Chapter6-1
泥水のトウカ
一般的な概念の上で、時は止まることはないとされる。
時を示す機構や仕組みが止まることはあっても、もっと大きな存在である、悠久の流れ、“時”は、意を以って止めることができない。
それはまた、“時”自身も、止める方法を知らない。時は不死である。
それ故に生み出される、破壊の美しさに、命ある者は、抗うしかないのである。
「ここよ」
トウカ連れられ学園を歩いていた三人は、半壊した一つの校舎の前に辿り着いた。
その校舎の屋根は暴風雨に晒されたかのように抉れ、建材の煉瓦は所々が歯抜けの様に抜け落ちている。割れた窓ガラスには枯れた蔦植物が入り込み、外からの侵入は易々だと語っているようにも見えた。
観音開きの木製の重い扉は片方が吹き飛んでおり、もう片方は下の蝶番が外れているのか、やや斜めに傾いている。これも風雨にさらされ、劣化がひどい。
「ここは確か、図書館棟……」
眼鏡越しのタケの瞳から悲しみが溢れた。
辿り着いた煉瓦造りの校舎。ここは何万冊もの蔵書数を誇る、学園の図書館棟だった。
「詳しいのね。入って」
トウカはタケの横を通り過ぎると、かつて扉がつけられていた枠を潜り、半壊の図書館棟内に消えていく。三人はそれぞれ二人と見合うと、意を決して図書館等の敷居を跨いだ。
「壁と柱には触らないで。劣化が酷いから」
壁の屋根の隙間から降り注ぐかすかな光だけが差し込む棟内を、トウカが先陣を切り、後ろに三人が続いた。
図書館棟は埃っぽい。天井から差し込む一筋の光が、空中に漂う細かな埃をきらきらと光り照らしている。
棟は外見のみならず内部も荒れており、折れた柱や壁材の煉瓦が床に散乱している。木材を互い違いに組み込んだ木床も、剥がれたり腐りってずれていたりと、随分とひどい状態だ。
そして肝心の本棚と書物。本棚は酷く倒れ壊れているものが殆どだが、不思議なことに地面に書物は散らばっていなかった。
所々の瓦礫に、破れた頁のような紙切れが見受けられるが、肝心の本自体は何処にも散乱しておらず、まだ無事な本棚や、その本棚の前に綺麗に立てて積まれている。
「本は随分と丁寧なんだな」
ここの書物は何度か目を通したことのあるタケ。タケは荒れた室内と、異様なまでに整頓されている本との差異に、少し違和感を覚えた。
「私の上官が本は大切にしろなんて言うものだから。全部片付けたのよ」
私も本は嫌いじゃないしと、トウカは振り向くことなくタケに答える。顔を前に戻したタケの目に入ったのは、歩幅に合わせて揺れる黄髪だけだった。
廃墟同然の図書館棟を進む四人は、棟の中心にある大階段に足を掛けた。二階へとつながるこの階段も所々床が抜けており、隙間からは一階の本棚の上部が透けて見えている。
三人は足元に気をつけながら慎重に一歩一歩と上って行くが、トウカは通り慣れているのか、まだ足場のしっかりとした場所を歩速を落とすことなく上って行く。
大階段は中二階で一度壁にぶつかり、そこからT字型に分かれている。更にそこから左右二方向に階段が伸びて上階に上がれる形となっている。
先陣を切るトウカはその中二階の踊り場まで足を掛けると、上着の胸ポケットから古びた鍵を一つ取り出し、上階の階段に足を運ぶことなく、突きあたりの壁に向き合った。その壁には一つ木製の扉が設けられている。
トウカは取り出した鍵をその扉の鍵穴に差し込むと、開錠し、扉を開いた。ここの扉は軋んでいないのか、スムーズに開いて見せた。
「入って」
トウカは開いた扉を支えると、もう片方の手を扉奥へと振って見せた。久たち三人は少し入室に躊躇したが、トウカに従い扉をくぐった。
三人が扉を越えて少し進んだ時、トウカも部屋へと入り、後ろ手に扉を施錠した。
「ここは――」
入室した先、三人の目に入ったのは、図書館奥に設けられた小さな居住スペースだった。
部屋の中央にはテーブルと木箱の椅子が置かれており、机上には燭台と上部の蝋が溶けた蝋燭、木箱椅子には、ソファに置くような、しっかりとしたクッションが敷かれている。
部屋には一つ窓があり、古ぼけたアイボリーのカーテンの隙間から日光がぼんやりと部屋中に差し込んでいる。
また、そのすぐ横には棚が設置されており、その中にはいくつかの魔導書と乾燥薬草が置かれているのが見て取れる。
部屋奥に見えるベッドも簡素な物で、椅子と同じく材質は木箱だ。その上に古いマットレスと毛布、そして椅子を同じソファのクッションが枕代わりに置かれている。
枕元には小さな振り子時計と、オイルランタンが鎮座していた。
「ここは何だ?」
やけに静かな古い部屋を見て、ハチがトウカに訊ねた。
「私室よ。元は図書館の司書室だったけれど、今は私の部屋として使わせてもらっているの」
トウカはマントを外し壁に打たれた杭に掛けると、続けて腰から中杖と刀をおろし、自分の寝床の上に置いた。
「敵意は無い」と遠回しに表現しているのだろうか。
久は左右のタケとハチを見たが、二人は「分からない」とアイコンタクトを送った。
「どうしたの? 適当に掛けて」
マントを外し非常にラフな姿になったトウカが一つの椅子を引いて腰かけて見せる。
「……」
三人も言われるがままに木箱椅子を机の下から引くと、場に不釣り合いなクッションの上に腰掛けた。
「あなたは一体、何者ですか? 影の元を絶つことを任務にしていると言っていたが……」
座るなり開口一番、久が真髄を突く。それに対しトウカは淀みなく答えた。
「そうよ。私はひとかげを敵として捉え、その大元を絶つことを第一目標に動いている軍隊の小隊長。敵味方問わず、泥水のトウカと呼ばれているわ」
そういうとトウカは、胸ポケットから階級章を取り出して三人に見せた。
手に収まる小さな黒い階級章。
横長の黒いそれ上下に一本ずつ金線が引かれており、中央には同じく金色で、逆十字のレリーフが刻まれている。
トウカの正体は、この時代に現れている影――ひとかげの殲滅を第一目標に動く、軍の小隊長だった。
「それで貴方たちは、確か過去からここに飛んできたと言ったわね? それは本当のことなの?」
今度はトウカか久たちに問う。
その表情は真剣そのもので、三人を同時に睨みつける群青の瞳は、タケのそれに匹敵するほど厳しい。
「間違いありません。私たちは桃姫先生の力を使い、ここに転移されました」
トウカに対しタケが答える。するとトウカは視線をタケにだけ向けると、じっとその姿を睨んだ。
「貴方のその武器、見せてもらえないかしら」
するろトウカは部屋の壁に立てかけ置いてあるタケの愛弩、アスロット・シャミルを指差した。