Chapter10-9
ジョゼットが言うには、数年前までは今よりもひとかげの出現速度が速かったらしく、その速度たるや、時には朝から晩まで剣を振るい続けなくてはならない程のものだったらしい。
ところがある時、キハル砂漠で哨戒任務に当たっていた組織の別動隊が、既に荒廃し、廃墟の城と成り果てていたリノリウムから凄まじい程の魔力放出を検知した。
報告を受けた本部は詳細を探るべく、すぐさま調査隊を編成、現地に派遣し、調査を開始。すると、その魔力源は地下深くに安置されていた巨大なクリスタルからのものだと判明。更にはその周辺に数えきれないほどのひとかげが生まれていた。
調査を続けると、ヘリオは一日に数回魔力を放出していることが判明し、その瞬間に三桁をゆうに超えるひとかげの出現が確認された。
その結果を携えて軍議を開いた結果、満場一致でのヘリオの破壊が決定。数日後作戦は決行され、軍団は持てる全ての力を総動員し、これを破壊したそうだ。
それからはひとかげの発生は緩やかになり、今に至っているという。
◇ ◇ ◇
「あいつが大元の原因じゃなかったか」
下唇を噛む織葉。あれが唯一の原因であれば話は早かったのにと一瞥する。
「私たちからすれば、破壊後は発生速度が格段に緩やかになったから、作戦としては成功だったのよ。ただ、大元でなかったと言う点では私たちも肩を落としたわ」
作戦結果を振り返る軍団長。最終的な結果としては、当然満足は出来ていなかった。ただ、今となってはあの時よりも犠牲者が減っていることで良しとしており、自分の中で折り合いをつけていた。
「となると、私たちの知る奴らの情報はもう無いわね……」
少し口をすぼめ、渋い顔をするジョゼ。自分たちもこれ以上影、もとい、ひとかげについての情報は無い。力になれそうにない事に消沈する。
「いいのよ。これは私たちの時代の問題だから。そう考えてくれるだけでありがたいわよ」
若き日の自分に声を掛けるジョゼット。彼女は今初めて、力ない時の自分の表情を知った。
通り過ぎたはずの、過去の自分。
失ったはずの、大切な仲間たち。
鏡で見るのとは異なる自分の顔と、永久に会う事の無い仲間たちの姿を見て、ジョゼットは一人、感慨に耽った。
有り得ない経験をしている。と心中では理解している。しているのだが、どこか今の状況に納得し、馴染んでしまう。
もう一度会うことが出来るのならば、話したいことが山の様にあった。力いっぱい抱きしめ合い、涙しようと考えていた。
だが、想像でしか考えたことの無い未知の体験は、遭遇して見れば思いのほか順応してしまう。
心がまだ着いて来ていないだけなのかもしれないと、ジョゼットは一人考えていたが、今の自分の精神を客観視しても、これからその実感が湧きあがるとも思えない。
どこか冷静な自分を不思議に思いながら、ジョゼットはかつての仲間たちを静かに見た。
「そういえば、まだあなたたちの目的を訊いてなかったわね」
ふと、五人の顔を見て思い出した。
トウカが連れてきた思いもよらない客人に驚き、自分たちの説明とお互いの状況は簡単に確認し合ったが、そういえば彼らの目的を聞いていない。
すると向かいに座る五人もはっと驚き、そういえばまだ自分たちの目的を話していなかったと、お互いに驚いて顔を見合わせると、五人は次第に眼前のトウカに視線を向けた。
「……。」
凝視されていると当然理解しているトウカ。当のトウカは既に五人の目的を知っている。トウカは何も言わず、顔色一つ変えず、静かに発言を待っている。
「えっと、その、言い辛いんですが――」
口を開く久。久は大人びたジョゼとゆいを目だけで交互に見比べながら、自分たちの目的を口にした。
「トウカさん。いや、霧島ゆいを迎えに来たんです」
そして久は、強い眼差しで黄髪の魔導師を凝視した。
髪が伸び、自分たちよりも年上となったゆいは、やはり別人だ。かつてゆいから感じた幼さはしっかりと消え、全てを見据える冷静さが強く浮き出ている。
よく見ると、目の色や口や鼻の形はゆいそのものだった。しかしパーツごとに見ず、顔全体を通して見ると大人びた点から、かつてのゆいとは中々結びつこうとせず、頭が混乱する。
恐らくは真っ黄色の長髪がイメージの邪魔をしているのだろうが、それを抜きにしても、そうそう簡単にあの氷の魔導師、霧島ゆいのイメージ、記憶と結びつこうとしない。
「トウカ……いや、ゆいを迎えに? それは、どうして?」
初めて聞かされる久たちの目的に、ジョゼットは素早く瞬きを繰り返して訊き返す。するとそれに対し、織葉が答えた。
「あたし達の時代で、ゆいは死んだんだ。ユーミリアスを救うために力を使って、一人死んじゃったんだよ」
「……えっ?」
鉄面皮かと思っていたトウカの表情が、小さな驚きの声と共に少し歪んだ。
トウカはゆっくりと、他の四人の顔も見回した。四人は何も言わず、沈黙を持って事実と表明している。
「それで?」
詳細を求めたのはジョゼット。ジョゼットは大きく顔色や表情を変えることなく、先程までと変わらない口調と声色で、詳細の説明を促した。
「ゆいは亡くなったってみんな思ってた。でも、違ったみたい。校長先生がゆいはまだ生きてる可能性が高いって教えてくれて、ゆいが生きている時代に飛んで、迎えに行って欲しいってあたしたちに頼んだんだ」
そして織葉は、ゆいの愛杖、リューリカ・シオンから魔力の反応が長らく消えていないこと、先生の魔術を用いて聖神堂に転移してきたこと、そして、この時代に留まっていられる制限時間のことを、少し拙い言葉で二人に伝えた。
二人は何も言わず、ただただ説明する織葉を見つめ、静かに話を聞いていた。その姿は耳から入る織葉の言葉を一言一句逃さず、頭の中にある何かと照らし合わせるかのようにも見えた。
「そう……。そんな事情がみんなにあったのね」
最初に言葉を発したのはジョゼット。当然ながら、今の自分は眼前の自分たちから聞かされた出来事など、一つの憶えもない。だがジョゼットは、自分を含めた過去の六人が、どれほどの困難を共に乗り越えてきたのかを心中で察した。
「そんなことが貴方たちに、ね」
トウカも続く。トウカはジョゼよりも少し重たい口調で答えた。今聞かされた、突拍子もない過去の自分の話を聞かされても、トウカはそれに反発することも取り乱すことも無い。
「だから、はっきりさせてほしい」
途端、織葉が先程よりも強い口調で言う。
気付かぬうちに少し顔を伏せていた未来の二人がそれを上げると、視線の先の剣士は先程よりも少し乗り出すように腰掛け、真剣な眼差しをトウカに向け、言った。
「あんた、本当にゆいなんだよな? あたしの知る、“霧島ゆい”なんだよな?」
織葉の口から出た、親友を疑う質問。
どれだけ今のゆいを凝視しても、そこに居るのは似つかない一人の女性。黄色長髪を纏う、水の魔導師だ。
だが、彼女は確かに図書館棟でその姿を晒した。
何かを隠すかのように染めに染め上げられた特徴的な黄髪が溶け、星色の銀が裏から現れた。
図書館棟からこちらに向かう際の行動を見ても、所持している氷焔を見ても、その答えは明白だ。
だからこそ、織葉は自身の口から聞きたかった。
「私は、霧島ゆいです」と。
織葉は待った。
もう何も言わず、瞬きもせず、ただ、トウカが答えてくれるまでの一瞬を、永遠に待った。
そして、トウカは目を閉じ、ゆっくりとその口を開いた。
「私は――」
静かに述べたトウカ――ゆいは額に手を当て、そこから毛先に向かい、自らの毛を撫でた。
「私は、霧島ゆいよ」
撫でた長髪は、白金にも近しい眩しい星色となって、一同の前で揺れて見せた。