Chapter7-1
廃屋を翳す嘘
「――どうして、こんなことになっちまったんだ……!」
学園の最奥の校舎、三十二号棟。
その校舎の前の通りである、三十一号棟との間の道は、影で覆いつくされていた。
辺り一面をぼやけた薄っぺらい存在が埋め尽くし、時折貫通した眼窩から向こうの景色が映る。
どこか傀儡にも似た動きと姿勢を取る影の軍勢。
隊列をなす影たちは多様な武器をそれぞれ手にしており、刀に手を掛ける赤髪の剣士と、体重を預けるように壁にもたれ掛かって腰を下ろしている盗賊に、逃げ場を徐々に奪うかのようにゆっくりと詰めて来ていた。
「ふぅっ!」
下唇を少し前に突き出し、体内の熱い空気を吐き出す織葉。口から生まれた空気は上に流れ、赤髪の前髪を揺らした。
そして、何処か負傷したのか、歯を噛み合わせて片目を閉じながら、脇腹を押さえているジョゼ。
そのジョゼの脇腹を押さえる右手。
そのしなやかなジョゼの利き腕には、見るも無残に壊れた愛篭手、テンペストがぶらぶらと揺れていた。
◇ ◇ ◇ ◇
「織葉ちゃん! 大丈夫!?」
ジョゼが意識を取り戻したとき、気づけば半壊したどこかの校舎裏手、雑多な資材が乱雑している場所に泥水でぐっしょりと濡れて倒れていた。
体を起こしたジョゼは胸を揺らして貪欲に空気を求めながら辺りを見回すと、すぐそばに自分と同じく気を失っている、頬を擦りつけるようにして気を失っている織葉を見つけた。
「織葉ちゃん! 織葉ちゃんっ!」
ジョゼは織葉を仰向けに戻すと、同じく泥水を吸って汚れた織葉の肩を持ち、揺さぶった。
「ぁ…… ジョゼ、さん?」
「よかった……大丈夫?」
揺り起された織葉は次第に目を開くと、ジョゼの名を確かめるように呼ぶ。織葉の目に入るジョゼの姿もまた、泥水で酷く汚れている。
「うん。大丈夫……。起こしてくれてありがとう」
礼を言う織葉も体を起こすと、ぐるりとまわりを見回し、状況を飲み込もうとした。
「私たち、確かいきなり濁流に飲み込まれて流されたのよね。なんだったのかしら、あれ」
ジョゼは記憶を辿り、自分の置かれている状況までの道筋を思い描いた。
影に首を掴まれて引っ張られ、更に突如現れた泥水の濁流に飲み込まれ、気付けば今に至っている。
二人とも全身ぐっしょりと泥水で汚れており、その濁流の最中で出来たのだろう小さな傷が、腕や足などそこかしこに刻まれており、服も少し破れていた。
「こんなとこまで流されたんだな……ともかくジョゼさん行こう。三人と合流しないと」
織葉はしなやかに立ち上がると、泥水をたっぷり吸ったスカートを両手で搾り上げた。
茶色い水が手を伝い落ち、濡れた地面にぼたぼたと落ちていく。
「そうね。よっ――」
いたたたっ!
「ジョゼさん!?」
織葉に続き立ち上がろうとしたジョゼが直後、脛を押さえてもう一度濡れた地面に尻もちを着き、織葉の靴に茶色い雫を跳ね着けた。
「大丈夫!?」
「いたた……足痛めてたの忘れてたわ。織葉ちゃん、肩貸してもらっていい?」
「う、うん!」
織葉はすぐさま身体を屈ませると、ジョゼの片腕を肩にのせてゆっくりと立ち上がった。
ジョゼは足を延ばすと痛むのか、織葉の支えを使ってもなお、少し顔を歪ませた。
「ありがとうね。脚をやるなんて最悪だわ」
盗賊の強みはその俊敏力を司る健脚にある。生命線ともいえる足を負傷したジョゼは下唇を噛みながら、織葉の肩から外れ、自立した。
「大丈夫、そう?」
赤髪の剣士が不安そうにジョゼの顔を覗き込む。織葉の元気な眉は下がり、どこか悲しげな犬のように見える。
「うん、ありがとう。大きく動かなければ大丈夫そうよ。……それよりちょっと服を絞っていかない?」
「そうだね。ここなら人目もないし、さくっとやっちゃうか」
足の調子をチェックしたジョゼは、びしょ濡れの服を絞ることを提した。
織葉もそれに賛同し、返事の直後、上着とスカート、靴をそそくさと脱ぎ、シャツと下着姿になって両腕で服を強く絞り込んだ。軽く絞っただけだったスカートからは、まだまだ茶色い泥水があふれ出る。
織葉は適当な木箱を見つくろうと、その上に絞った服を順次重ねていく。
ジョゼも少し周囲を見回した後、全ての上着とスカートを脱ぐと、結った髪を解いて織葉同様の下着姿になりながら、それぞれの服から水気を抜き始めた。脚はやはり痛むのか、ブーツは履いたままだ。
「織葉ちゃん、ここ、何処だか分かる?」
黒いショートスカートを絞りながらジョゼが問う。両腕を捻って衣類を絞ると、右手の篭手、テンペストがかたりと揺れた。
「ここは多分、三十二号棟の裏、だと思う」
「三十二号棟?」
耳に溜まった泥を小指で掻き出しながら、織葉はぐるりと周囲をもう一度見まわし、間違いないと首を縦に振って見せた。
自分たちのすぐ横の校舎、三十二号棟も他に見てきた校舎と同じように半壊しており、所々の煉瓦が歯抜けのように抜け落ちている。
「うん。三十二号てのはこの学園で一番大きな番号で、ここが学園の一番奥の校舎にあたるんだ。ここはその校舎の裏側。廃品資材置き場になってるとこ」
「なるほど。だから資材とか空き瓶がこんなに落ちてるわけね」
ジョゼは絞った上着を振って水分を切りながら、辺りに散乱する空き瓶や木箱に目をやった。どれも古い物ばかりだ。
ジョゼもその中から一つ、そこまで濡れていない木箱を見つくろった。
「ここまで流されたってことは、あの濁流、相当なものだよ。校庭からここまでは結構離れてるから」
織葉は靴下を絞るため素足になると、両靴下をまとめる様に掴んで水を切る。
「そうなの。にしても、一体誰の仕業だったのかしら。影も流したみたいだし、やっぱり魔術の類かしら」
「うーん、そんな気はするけど……。でないとあんな水量考えられないし」
絞り込んでくちゃくちゃになった靴下を伸ばし肩に掛けると、織葉はブーツをひっくり返した。
「ともかく、それをした奴が仲間であることを祈りたいけど……よし、こんなもんかな」
一通り泥水を絞りきった織葉は、木箱の上に避けていた服を手に取り、再び着用し始めた。絞った服は完全乾燥には程遠いが、先程までのびしょ濡れより遥かにましだ。
織葉はシャツを着て上着を着ると、藍染めのスカートを掴んで木箱に腰かけ、両足を上げてスカートを腰まで上げる。
「ほんと、情報が足りなさすぎる。ここにきて影と遭遇するなんてのも予想外だしね」
ジョゼも織葉同様、服を手に取ると下着姿から着替えていき、最後に髪をいつもと同じように結んだ。
ジョゼが髪を結い終わる頃には織葉もブーツをしっかりと履き終えており、二人の準備は整っていた。
「それじゃあ行きましょうか。ともかく三人と合流しましょ」
ジョゼは木箱からゆっくりと立ち上がると、織葉に出発を促した。
「だね。あのバカも足やったみたいだし、早めに見つけてあげるとするか」
織葉は腰の刀の位置を調整すると、ジョゼより先に足を進め、しばらく世話になった三十二号棟校舎の壁に近づくと、抜け落ちた煉瓦の隙間から、校舎の反対側を探った。