Chapter11-5
「バカ言うな! 先生だぞ! あの先生がだぞ!?」
一番に声を荒げたのは、感情を剥き出しにしたハチだった。ハチは机をたたいて立ち上がると、どこに先生がいる訳でもないのに、真横に腕を伸ばし、指を突き立てた。
「事実よ。天凪先生は、私の代わりに、亡くなった」
「でも、そんな――なんで……?」
動転するハチをよそに、淡々と事を告げるゆい。その明確な言葉一つ一つを聞いて、ジョゼが疑問の声を漏らす。訊ねたジョゼも、黙って目を閉じる久もタケも織葉も、自身が怪我を負ったかのように悲痛な顔をし、首をやや下に向けている。
「十年前、ひとかげは突然現れた。その時、私は何故か、奴らに執拗に狙われるようになったの」
感嘆する五人を見つめながらも、ゆいは自ら決めた道、五人へ真実を語り出した。その姿は、先程のゆいや、初めて対面したトウカと、どこにも違いない。
「私は日夜追い回されてね。数時間と同じ場所に留まれなかった。セピスも学園もすぐに崩壊して、隠れる場所はここには無くなった。本当は天凪先生に会いたかったけれど、混沌が支配しつつあった当時のセピスではそうはいかなくて。ともかく一度、ここから遠くに離れることにしたの。織葉ちゃんと、武郭まで」
「武郭に、か」
急に名と故郷を呼ばれた織葉だったが、どこかこの時代の自分とゆいの行動に納得していた。
自分ならきっとそう提案するだろう。セピスから武郭までは遠いが、そこまで逃げ切れれば、少しばかりは腰を下せるのではないかと、学生の足りない頭で考えたに違いない。
ふと、織葉の脳裏に両親の顔がよぎった。
おそらく、この世界では二人ももう、安否は不明なのだろう。武郭さえも、もう存在していないのかもしれない。
「だけど、無理だった」
そしてゆいは、もう一度か刀を腰から抜き出し、机に置いた。
氷焔。これがここにある意味は、織葉の死を示している。現に、先程ゆいの口から、これは織葉が亡くなる寸前に自分に託した物だと語られた。
「セピスを発って数日だった。分かっていたけれど、ひとかげは突如現れてね。複数人で現れたものだから、私の魔術では手も足も出なかった。織葉ちゃんは、その時に」
私を守ってくれた。と、本人の前で静かに述べた。
織葉の最期は詳細に語られることは無かった。だが、ゆいが言うには、織葉は固着術を用いて、単騎で多くの敵を圧倒したのだという。
「あの時の雄姿は、忘れない」
ゆい自身、その本人が眼前に居るという事に、やや違和感を覚えているようだが、眼前の織葉と記憶の中の織葉が完全に重なるという事は無いらしく、言葉に詰まることも、感が極まることも無かった。
ゆいは黒鞘の氷焔に手を伸ばすと、少し自分の近くに寄せた。ゆいは話を続ける。
「話を戻すわ。織葉ちゃんがひとかげを圧倒してしばらく経った後、天凪先生とようやく会うことができた。先生は私たちを探しに、方々を転移して探してくれていたみたいでね。久方ぶりに再開したけれど、先生もぼろぼろだった」
親友を無くし、途方に暮れていたゆいの元に、傷だらけの桃姫が現れたのだという。桃姫の装いは至る箇所が裂け、足を引きずっていた。
織葉の亡骸に頬をつけて泣いていたゆいの眼前に現れた桃姫は、強くゆいと織葉を抱きしめると、自らの魔力で三人を包み、もう一度、天凪魔法学園へと転移した。
崩壊した学園の一室。天凪校長の校長室に倒れ込むように転移した三人は、満身創痍だった。
ゆいはひとかげの襲撃で体中に怪我を負い、加えて先の戦闘で魔力が枯渇していた。一方の天凪桃姫も、ゆいの知らぬ間に、沢山の死地を潜ったのであろう。濃紺のローブに出来ていた黒い染みは、全て自身の出血から生まれた汚れだった。服の下はゆい以上に傷だらけだったのだろう。
「その後、先生は教えてくれた。『敵はあなたの何かを狙っている』と。でも、それが何か分からないって」
そして桃姫は、ゆいを狙うその執拗な行動に早々に気付けなかった事を悔いた。もっと早くゆいに気を回し、セピスを出る前に会えていれば、こんな事にはならなかっただろうと。桃姫は自身の頬を強く叩いた。
「先生が言うには、私ほど執拗に追われている人間は居なかったそうよ。ひとかげに攻撃したりした人間は別として、何も無く追われているのは、見えている範囲、聞いた限りでは私だけだったらしいわ。――だから先生は、一つの作戦を立てた」
「作戦?」
タケが問う。
「ええ。先生の見解は、『ひとかげは私を殺すつもりはなく、それこそ根源となる主犯格の元に連れ去りたいのではないか』と言うものだった。私に思い当たる点はないけれど、先生はその行動を逆手に取って、自らの魔術で私に化けて、奴らの前に出ると計画したの。上手くいけば、敵の大元に辿り着けるかもしれないって」
「……なるほど」
到底納得できない作戦内容。だが、切羽の詰まった残り少ないこの時代では当時、それが最善の選択だったのかもしれない。
桃姫だって、無謀な計画と分かった上だろう。あの人は、無茶や無謀な行動、それこそ、やけになって動くようなタイプではない。
ひとかげに追われるゆいを探しつつ、その動きと状況を見ながら、自らが打てる最善の選択をしたのだろう。
思えば、自分たちを今、この時代に送り込んだのもそうだと言える。希望的観測だけで自らの魔力を捧げ、ここに五人を送り込んだ訳では無い。
「そして翌日、作戦を決行することにした。作戦の全貌は、魔術で私に化けた先生がひとかげの前に現れるというもの。その間の私は先生の提案で、魔術で先生に化けることになった。この計画を知っていたのは、私と、先生と――」
「私の、全部で三人よ」
ふと、ジョゼットが口を開いた。
「えっ? ジョゼ、ット、さんが?」
呼び方に何か所も躓きながら、いきなり出た名前に久が反応する。ジョゼットは深く頷いた。
「ええ。その時、セピスから入っていた依頼で私がここに来ていたの。その最中、ひとかげの大量発生が始まってね。私はセシリスに戻れなくなった」
「なるほどな……」
当時セシリスに残った側だったのだろうハチが、当時の状況を想像した
「勿論、久たちにもすぐ伝えたわ。久は、『セシリスは三人で守るから、セピスと学園、先生を頼んだ』って。――そして数日後、先生は教え子を探しに行くと言って、ここを出た。その後はさっきゆいが話した通りよ」
そこから更に数日経ったのち、一人の骸と一人の魔導師を抱えた天凪桃姫が帰還した。
「先生が作戦を提案したとき、私もそこに居たわ。作戦には当然賛成できなかったけれど、先生が教え子を守りたいって気持ちに根負けしちゃってね」
桃姫が教え子を想う気持ちの強さは、ここに居る全員が知っていた。皆何かしら、あの偉大な雷の魔導師に助けられている。
「それで翌日、作戦は決行された。手筈通り、私は先生に化けて、先生は私に化けた」
ジョゼットからバトンを受け取るように、引き続きゆいが当時を語る。
明朝、何もかもが目覚める前に、ゆいと桃姫はそれぞれの姿を入れ替え、それをジョゼットは見守った。桃姫の施した魔術は完璧で、容姿や感触どころか、身に纏う魔力の波までそれぞれに扮していた。
「入れ替わった私は、私に扮した先生を見送ると、軍団長と部屋の窓から外を伺ったわ。そうしたらすぐに、塔の下の広場に、先生が降りて現れたわ」
あの高い時計塔の窓の一つから、ジョゼットと桃姫に扮したゆいは、まだ少し薄暗い塔下に現れた、ゆいに目を凝らした。
桃姫もまた、頭上の高い場所から視線が向けられていることに気付いていただろう。
「その後、一瞬だった。先生の周囲を囲むようにひとかげが現れたわ」
先生の言う通り、ひとかげは本当に自分を探し求めていた。あれだけ静まっていた早朝の学園に、次々とひとかげが湧いていくのを、高い個所から見続けた。
「そして先生は――刺された」
「――っ!」
タケは思わず、顔を後ろに振った。
塔を降りた桃姫は突如、背後から深々と槍を突き刺された。
当時、桃姫が何を思ったのかは分からない。ただ、呆気にとられた桃姫と、頭上の二人が口を大きく開いた時には、桃姫の身体には幾つもの武器が突き刺さっており、校長室の高い位置からでも分かる程、塔下の石畳を一瞬で真っ赤に染め上げた。
「その後は、一瞬だった。あれだけ校舎にいた筈のひとかげは瞬く間にすべて消え、その反応を全て消した。すぐさま、私と軍団長は塔を飛び降りる勢いで階段を駆け降りたわ」
塔下の階段を開けた刹那、二人の目に飛び込んだものは、何だったか聞くまでもないだろう。