Chapter7-2
小さな覗き穴を注視する、二つの真っ赤な瞳。校舎の中はすでにぼろぼろで屋根が落ちており、ここと同じ明るさがあった。
更に、反対側の校舎の壁は、殆どが倒れ、崩壊していた。
校舎の損壊はやはりショックを受けるが、これにより織葉はこの小さな穴から、ここの反対側、三十一号棟との間の道を探ることが出来た。
「どう、何か見える?」
ジョゼも足音を殺して近づき、近くの穴に利き目を寄せる。
「何の気配もない、ように思える。静かに出たら大丈夫そう」
視線を壁の向こうから一切逸らさず、織葉が小さく言う。ジョゼも覗き穴から上下左右をくまなく視察する。
「そうみたいね。それで、ここからどうするの?」
ジョゼは壁から眼を離すと、額をしっかりと壁に貼りつけたままの織葉に問う。この場所は織葉に地の利がある。ここでの行動は織葉に任せると言う判断だ。
「ここから少しあるけど、ともかく校庭まで戻ろう。この校舎の隣、三十一号棟はこの塔の三倍の長さがあったはずだから、そこはスムーズに越えたいかな」
互いに平行に並びあう三十一、三十二号棟だが、前者の三十一号棟は後者の三倍もの長さをもつ。その校舎を抜けきるまでは抜け道や曲がり角も無い、真っ直ぐな直線が続くのだ。
見通しの良く、逃げ道のない一直線。織葉は長い三十一号棟は素早く抜けきるのが賢明でないかと考えていた。
「そうね。いつも通りに走り抜けるのは難しいかもだけど、この通りさえ抜けられれば身を隠したりも出来そうね」
ジョゼは痛めた片足に少し神経を傾ける。まだ捻った個所には熱っぽさがあり、深く体重を乗せると筋肉の奥の骨が軋むように痛む。いつものような全力疾走は厳しい。
織葉も壁から目を離すと、その両眼をジョゼに向けた。
ジョゼは片手で篭手を掴んで嵌めなおすと、織葉に頷いて見せた。
「それじゃあ、行こう!」
小さいながらも意気の籠った声を織葉はジョゼにかけると、今まで二人を守ってくれていた校舎の壁から姿を現し、真横に伸びる三十一号棟に沿って駆け出した。
織葉のすぐ脇に並ぶジョゼ。その速さはいつものジョゼからすれば歩いているような速度だったが、本当にこれが限界だった。どうやら、単なる健や筋の痛みではない。健か筋肉の裂傷、もしくは骨に損害が出ている。
痛めていない片足を主に、テンポ悪く進むジョゼと、それに合わせながら辺りを注視する織葉。今ジョゼを守れるのは自分だけだと、妙な緊張感が襲いくる。
二人は三十一号棟の半分を超えた。先程までいた三十二号棟は、はるか後ろに廃墟となって見えている。
振り向いた首を目の前に向け直す織葉。校舎の隅角は見えているが、自分たちの進むこの道が終わるのはまだもう少し先だ。
降り注ぐ日の光に、広々と何処までも続く青空。天候はこんなにも最高なのに、その祝福は大地に届いていないようにも思えた。
どの建物も少なからず壊れた天凪魔法学園。整備された道には煉瓦材と窓ガラスが散乱し、そのすぐ脇に雑草が茂っている。
堅牢な学園はこの降り注ぐ祝福の中、たったそこだけが穢れているかのように、多くの建屋を壊し、自然に還りつつある。
(知りたいことが多すぎて、心がざわつくな……)
数年前まで毎日ここに通っていた織葉。朝早くから夜遅くまで勉学に励んだこの地は第二の故郷、第二の実家と言っても差支えない。
眠たい頭で講義を受けた。修練場で打ち込み稽古もした。
この学園は織葉の頑張りも、そうでないことも、全てを受け止めて見守ってくれた。
それは、卒業した今でもだ。学園は離れていても、必ず自分たちの成長を遠くから見届け、いつでも背中を押してくれる。頑張れないときは、「戻ってきて一息ついていきなさい」と、いつでもその門を開けて待ってくれている。
だが、織葉の目に入る、今の時代の学園は、そうは言ってくれない。
言葉を発し、織葉に寄り添ってくれることもない。
なぜなら、学園は死にかけているからだ。
学園の肌ともいえる大地はからからに乾き、骨ともいえる校舎は崩れている。織葉は魔力探知には疎いが、おそらく、学園の血液とも言える、全域を巡る魔力も、極端に衰え、減少しているのだろう。
(これ以上、奴らの好きにはさせない。ここは、あたしが守る――!)
長年通い詰めた大好きな校舎を仰ぎ見て、織葉が歯を食いしばる。その刹那。
「織葉ちゃん! 危ない!」
織葉は強烈な衝撃を背中に感じた。背後からいきなりぶつかってきた何かが織葉の背中に命中し、一瞬肺と心臓の動きを止める。
強烈な衝撃を感じ、それが痛みに変わって呼吸を取り戻そうとしたその瞬間、気づけば織葉は地面に顔面から倒れこみ、背部に乗りかかる重さに気が付いた。
ジョゼだ。ジョゼが背中に乗りかかり、強引に織葉の体を地面に這いつくばらせている。
ジョゼのその重みはすぐに消滅し、それが無くなったと感じた瞬間、反転する世界の中で、ジョゼが織葉の腕をつかみ、もう一度地面に起こさせた。
背中からの衝撃で心拍が上がり、呼吸も乱れているが、自らの足の痛みも顧みず自分に乗りかかったジョゼの行動を見て、織葉は今、自分たちの身の回りで起きていることを理解せずにはいられなかった。
「くそっ!」
急速で頭が回転し、痛んでいた胸の痛みが麻痺する。
織葉はすぐさま腰から紅迅を引き抜くと、それを両手で握って強く構え、鋭く怒り尖った赤い瞳を、眼前に向けた。
二人の眼前、三十一号棟横の道には気づけば三体の影が現れていた。眼前の影はそれぞれ近接武器、槍と斧を持ち、自分たちの行き先を阻むように切っ先をこちらに向け、威嚇している。
そして二人の背後。そこにも三人の影がいつの間にか現れていた。