Chapter12-2
ジョゼの目に入ったもの。それはリリオットの村長、ティリアから貰ったブレスレットだった。左腕に巻かれたそれは、今も蛍のように緩やかな強弱をつけ、仄かながらも、優しく光っている。
「そう、か。ティリア村長か」
思い出したジョゼの発言を聞き、同じく腕に巻いているブレスレットに目を落とす久。久のブレスレットの光輝岩も、ジョゼ同様に仄かに光っている。
「確かに村長なら何か知ってそうだ。それに、リリオットなら辿り着ける距離にある」
自分たちの次元で一度、ここセピスからリリオットへ発っている。その時は道中で野宿を行い、到着まで半日ほど掛けたが、小休止だけに留めれば残り時間でゆうに到着できる距離だ。向かえない場所ではない。
「タケ、どう思う?」
久の回答を聞き、タケにも問うジョゼ。それを聞いたタケは、一瞬で懐中時計を確認してしまい込むと、指で下唇を擦りながら数秒ほど思案し、口を開いた。
「確かにティリア村長なら知っていることは多そうだ。それに、ひとかげとの遭遇がどれほどの障害になるかは分からないが、距離は久の言った通り問題ない。十分辿り着ける。……ただ、問題点は幾つかあるな」
タケは眼鏡越しのいつも通りの目つきを作ると、少しだけ状態をそらし、上半身をぐいと机に近づけた。
「今、思い当たる問題は二つ」
タケは指を二本立て、手を軽く振った。
「一つ目は織葉のご両親やグルド村長と同じで、存命かどうかだ。既に亡くなっているとすれば、元も子もない」
一点目は、ティリア・パルテーヌが今も生きているかどうか。既に故人となっていれば、向かう意味はない。
「軍団長に訊きゃ分かったりしないかな」
口を挟むハチ。ハチは軍団長のジョゼットにティリア村長の安否や存在を訊ねれば良いのではないかと提案する。
「そう、か。そうだな……」
タケはハチの発言で何やら一瞬頭を悩むそぶりを見せたが、すぐに我に返った。
「だけどタケさん、ティリア村長があたしたちを手伝ってくれるかどうかは、分からないんじゃない?」
すると今度は珍しく、織葉が口を挟んだ。織葉はどこか申し訳なさそうに、指で頬をぽりぽり掻いている。
「いやその、あたしたちって村長からすれば、知らない奴になるわけでしょ? だからその、あたしたちが幾ら過去から来たって言っても、分かって貰えないような気がして」
このブレスレットや、劫火煌月の話を出しても。と、織葉は腕をタケに突き出して見せた。そこにも同じブレスレットがある。
「……確かに、そうかもしれないな。この時代で、いきなりやって来た見ず知らずの若者を信じてくれるとは考えにくいか」
以前のティリア村長とのあの潤滑なやり取りは、桃姫先生が一報入れてくれていたからでもあるだろうとタケは推察。でなければ劫火煌月をはじめ、それを指し示す秘密のコンパスなど、話す訳がない。
軽く握った拳で、顎をとんとんと叩くタケ。机を見つめ、眉間に少し皺を寄せる。
「なんかごめん。マイナスなことを思いついちゃって」
「いやいや。こういう思考の抜けが一番危ない。オレの考えが甘かったよ」
こういう場では思いついたことを遠慮なく言うのが大切だと、タケは眉間の皺を解いて笑みを作り、織葉の肩を叩いた。織葉も笑みを見せると、大きく頷いて見せた。
「話を戻そう。 それで二つ目だが、それはオレ達の時間の問題だ。リリオットに向かったら最後、ここに戻っては来られない」
タケの提示した二点目。これは自分たちにずっと付きまとう条件。時間の問題だ。
ここから発てば最後、残り時間内で戻ることは出来ないという事だった。片道は問題ない。しかし、往復となると話は変わってくる。
「概算だが、小休止だけに留めても、ここから五、六時間は掛かる。加えて、道中でのひとかげとの遭遇もあるだろうし、もしかすれば道が崩落などを起こしていて、迂回する必要も出てくるかもしれない」
「リリオットで村長とのやり取りまで考えたら、到底残り時間じゃここには戻って来れないってことね」
タケの概算を聞いて頷き、懐中時計を取り出すジョゼ。時刻は先程執務室で見た時より、一時間も進んでいた。
午前一時。残り、十三時間。
その残された時間ではここ、セピスへの帰還は望めないと、地理が叩き込まれているジョゼの頭がすぐさま答えを導き出した。
「かなり博打な計画だな。リリオットからじゃ、主要な村や街にも戻れんだろ。ともかくは大人版ジョゼに村長の安否聞くとこから始めりゃいいんじゃないか?」
分が悪い。と、両手を組んで後頭部に回すハチ。ハチは鼻から息を抜きながら険しい表情を見せた。
「そう、それを話そうと思っていた」
と、ハチのその態度を見て、タケがまた身を乗り出させた。それを見てまだ何かあるかと、ハチは組んだ手を離した。
「さっきハチがティリア村長のことを軍団長に訊ねてみればいいと言ったが、果たしてそれを本当にすべきかどうかだ。この一点は、オレもハチの発言から気づいたことだ」
タケは右手を左手首に乗せて言った。
「……つまり、軍団長に出発を知らせるかどうか。ってことだな?」
「あぁ」
タケの真意を見抜いた久が、口調鋭くタケに問い直した。対するタケは即答し、親友を見つめて一度頷いた。
ここの組織の軍団長、ジョゼット。訪れたこの時代で出会った中で、彼女が誰よりも物事を知っているのは間違いない。それに加え、訊きやすい相手でもある。
だが彼女は、自分たち五人を知っている。そして、既に亡くしている。
ここに時間まで居ればいいと提案したトウカに対して、すぐそれに賛同したところを見ても、彼女は自分たちの身の安全を考え、願っているだろう。
板挟みにされながらも、ジョゼットは精一杯の協力をしてくれた。持ち得る全ての事を話し、安全な場所をも提供してくれた。
それはつまり、もう久たちに、打つ手がないということを示している。
自分たちをよく知る彼女のことだ。ゆいを連れ帰っても満足する結果にならないと分かっているし、これ以上の発展が見込めないとも分かっているのだろう。
だからこそ、危ない事をせず、ここに居ればいい、いや、居て欲しいと言ってくれたのだ。
「……他でもない私だものね。行かせないと思うわ」
年配の自分に自信を重ね合せるジョゼ。この時代の自分が考えそうなことは、手に取るように分かった。
「じゃあ、どうするの? ジョゼ、ットさんに何も聞かずにここを出る? それとも他を考えてみる?」
悩む四人を見回しながら、織葉が早口になって問う。
「ゆいを連れ戻せる可能性に賭けるなら向かう。俺達の安全を第一に考えるなら行かない。といったところだろうが……正直な話、向かうには不確定な要素が多すぎる。大陸の様子も分からないし、あまりにも無謀だ」
織葉に答える久。久は鼻水を拭うかのように、手首で鼻下を擦りながら、重苦しく答えた。行くか行かないかと言う明確な宣言はしなかったものの、久のその返答は、後者を取ると言っていた。その判断は当然だろう。
「ちくしょう、どっかないのかよ。完全に安全な場所ってのは」
舌打ちながら机の天板を平手打ちするハチ。ばん。と、衝撃音が一つ鳴る。
「敵がなんだか知らねえが、あいつらが立ち入れないような場所とかどっかないのか? 一つくらいあんだろ」
「おいハチ、いらいらすんなよ。あたしまで腹が立ってくる」
明らかに不機嫌になるハチと、その波長を受けてしまう織葉。織葉は誰もが苛立ちたいこの状況で、自分だけ感情を露わにするハチに腹が立った。
「うっせーぞ織葉」
「なんだよ。すぐ頭に血を上げんじゃねえよ」
「よせ二人とも。俺たちが今ここでいがみ合っても何も始まらない」
険悪な空気を感じ、すぐさま二人をなだめる久。ここの世界で揉める訳にもいかない。久は優しいながらもはっきりとした口調で、今にも席から立ち上がろうとせんばかりの二人を止めようとする。
数秒、にらみ合う二人。だが、本心では久の発言がもっとも正しいと理解している。二人は次第に息を鼻から抜き、浮きかけていた腰をもう一度しっかりと座面に下した。
「まぁしかし、ハチの言う通りではある。どこかにあいつらの手が及んでない場所があればなぁ」
前髪を撫でつける久。ハチの言った通り、どこか一か所くらい、安全な場所は無いのだろうか。
「ねぇ――あそこは、どうかしら?」
まだどこか険悪な空気が少し残る中、ジョゼが口を開いた。
「ユーリスよ。あの場所って確か、“大陸にあるけれど、大陸に無い”って言ってたわよね。そこなら、何か――」
疲労しかけていたジョゼの頭思い出した一つの場所。
それはかつて疲労の果てに訪れた温泉郷。原生林かき分けて進んだ先に辿り着いた、ユーリス村だった。
「そう、か。ユーリスか」
そう呟く久。自分含め、誰もが失念していた。
四人の武神が自らを癒すために建立したとされる秘境の地。ユーリス。過去にそこへ訪れた際、温泉宿の女将から、“この村はユーミリアスにあるが、ユーミリアスに無い”と聞かされていた。
癒しを求める者だけが辿り着き、心疾しきものは踏み入ることも敵わない、清い癒しの地。あの場所なら、外敵からの影響を受けることはない。それは自らの経験を持って知っている。
「ねえタケ、どうかしら」
斜め前に座り、自身を見つめていたタケに、ジョゼは少し身を乗り出した。タケは何度か軽く頷き、そして腕を組んで見せる。
「移動の問題は無い。安全面もその地に辿り着けさえすれば、大丈夫な筈だ。あとは村の人たちが何か知っているかどうかだが――」
「こればっかりは行かんと分からんな」
鼻から息を抜くハチ。この点ばかりは今から調べようがない。
「あぁ。だが、行く価値はあると思う」
と、珍しくタケが打算的な見解を下した。皆のために、時に嫌われる模範解答役を引き受けてくれているタケの珍しい見解に、四人は次の発言を待った。
「ここに居ても向かっても一緒なら、動くべきだ。無駄に時間が過ぎるのを待つよりか、よっぽど良い。そうは思わないか?」
珍しく疑問形で終えるタケ。でもそれこそが、皆の取りたかった行動に違いない。四人は頷いて見せた。
「だな。行くか、ユーリス」
そして、椅子から立ち上がる久。その仕草はどこか決起したようなものではなく、隣町へぶらりと出かけるような、いつも通りの、軽い仕草だった。
「おう。動かないのは性に合わねぇや」
ハチは緩んでいた靴ひもを適当に結びなおし、軽く飛び跳ねて久の横に立った。
「そうしましょ。ここで大人しく待ってられないわ」
ジョゼは心の中で、この世界の自分に謝った。
自分の本当の友でもないのに、心を痛め、出来る限りの尽力を施し、そして安全な場所まで提供してくれた、この世界の自分。
そんな、他でもない自分、ジョゼットにジョゼは心から感謝し、そして別れを決めた。
ジョゼのその一言は、自分との別れ。そして、私は自分の道を行くという、一つの決断だった。