Chapter11-1
溶けた氷塊、枯れた桃樹
曇天だった空は、いつしか荒天となっている。
大気は突風と大粒の雨で覆われ、時折空気を震わせる雷鳴が雲中より響き、闇夜の世界に真っ白なひびを入れながら大地に突き刺さって行く。
「……。」
雨粒がはりつき、さながらすりガラスのような部屋の窓から、濃紺の装いを纏う、一人の人物が世界を見渡していた。
――ゴゴォォン。
厚い雲の中で稲妻が鈍く光ったと思うと、重厚で低音の雷鳴が空気をゆっくりと震わせた。大気の雄叫びにも聞こえるそれは、決して人工に作り出すことが敵わない。
稲妻や雷鳴はかつて、神の怒りだと信じられた。天界の神が、下界に罰を下しているのだろうと。
空と太陽を隠すほどの黒く厚い雲は、さながら全てを隠し、取り上げる布に見えたことだろう。それでいて、その厚雲の隙間から降り注ぐ轟音と閃光、時に地表にまで影響を与える雷は、凄まじい程の衝撃だったことだろう。
人々はそれが収まるまで室内に逃げ隠れ、身を寄せ合って凌いだ。
どうかそれが自分たちに刃先を向けませんようにと。どうか、田畑を持っていかれませんようにと。
深い夜の時刻の中、天凪桃姫は初めて、雷鳴に恐怖を感じた。
◇
明るいこの場所に窓は無い。室内は光源による明かりで満たされているが、その灯りはどこか不自然だ。
一言で表すならば、単調。時刻によって明度の幅がある訳でもなく、雲によって隠れることも、季節によって暑さが変わることも無い。ただただ常に一定の明るさを放ち、対象の物を見やすくするために光を放っている。
だからか、久しく見た氷の魔導師の星色の髪が、何処か平たく見えた。
室内の人工的な明かりに照らされたゆいの頭髪は、前髪から後ろ毛先に至るまで、その光に照らされて真っ白に見える。それはいつかの手入れの行き届いた毛髪と言うよりも、年老いて疲れ果てた、色素の抜けた毛髪に見えた。毛先にはいくつかの枝毛も見える。
「私は間違いなく、霧島ゆい、本人よ」
織葉ほどに髪が伸びたゆいは、その、群青の瞳で目の前の椅子に座ったままの五人に改めて言った。
「本当に、ゆいなんだな……」
固く結んでいた久の口が解ける。数年間別れ、その生死に実感が湧かなかった相手を目の前にしたらここまで言葉が出ない物なのかと、上手く動かない口を軽く指で叩いた。
「……織葉ちゃん以外とは、初対面になるけどね」
頭の中で上手く整理の着かない久に対し、やはり聞き慣れない口調でゆいが言う。この喋り方が、この時代のゆいの話口調であるのは分かる。
だが、どうしてもその口調、声色が、五人の知るゆいと結びつかず、眼前の魔導師が、ゆいであると中々頭が理解しない。
「出なかった、世界だものね」
両手を膝に置いていたジョゼが指を組む。ゆいはジョゼと出会っていないが、この時代のジョゼットはゆいと出会っている。
どちらかで筋を通せば矛盾する二つの世界の中で、ジョゼは双方の世界を切り離し、落ち着いて現状と、眼前のゆい、この世界を振り返った。
ここ、現歴8019年は自分たちのいた時代と繋がっていない。それは自分たちの知る影ではない、ひとかげが自分たちの居た時代より前から発生している事が証明している。
そしてもう一つ。何よりも大きいのは過去に催された、オーディションへの参加の可否だ。この時代の二人は重要視していないようだが、過去からきた五人からすると、ここは無視できない事情となる。
オーディションに出なかった。つまり、当時学生であったゆいと織葉が開催地、カルドタウンに向かっていないということ。あの日あの地に行かなければ、ゆいたち天凪魔法学園組と、久たちパートナーチームが出会うことは無いのだ。
それであればそれから先の事象は思い出すよりも早い。
織葉は河川敷で倒れることもない。リリオットやライグラスに赴くこともない。
劫火煌月を知り、扱うことも、極寒の地で延々と塔を上ることも――
この時代のゆいは久たち四人を知らないのではない。
何も――何も知らないのだ。
何を話して良くて、何を話したら駄目なのか。
「ねぇ、ゆいちゃん」
誰もが次の言葉、欠ける言葉を探す中、ジョゼは口を開いた。その呼びかけ方は、いつも通り。自分の知る、霧島ゆいへの呼びかけ方だ。
「なんでしょう?」
ゆいは、ジョゼの知るゆいの答え方をしない。至極いつも通りの返し方で斜め前に座るジョゼに顔を向ける。
「分かりきった事を聞くわ。ごめんなさい」
するとジョゼは、先に謝りを入れ、
「私たちと一緒に過去に戻ろうって言っても、着いて来てはくれないわよね」
と、ゆいの真意を先に捉えた。
五人の動きが固まる。何度も小さく頷いていたタケも、口を堅く結んで俯いていたハチも、後頭部を掻く久と織葉も。皆一様に、時間が止まったかのように固まった刹那、誰もがジョゼに視線を向けた。
「勿論です」
ゆいは至極あっさりと、それ以外の答えは無いと言わんばかりに、ジョゼの質問に二つ返事で答えた。
「でしょうね」
そして問うた本人も、その答に対し、すぐに二の句を継いだ。
眼前の長髪を少し靡かせるゆいにとって、過去や、そこから来た知らぬ仲間の依頼などは、全く持って優先すべき事柄ではない。
自分も過去から飛ばされてきたとなれば話は別だろうが、ここにいるゆいはそうではなく、純粋にこの次元に生まれ、育ち、今日まで過ごしている。
ここでの生活が全てであるし、自分が課された任務である、ひとかげの制圧、完全排除が第一だ。当然ながら、いきなり現れた自分を仲間だと言い張る過去の人間たちの希望に、おいそれと付き合う事は出来ない。
自分たちだって同じ立場になれば、当然それ拒否し、自らの任務、依頼を優先する。
久たち六人がユーミリアスを守りたいと思う気持ちと同じく、ゆい――トウカの願いも、また同じなのだから。