Chapter7-4
「そんな、ここにきて、そんな……」
あまりにも無残に壊れた篭手を見て、織葉が絶句する。
明確に感じ取れてしまう、武器の死。その感覚は、かつての愛刀を燃やし切り折れた時に感じたものと、全く同じだった。
篭手に馴染みのない織葉ですら、この破損は極めて酷く、修復することは出来ないレベルだとすぐに分かってしまう。
ばりばりに割れた白い鱗。それはまるで、腕に白いガラスの破片が纏わりついているかのようだ。
そこから垂れる他の鱗も、ほんの少しの風が当たっただけで、葉が散り行く冬前の落葉樹のように、ぱらりぱらりとその身を落としていく。
(持たなかったか……)
利き手に残る篭手の残骸を見て、ジョゼは未来に発つ前のストラグでの自分の行動を悔いていた。
あの日、ストラグの武具店主、ビャコに言われるまでもなく、自分の篭手が痛んでいると知っていた。
持って今年一年くらいだろうと、予想はつけていた。
自分が打てる最善策が買い替えであるという事も、十分承知していた。
だがジョゼはその手を打たず、小さな希望にすがり続けた。
(その結果が、これじゃあね……)
迎えた結末は、武具の破損。しかも、未知と言っても差し支えない、世界の中で、だ。
ジョゼは今、自らの剣を失った。
「ともかく、それじゃ手裏剣を撃てないだろうし……一刻も早く、ここから離脱して誰かと合流しないと」
立ち上がり、周囲を睨む織葉。
こちらの戦力は今や、自分一人と言っていい。ジョゼは手負いな上、篭手をも損失した。戦力の頭数に入れるには無理がある。
ともかくはこの直線の場所から移動し、はぐれてしまった三人、もしくは校庭を爆撃した誰かと、その仲間と合流せねばならない。
(なら、あたしが取れる最善の方法は……)
数年経ち、幾分か冷静な判断を下せるようになった織葉。織葉は紅迅の柄から手を離すと、もう一度しゃがみ、ジョゼと視線を合わせた。
「ジョゼさん、ともかくここを抜け出したい。だから……」
そして織葉は、しゃがんだまま、ジョゼに背を向けた。それは、小さな背中だ。
「あたしがジョゼさんを背負って走る。だから、乗って?」
「そんな、それじゃあまた襲撃を受けた時に――」
「それは、そうなった時にまた考えよう。さぁ」
いつもに増して弱気になっているジョゼ。その口から紡がれる言葉を、織葉は似合わず遮ると、背中を軽く左右に振り、ジョゼを促した。
「……ほんと、助けてもらってばっかりね。織葉ちゃん、ありがとう」
そして、織葉に掛かる人一人分の体重。
身軽なジョゼはそれ程重い訳では無いが、決して軽くもない。自分より身長のあるジョゼを背負った織葉は、ジョゼのすらりとした足をしっかりと両手で抱え、大地に立った。
脚に掛かる、もう一人分の体重。そして、自由の効かない両腕。
完全に無防備と言っていい姿ではあるが、影を根本的に排除できない以上、抱えて逃げるのが一番の得策だろう。不用意に攻撃を繰り返し繁殖や出現を招いたりすれば、それこそ一巻の終わりだ。
どうこうと考えている余地はない。ともかく、影の動きが乱れている今が好機。織葉はいつもより重くなった足を前に踏み込むと、一気に速度を上げて校舎脇の道を疾走し始めた。
自分が壁に蹴り込んだ影の横を大きな歩幅で飛び抜けると、足首にいつもよりも荷重が掛かった。織葉はそれを膝を曲げて上手く逃がすと、乾いた地面を再び蹴り込む。
目の前に広がるは壁の崩れた真っ直ぐの校舎と、それに沿って伸びる、今自分が足をつけている道。所々が崩れた大きな壁のようにも見える三十一号棟の向こう端は、今の場所から二十メートル程に思える。
自身の背後がどうなっているのかは分からないが、校舎の屋根上からの気配はなく、前方に影が出現する気配もない。
(いけるっ! このまま一気に……!)
織葉は奥歯を噛みしめた。ぎりっと軋む歯と歯の音は、地を突く様に踏み込む足音にも似ている。
ジョゼを担ぐ重さにも慣れた織葉が更に歩速を速めた。その体躯からは想像できない脚力で女性一人を抱えて疾走する。
赤い長髪は自らの速度で後ろに引かれ、担がれるジョゼの顔横を撫でる。
風と一体になる織葉の健脚が更に強く地面を揺らし、砂地を蹴り込んだ。その時。
「うわっ!?」
「きゃっ!」
織葉は弾力のある何かに正面衝突し、その衝突直後の逆転反動に耐えきれず、重心のずれている背後に派手に倒れ込んだ。
ジョゼを掴んでいた両手も意図せず離れ、いきなりの衝撃と担がれている背中に反動を受けたジョゼも、織葉が地面に倒れるより早く背中から落ち、地面に転がった。
まるで網戸にぶつかって行く手を阻まれるように、疾走していた織葉は少何かにめり込み、直後弾かれた。
カウンターパンチにも似た衝撃といきなりの出来事に、二人はごろごろと転がる身体を止めることが出来ない。地面に額や肘、膝を何度も強打し、眼球はひっくり返って天地が定まらない。
地面に転がる小石が胸部に食い込み、肺に突き刺さるような衝撃といつもよりも何倍も重い呼吸が出来た時、ようやく二人は校舎の壁にぶつかってその動きを止めた。
「なんっ、だっ……?」
織葉は幾つも擦った手を煉瓦の壁に着いてふらふらと立ち上がる。
身体の節々が痛んで目も回り、とても周囲を見渡せる状態ではなかったが、織葉の身体は今自分に降りかかっているかもしれない危機に対し、その小躯を立ち上がらせた。
ぐわんぐわんと回転し、色彩の狂う世界。
目に入るは、横に在るのだろう校舎の壁の赤と、その上に広がっている空の青。その二色がパレット上に絞られた絵の具のように混ざりあっている。
(一体、何が――)
色の混ざり合うさまを逆再生で見ているかの如く、次第に見慣れた景色に戻り、正常に戻りつつある思考と脳。
織葉はまだ少し重い頭を振って眼球の位置を無理やり正しく戻すと、その赤い瞳を見開いた。
「なぁっ……!」
まだ少し揺れ動く、燃えるように赤い織葉の瞳。その二つが捉えたのは、やはりというか、予想通りだった。
その予想を当たらせまいと走り抜けていたが、それは叶わなかった。
ジョゼを抱え走り抜けた織葉が衝突したのは、地面から突如急成長したかのように出現した、盾を持った二体の影だった。
幸い織葉が衝突したのは盾ではなく、影本体だったようだが、ただひたすらに自らの脚力を持って走り抜けていた二人からすれば、その衝撃は盾でなくとも相当なものになっていた。
ようやくいつも通りに似た視界に戻る織葉。
織葉は自分たちを弾け飛ばした二体の影を視界から外さないように顔を動かすと、未だ壁横でうずくまっているジョゼに駆け寄ってしゃがむと、半身を持ち上げ、壁にもたれさせた。
「ジョゼさんっ!」
「げほっげほっ、大丈、夫。 ちょっと、むせてるだけ」
ジョゼは強く背中を打ちつけたのか、呼吸が定まっていない。
喉の奥から空気が漏れ、取り込みたい空気は入って行かず、残しておきたい酸素が漏れ出している。
「く、そっ!」
ジョゼは気丈に振舞おうとしているのが見て取れる。臓器の負傷などは無いように思えるが、状況は芳しくない。織葉は眉間にしわを寄せて舌を打った。
視界いっぱいを独占する、苦しい表情のジョゼと、視界の左端、僅かに映る盾持ちの影。
一歩一歩と足並み揃え近づく影の足が六本、織葉の視界に到達した。
(六、本――!?)
織葉は驚愕した。
そうであってくれと願った。
強く左に振りむいたことでジョゼの顔に赤い髪がぶつかったが、それさえも気がつかなかった。
「そんな、バカな――」
二人に迫る影が、増えていた。
さながら騎士団の行進のように足並み揃える影達は、もはや小隊規模と言っても、差し支えなかった。