう思う」
そして返答するハチ。そのハチも確証を得ない発言で返した。
目を合わせる二人の盗賊。それは数秒にも満たない僅かな時間だったが、お互いの感覚の整合性を確認するには十分すぎる時間だった。
「この上、魔力を発生する何かがあるっぽいな。そいつが探知の邪魔をしてきやがる」
自分たちの後ろで固まる三人に、ハチが振り向いて告げた。二人の盗賊の見解では、上階に何らかの魔力の発生源があり、それが探知を鈍らせているのだという。
人物の反応はないとは思うが、今まで見えていた探知に比べると、ノイズと細かな暗転が繰り返されるような感じらしく、明瞭には見えてこない。
「先に見てくる。後ろ頼むな」
と、ハチが顔だけを三人に向けて短く言い放ったかと思うと、次の瞬間には軽やかな足取りで数段、上に駆けあがって消えていた。
階段を上がっていくハチを見ているからこそ聞こえる、ハチの忍び足。音を立てずに動くさまは、どこか怪奇で、奇妙な感覚に囚われる。
足首と膝を巧みに使いこなして足の音を殺すハチ。その足が次第にゆっくりになったかと思うと、全くの無音になる。見ると、ハチはまさに今、最上段から頭を出して、その先を伺おうとしていた。
猫のようにしゃがみ、音もなく首だけを伸ばし、視線に注力する。その目線が今、最上段を越えた。
(ここ、は……)
ハチが捉えた階段の先、上階の様子は、先ほどまでの変わらない坑道とはまるで違った。もう少し頭を出して様子を見たいが、それよりも先に人気がないかを確認せねばならない。ハチは今までと違う視覚情報を頭から切り離すと、今度は聴力に神経を集中させる。
(人は――、いないか)
僅かな目視と聴力の限り、階に人影はない。二人の探知は的中だ。
だが、自分たちの探知を邪魔していたと思われる魔力の発生源が見当たらない。あながち、魔力鉱石やそれに準ずる物があるのだろうと考えていたが、今見た限り、その類のものは見当たらない。
「大丈夫だ。上がってきてくれ」
ハチは体を階段下に向けると、下から自分の様子を伺っている四人を手招きした。四人は背後の確認をすると、一人ずつ階段を上がっていき、ハチの横に辿り着いた。
「なっ!? 部屋かよ!」
ハチの横に並び、上階の様に驚く四人。その中で一人、織葉が思わず声を出した。
五人の前に広がっていたのは、縦横十数メートルはある、資材庫のような場所だった。
部屋は正方形に近い間取りで、天井までの高さは十メートル程ある。床は今まで通りの掘り出した石そのままだが、壁面は木板が貼られており、納屋を彷彿とさせる。
室内は下から見た時よりも明るく、高い天井から鎖に繋がれたクリスタルが光源になっており、壁にも燭台が幾つも設けられている。全てではないが、何本かの燭台には蝋燭が刺さっており、火が灯っているものもある。
蝋の受け皿は綺麗に保たれており、蝋が冷え固まった汚れも少ないことから、割と頻繁に人が来ている場所なのだと推測できる。
辺りの床には木箱や樽、古びた剣やその立て台が、壁にはロープや鎖や布、ツルハシやスコップなどが掛けられており、それらも整頓されている。
「倉庫にしては綺麗だ。人の出入りがあるな」
階段を上りきって部屋を見回す久。床の状態や各備品の状態を見るに、ただの資材置き場という訳ではないように思えた。少なくとも毎日出入りがあり、入室だけでなく、何らかの使用があるのは間違いない。
明るく灯された室内を、階段から離れて探索する五人。様々な資材の間を抜けて、室内の備品を確認していく。中には古びた荷引き車や、空気が抜けて使うことができない自転車なども並んでいる。他にも荷馬車や馬の鞍なども見つかったが、移動に関する備品は軒並み酷く傷んでおり、この時代ではこれらの移動手段が全て無意味になって久しいのだと感じた。
目新しいものはなく、今の自分たちに使えそうな物もない。少し埃っぽい空気を吸い込んで溜息をついた久は、どこにも繋がっていないこの部屋からの退室を促そうとした。
「ねぇ! みんな来て!」
途端、部屋の一番奥まで進んでいた織葉が声を上げた。四人は振り向いてその姿を確認すると、織葉は天井を仰ぎ見たまま、片手を振って四人を呼び寄せている。
慌てて駆け寄る四人。織葉に四人の足音が近づいても、織葉は顔をそれに向けることなく、未だ天を仰いでいる。
「なっ、こりゃなんだ!?」
「これは……」
織葉の横につき、同じく天井を仰ぎ見たハチとタケが同じく驚愕の声を漏らした。
穴だ。天井に穴が開いている。それも、単に自然洞窟と繋がるような縦穴ではない。部屋の大きさにぴったりと合った、長方形の巨大な縦穴が天井で大口を開き、深淵へと繋がっている。
「一体、何の……」
同じく横についた久とジョゼ。ジョゼもその不気味な大穴に声を漏らす。穴は真っすぐ直上に伸びているが、途中どこかでカーブなどを描いているのか、真っすぐ地上に繋がっている様子はない。穴の先は闇が充満している。
「換気口、にしてはでか過ぎるか……人工物か?」
用途の分からない大穴の下で、人差し指の先を舐める久。そのまま腕を真っすぐ上へと向けると、空気は上へ、穴の中に吸い込まれている。久は外へ繋がっている穴だと睨んだ。
「上がれば外には出られそうだが、こりゃあ無理だ」
いつの間にか久の横に並んでいたハチが首を横に振る。この穴を昇りきるのは不可能だと述べた。
空気の吸い込み具合を見た限り、ここから地上へはかなりの距離があると見る。今はロープや手鉤といった登壁の道具もないし、何より時間がない。自分たちの想像より、よっぽどここは地中深いようだ。
「仕方ないな。時間を食ってしまったが、引き返そう」
顔戻し、全員を見回す久。仕方ないな。と、全員が頷き、穴の下からもと着た階段の方へと進んでいく。
「くそ。梯子かなんかないのかよ」
ばちん! と、近くにあった布をかけてある何かの資材を叩く織葉。思ったより硬い手応えを返してきたその資材は、織葉の平手打ちを受け、被っていた布をはらりと床に落とした。
「んん? これ、なんだ?」
布が落ちて少し埃立ったその場所には、見慣れない何かがある。
「どうした、織葉」
織葉の声を聞いて振り向くタケ。するとそこには、横向けた二つの円錐の底面を貼り合わせた形、双円錐と呼ばれる形に切りだされた、青いクリスタルが浮かんでいた。しかも不思議なことに、その上面には革製の鞍のようなものが掛けられており、片方の円錐の先には、大きな金のリングが嵌められている。
「織葉、それは――」
不思議そうにそれを眺める織葉に歩み戻るタケ。その声と足音を聞いて、階段に差し掛かろうとしていた三人も踵を返した。