Chapter1-2
「遅せえよ!」
ライグラスでの討伐から開けて一日。二人が昼前に支部に戻った瞬間、ハチの後頭部に怒号と平手打ちが飛んできた。タケはやれやれと息を鼻から抜くと、愛弩を壁に掛けた。
「うっせえな! お前が行きゃもっと掛かるだろが!」
突然のことに動じず、ハチも負けない。頭をさすりながらすぐさま振り向いて怒鳴り返す。ハチの目線のちょっと下では、そこでは赤髪の頭頂がイライラしていた。
紅い長髪に朱い瞳。白色の半袖シャツと藍染のスカート。実戦向きの服装に身を包み、仁王立ちで苛立っているのは、ギルドの切り込み隊長、魔法剣士の緋桜織葉だ。実のところ、織葉も時同じくしてライグラスでの別依頼を受けていた。
「『お前には任せらんねー』とか、『俺ならお前の依頼を三倍こなせる』とか啖呵切ってた癖に」
似ない声真似をして煽る織葉。互いに出会って数年になるが、二人の関係は何も変わっていない。だが、心からいがみ合っている訳でなく、互いをおちょくり合うような間柄だ。時に喧嘩になることもあるが、実力は認め合い行動を共にすることもある、よきライバルといったところだ。
「二人とも飽きないわよねぇ」
手洗いうがいを済ませたタケの隣にいつしか立っている、一人の女性。モノトーン基調の服装で、胸元を少し開いて見せている。手入れされた長い茶髪をポニーテールとして後頭部で結っており、右腕には白い篭手が装備されたままだ。
「ジョゼ、あいつらの成長はいつ来ると思う?」
「同じことを聞こうとしてたわ」
タケとそろって少し渋い顔をする、ギルドのもう一人の手裏剣使い。ジョゼット・S・アルウェン。手裏剣の腕はハチと肩を並べる程で、セシリスからほど近い町、ストラグシティでハチと二人、双璧をなしたコンビの一人である。
「ねえタケ、この依頼、受けてもいいかしら? 私が行くわ」
ぴらりと、一枚の紙をタケに見せるジョゼ。それには海辺の街、セピスタウンで海獣の捕獲をしてほしいとの依頼が書かれていた。
「海魚種か。この予定なら――大丈夫だ。構わないぞ」
「ありがとう! 久も連れて行っていい?」
目を通したタケに礼を言うと、ジョゼは今ここにいない、我らがギルドリーダーも同行させていいかと提案した。
「そうだな。あいつ最近、現場に出れてないし。気分転換に連れてってやってくれ」
その日の事務仕事は任せろと、タケは強く頷いた。
「やった! 依頼受けるってまた連絡しておくわ」
ジョゼは喜びの表情を見せ、両肘を胸前でぐっと曲げた。
ギルドセシリスのリーダー、黒慧久。槍使いとして確かな実力を持ち、人柄もいい久はこの界隈で昔から人気者だ。その久がギルドリーダーとなったとなるや、ギルド本部や近隣支部の仕事が増え、現地に赴く仕事があまり回せていない。ギルド建立から早二年になるが、事務関連の仕事は多く、今現在もその類で他所に赴いている。大切な仕事ではあるが、久は現場から離れていることを、少しぼやいていた。
「久も、そろそろ戻る頃よね?」
「ああ、もうじきだと思うが――」
「うーい、戻ったぜー」
噂をすれば何とやら。タケが懐中時計を取り出した刹那、支部の玄関が開いた。この声は間違いない。我らがリーダー、久だ。
「よう、戻ったぜ」
玄関から一直線に皆がいる部屋に向かってきた久は、片手に持っていた紙袋を軽く上げて見せ、そのまま机に置き、その他自分の荷物や槍なども、いつもの場所に戻していく。
「おう久、お疲れ」
「久くん! おかえり!」
いつの間にか言い合いから世間話に代わっていたハチと織葉が久を労う。久も二人にライグラスでの依頼を労うと、端的に状況だけ訊ねていた。
「久、おかえり。仕事の話はあとにして、先にお昼にしましょうよ」
久に近づくジョゼ。彼の疲れを推し量り、先に休憩を提案した。タケもそれに少し後ろで頷いている。
「おう。そうするか。その紙袋、パンが入ってるんだ。みんなで食おうぜ」
提案に笑顔で賛成する久。どんなに疲れていても笑顔を絶やさない。久の人気の一つだ。久は先ほど机に置いた紙袋を指さし、会議帰りに村の人に貰ったものだと教えてくれた。
「了解だ。休憩札を立ててくる」
タケは踵を返し、受付窓口に札を立てに戻った。他の四人も自ずと動き始め、昼休憩の動きを取る。スムーズに休憩の支度は整い、タケが戻る頃には簡単な軽食が、和気藹々と出来上がりつつあった。
ふと、タケが室内を見回す。ギルド支部になったが、ここはタケの実家だ。寂しさを感じたことはないが、一人で生活していた数年前を思うと、生活は一変した。
忙しくも、充実した日々。あっという間に一日が終わり、一週間が終わり、季節も変わろうとする。大きな異変も事件もない。
外では四季折々の風が今日も優しく流れ、人々は麗らかな日差しの中、今日ものんびりと欠伸をすることが出来る――
そんな今を、そんないつも通りを、守ってくれた人がこの世にいた。
彼女は若く、世界を背負えるような体格でもない。ただの一学生だった。だが、彼女は友を思い、大陸を思い、自らの力を使ってくれた。恐れも、焦りもあっただろうに――
そんな彼女に誰も、たった一言の感謝が出来ていない。
「ありがとうと、伝えられたらな……」
タケの口から小さく漏れた一言は、誰の耳にも届かなかった。小さなその願いは、楽し気な四人の空気に溶け消える。
「タケ! パンが焼けたぜ。飯にしよう」
「ああ。食べよう」
親友に呼ばれ、着座するタケ。明るく楽しい時間が、今日も始まった。
(ゆい、お前が守ってくれた世界、見えてるか?)
タケは一口珈琲をすすり、ほっと一息をついた。