Chapter10-1
“出なかった”世界
曇天。
この冷たい雨は日が傾きかける頃から降り始め、今やそれは本降りだ。
セピスタウンの小高い山の上にある、天凪魔法学園。その学園の時を刻む煉瓦造りの時計塔に一室、灯りが灯っている。
雨粒は塔の一室の窓ガラスにばちばちと当たり、その身を潰すかのように板ガラスに自らをへばり付かせている。
窓からの景色は淀み、闇夜の濃紺と厚い雨雲の灰色が混ざり合い、黒にも近しい淀んだ濁色が大気に混ざり込んで空と地面の間に満ち満ちている。
少し遠くに見えるセピスの海原も荒れているようで、停泊している漁船も、水面上で上下左右にと忙しくその身を揺らしている。
時刻は日付変更線を跨いだ。久たちがこの時代から旅立って、十時間が経とうとしている。
夜の学園にたった一人。その地の最上階で遠くを見つめる一人の元、魔導師。
彼女は三角帽のひさしの奥から、曇天に包まれたセピスの先、通じることの無い“未来”に飛んだ数人を気にかけていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「「わ、私が二人!?」」
闇が覆うセピスで一人、足を負傷したジョゼが珍しく狼狽し、目を丸くしてもう一人の自分に指を指している。
見違えようの無い、自分。それは鏡に映った自分のように、瓜二つと言うわけでないが、確かに自分だった。
見慣れた髪色、その長さ。髪は後頭部で結われてはいないが、ジョゼが髪を解いた姿と全く酷似している。
顔は少し指差した側が大人びているが、それでも今の自分と大差ない。
服装は今の様な白と黒を基調したものとはまるで違うが、それでも自分の身体の特徴は変わらず、出る個所は出て、引き締まる個所は引き締まっている。
「トウカの次は、ジョゼだと……? 一体どうなってんだよ」
「分からん、分からんが……」
額を擦り、二人のジョゼを交互に見る久と、それに応えるタケ。タケは顎を指で擦りながら、この時代のジョゼを凝視した。
すると、髪を解いた、「大人版ジョゼ」とでも言うべきだろうか。彼女と目があった。
間違いない。彼女はジョゼだ。自分たちの良く知る、ジョゼットだ。トウカ――ゆいの魔術が解けるときにも見たように、数年分自分より歳を取っているようだが、大きな変化ではない。髪を解いたジョゼが、そこにいる――
どんっ。
ジョゼを凝視していたタケは一瞬、身体に衝撃を感じ、全身を圧迫された。
「タケっ! 会いたかった……! 会いたかったよ……!」
我に返るとそれは、未来のジョゼがタケを気付けば強く抱きしめていた。
ジョゼは身長こそ変わらず、抱きしめてもタケより小さい。だが、その身体はタケの身体を力いっぱい、精一杯抱きしめていた。
顔を見下げると目に入る、ジョゼの頭の天頂。そこに見える髪はいつもよりも傷んでおり、枝毛が何本か目立った。
「あ、あぁ……本当に、ジョゼ、なんだよな……?」
強く抱きしめられたまま、タケはジョゼに問う。その質問の途中、タケは自分たちの時代からともにやってきた、髪を結ったジョゼと視線がぶつかる。
タケと抱擁するジョゼを見るジョゼにも到底意味が分からず、抱きつかれたタケと、それを見るジョゼは、ともかく状況を整理しなくてはならないと、互いに頷き合った。