Chapter8-3
ジョゼは屋根上で頷いて見せると、下を歩く織葉を追うように屋根を歩いて足早に渡り廊下を抜け、織葉と並走するように屋根上を進んでいく。
目を指していた西日が、今度は後頭部に突き刺さっているのがわかる。
視界の左下を歩く赤髪の剣士を外さないようにしながら、ジョゼは逡巡頭を巡らせた。
(三人が無事だと思ってここまで進んできたけれど、それも過信だったのかもしれないわね)
男たち三人は、一緒に行動していると考えていた。自分たち二人がそうであったから、そうであると考えていたが、当然それは仮定にすぎない。
単独でいる瞬間をあの濁流や影の軍勢に囲まれでもしたら、彼らでも凌ぎきれないだろう。
「ともあれ三人とも、無事でいてよね」
そう口から小さく漏れた頃には、ジョゼは校舎の最端、地上で織葉が待つ、この校舎の入り口の頭上にたどり着いていた。
「大丈夫? 降りられる?」
地面から首を真上に向ける織葉。ジョゼの足首は幾分かましになってきてはいるが、飛び降りるにはまだほど遠い。
ジョゼもこの高さから飛び降りるにはまだ早いと考えると、屋根端へと落ちないように進み、その隅から地面へと延びる、錆びた雨どいに手をかけて、そのままするすると地面に降りた。
「お待たせしたわね。それじゃ、この建物から行きましょうか」
「うん」
そして二人は校舎の入り口を見つめた。
下で合流した二人の前にある、眼前の建物への入り口。
その入り口に設けられていたはずの扉は、片方がすでに朽ちてなくなっており、校舎がどこか大口を開けて訪問者を捉えようとしているかのように見える。
いつから開きっぱなしか分からないその校舎の内部は、夕暮れ時の時間と相まって、深淵を覗いているかのように暗く、静まり返っている。
そして二人は、校舎内へと足を踏み入れた。
建屋の中はひんやり冷たい空気と、埃と黴が混ざり合った、時折鼻をツンと刺激する匂いが漂っている。
壁や天井の抜けや損壊は他の校舎と同様ほどで、至る所に出来た隙間から夕陽が差し込み、古びた床にぽつぽつと光点を作り出している。
床板は腐って痛み、更にその上には朽ちて壊れた木製の家具が倒れ、その使命を奪い取られていた。
二人は建屋の隙間から差し込む光と、腕に通してある光輝岩のブレスレットが放つ光を頼りに、注意深く歩を進めた。
「そうか。ここ、図書館だ」
ふと足を止める織葉。織葉は床に放置された、自分の膝ほどまである家具が床に倒れた本棚だとようやく理解した。
「ここ、図書館棟なの?」
ブレスレットを巻いている腕を少し突き出すジョゼ。暗闇に目を凝らすが、この廃墟同然の荒れ果てた校舎は、整然とした図書館棟とは似ても似つかない。
「うん、間違いない。あたしはここに数えるくらいしか来たことないから、すっかり忘れてたよ」
読書と縁遠い織葉は、すっかりとこの場所と棟を失念していた。
「どうする? もうちょっと進む?」
歩を止めてジョゼに振り向く織葉。ジョゼは逡巡それに悩んだ後、
「そうね……。もう少し進みましょ。せめて槍が落ちていた辺りくらいまで行かない?」
と提案した。それに対して織葉は断る理由もなく、うんうんと数回頷いて見せた。
この時織葉は、言葉では言い表せない気持ち悪さのようなものを、どこかこの空気から感じていた。
それはどこも明確ではないが、確かに感じる違和感。
誰かに見られている訳ではないが、誰かを見ているような気がする。
「なんか、気持ち悪いんだよな」
ぽつりと呟く織葉。いつしか利き手は刀の柄に添えられていた。
明確な殺意や、監視の目ではない。どこか小さな間違い探しをさせられているような不可解な感覚につつかれながら、織葉は闇の充満しつつある棟内に、赤い瞳を凝らしていく。
「ジョゼさん、階段あるけど、どうする?」
うす暗い校舎の中、織葉の瞳は二階へと上がる階段を捉えた。
階段の前、数メートル先で一度歩みを止めてジョゼに問うと、階段を伝ってきたかのように、ひんやりとした空気が二階層から流れてきた。
「うーん。覗くだけ覗きましょ。天井を見るに、上の階はもっと痛んでいるっぽいし」
腕を突き上げて照らすジョゼ。その真上を見上げる視界には、痛み落ちた天井の板材と、その隙間から覗く二階の床板。腐敗した板材に支えられている足元が不安な上階には、正直長居したくない。
織葉はまた一つこくりと頷くと、所々抜けた階段を注意深く進み、踏んでも安全な箇所をジョゼに伝えていく。
ゆっくりと上がるジョゼと、体重を掛けずに軽い足取りで上がる織葉、長年棟内の空気が動いていないからか、肌を撫でる冷たい空気を感じながら、織葉は数段を一気に飛び上がり、階段を上り切った。
(……えっ?)
上がった先は大きな踊場。その左右からは更に上に階段が伸びており、上階に続いている。
だが織葉の目に強く入ったのは、まだ続く階段でも、痛んだ床や二階層でもなかった。
「扉が、凍ってる……?」
織葉の目に飛び込んできた異質なもの。それは、階段を上がり切った真正面にある木製の扉。それががっちりと、凍り付いている。
古い木製の扉からは、まるで花の様な氷塊がいくつも貼りついており、戸の蝶番や取っ手、扉の下部には一際大きなそれがある。
扉全体も水を掛けられてそのまま凍結したかのようで、一面が凸凹の一枚氷になり、その数センチ奥で、エルマシリアさながらの地から掘り出された、過去の遺物の様に木扉が存在していた。
(氷は、新しいな……)
織葉は踊場の突当り、扉の前まで進み、その氷に手を触れる。途端、掌の神経が冷感を感じ取り、織葉の小さな手から一気に体温が吸い取られていく。
(これは流石に魔法の類だろうけど――)
「えっ? その扉、どうなってるの?」
専門外の魔術に頭を悩まそうとした刹那、背後からジョゼの声が飛びかかった。階段を上り切ったジョゼも織葉と同様、目の前の扉の異変に気づき、目を奪われる。
「見て、この扉。凍り付いてる」
扉から真横に動き、扉を遮る自身を動かす織葉。ジョゼも扉へと近づくと、その言葉を吟味した。
「ほんとだわ。明らかにこれは魔法だろうけど、一体何があるのかしら」
氷塊となった扉をこんこんと叩くジョゼ。数センチ先に埋まる扉の奥、そこには何があるのかと想像を膨らませた。
「何か見て欲しくないもんでもあるんだろうけど……」
「でしょうね」
扉を凍らせたとなると、その先に隠したいものがある、もしくは入ってほしくない。と想像がつく。
「ねぇ、これ斬っちゃっていい?」
「え? 斬れるの?」
至極普通に問う織葉。それに対し目を丸くするジョゼ。織葉はどうしてそんな事を訊き返すのかと言わんばかりの面持ちでジョゼを見ながら、すらりと鞘から紅迅を引き抜いた。
「そっか。炎の刀だったわね」
紅迅の真っ赤な赤鞘を見ながら、ジョゼはそうだったそうだったと納得。そして扉から数歩引き下がると、織葉にどうぞと手を向けて示した。
「あいよ。じゃあ斬っちゃう」
織葉はこの暗い校舎でも分かるほどににっかりと笑うと、凍り付いた扉に向き合った。
(このくらいの氷なら、こんなもんか)
柄を両手で握り、掌に密着する柄紐を感じ取る。身体の一部の様に自在に扱えるそれを今一度認識しなおす織葉は、ゆっくりと掌から赤の魔力を流し込んだ。
熱されていく鉄の様に、次第に赤く光る紅迅の刀身。
誰もが見て分かる、炎を纏ったその武器は、力むことなく、流れるような仕草で織葉の腕が振るった。