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クランクイン! Ⅱ  作者: 雉
いつかのユーミリアス
28/72

Chapter5-7

「今だっ!」


 ハチは負傷していない右足、久は両足と片手に構えたレジエラを軸に、一気に後方に飛び退いた。


 固い地面は三人の体重をしっかりと支え、滑らせまいと二人の靴底を噛む。

 銃の反動にように飛び跳ねた三人は、大きな手裏剣に気を取られたままの、影の軍勢の動きより早く、狙い通りの位置に飛び避けた。


「行ける! 振り向くな! 走れ!!」


 ハチは左足に響き、タケは全身に揺れを感じた。だが、しっかりと着地した三人は、各々の痛みを何とかこらえ、地面を蹴った。


 この僅かな隙、影が目を離した数秒間。こっちは負傷しているとはいえそれでも距離を取れるはずだ。


 満身創痍の二人をフォローするように最後尾で背後を守りながら槍を振るう久。もうこちらの動きに気づいた影たちは遠距離攻撃を取り、矢や手裏剣、弾丸を次々に撃ち出してくる。

 だが、全てを丁寧に赤い刀身で打ち払う動作は、久からすれば容易いことだった。


「いける! このまま!」


 久は自身の横を通り抜ける矢を躱し避けると、少し離れた二人に追いつく。


 校庭を出るまでの距離は狭まり、影との距離は離れていく。

 眼前に迫る校庭からの脱出口、緩やかなスロープ。そのスロープの歩きこまれた地面の模様までが見えそうになった、その時だった。


「なっ!?」


 三人は目を疑った。ざらりとした感触さえも見えていた薄灰色のスロープの色が、一瞬にして濃いねずみ色へと変貌していくではないか。


 その原因は、すぐに分かった。 

 それは絶望でしかなかった。


「み、水!?」


 そんな可愛い表現で表すことの出来る規模のものではなかった。

 だが、叫んだ久はその言葉以外での表現方法が思いつかなかった。


 小さなスロープからなんと、濁流が迫ってきているのだ。

 あの幅の小さな道では耐えられないような水流、それも泥水がどこからか湧き出ており、台風まっただ中の河川さながらの濁流を校庭へと流し込んできているではないか。


「な、なんだよ! 次はなんだよ!」


 思わずしゃがんで左すねを擦ったハチが、自分たちを飲み込もうとせんばかりの濁流に対して叫んだ。

 しかしそれは水の流れが生んだものとは思えない音にかき消され、微かに二人の耳に届くばかり。


(この、景色は……!)


 殴られ潰れたタケの片目は、自分たちに襲いくるこの水流と音、そして荒れ狂う水しぶきを脳裏にフラッシュバックさせた。


(リリオットの、断崖――!)


 思い出すよりほんの少し早く、茶色く濁った濁流が、掻っ攫い突き飛ばすかのように、立ち尽くす三人にぶつかった。




 耳を潰す轟音と、目を刺す数多の水滴。

 両足に掛かる重みは水のみとは思えないほどの衝撃で――


「あ、あれ……?」


 揉みくちゃになった筈の体に違和感を覚えながら、久は目を見開いた。

 そもそも、目を開けるということさえおかしいと気づけなかった久の目が、ゆっくりと開いていく。


「こ、これは――」


 見ると久たち三人は、濁流のど真ん中に立っていた。


 水は確かにすぐ横を轟音と共に流れ、頬に水しぶきを散らしてくる。

 しかしその本流は立ち尽くす三人を、まるで川中の巨岩を避けるかのように、そこで流れの動きを変えているのだ。


 振り向き見ると、三人を避けた水流はすぐ後ろで合流しており、またしても大きな大きな一つの流れになっている。

 その流れは校庭の果てまで続き、あれだけいたはずの影をも流しつくしていた。


「魔法、か?」


 腫れた頬を擦りながら、タケが腔内にたまった血を吐いた。

 吐き出された一滴の血液は、すぐ脇で貪欲なまでに蠢くきつい水流に飲み込まれた。


「その通りよ。水の魔法に馴染みはないのかしら?」


 同じく濁流に飲み込まれていたかと思われていたタケの質問は、全く聞き覚えのない声がそれに答えた。


「っ!? 誰だ!」


 三人の耳に同時に響く、女性の声。


 久たちは背後を向けていた首を捻じられたバネにも似た動作で戻すと、いつの間にか自分たちの目の前に立っていた、一人の女性に神経を向けた。


「その質問には、ちょっと答えられないわね」


 眼前の女性も三人と同じく、このきつい水流の只中に、中杖(ウォンド)を持ち、茶色いマントを羽織って立ち尽くしていた。


 久が見た、あの人影と同じ色だ。

 砂色のマントを着込むその女性は、インクで染めたかのような黄色い髪をしている。長さは背中の中ほどまで垂れるほどで、今は後ろから流れくる水流の風によるものか、その毛先を肩を越して前に吹き流している。


 歳は自分たちより上なのは間違いないが、その差は十年もない様に見える。

 両眸は群青色で、冷たくも奥ゆかしい厳しい視線が、三人の六つの目を隙なく捉えている。


 服装は肩から羽織るぼろぼろの茶色いマントに、丈夫な革で作られているジャケットとジーンズ生地のようなスカート。

 スカートとブーツの間から覗く右太ももには包帯が巻かれている。


 そして手に持つは、水色の光を放つクリスタルを備えた、取り回しの良い中杖。

 マントの影で隠れてよく見えないが、綺麗に研磨された杖材が見て取れる。魔導師、だろうか。


 そして、腰ベルトから下がる、一本の刀。

 黒い柄紐を巻いただけの飾り気のない実戦向きの刀の柄尻が、三人に生唾を飲ませた。


「助けて、くれたのか?」


 自分たちの置かれている状況を見て、今度はハチが口を開く。

 すると魔導師の女性はどこか不機嫌そうに鼻から息を抜くと、手にしていた中杖を、刀横のホルダーに直した。


「そんなことより――っ!」


 久は水流の中で体をひねると、まるで渓流のようになってしまっている校庭を見て、声を張ろうとした。


「落ち着きなさいよ、槍使いのぼく」


 ざあざあと四人を包む水流の轟音。

 その中で黄髪の女性はゆっくりと口を開いた。


「なっ!?」

「あれに捕まってた二人の女の子でしょ? どうせ下の方で私の部下が拾ってくれてるわよ」


 女性はどこか呆れ気味に久に答える。


「本当か!?」

「部下たちが流れてきた二人を見逃してなければ、ね」


 思わず安心し声を張った久に対し、魔導師はさらに冷たく答えて見せた。


「ともかく、あなたは私たちを助けてくださったのですか?」


 どこか鋭利な発言を続ける魔導師に対し、タケが優しく問いかける。


「どうかしら。その答えは貴方たちの正体で変わってくるわ。貴方たちが私にとって“望まざる”存在だったとしたら、このまま濁流に飲まれてもらうことになる」

「望まざるって、なんださっきから偉そうに。おい女、俺たちはついさっき、ここに来たばかりなんだぞ」


 どこか見下ろしたような態度が気に食わないようで、珍しくハチが女性に噛み付いた。


「ここに来たばかり? このセピスに先程来たばかりだというの?」


 ハチの睨みにはびくともせず、魔導師の女性がやはりハチを睨みつける。

 女性は少しだけ顎を上げるように首を振ると、学園の今の惨状を示唆した。


「こいつの言うことに間違いはありません。信じられないかもしれませんが、私たちはついさっき、ここに来たばかりです。あなたの言う“望まざる”存在ではないと思いますが」


 今にも食ってかかりそうなハチに変わるかのように、タケが穏やかな口調を持って説明をした。

 すると女性の瞳はハチからタケへと移り、同じく厳しい視線を向けた。


「ふぅん。じゃあ、この最中にどうやって先程訪れたのか、説明してもらえるかしら? 弩使いスナイパーさん?」


 女性の態度はタケに対しても変わらなかった。

 しかしそれでもタケは心に波風立てず、ゆっくりと呼吸をした。


「分かりました。ですがそれに答える前に、一つこちらから問わせてもらいたいことがあります」


 タケはその発言の最中に、久と目を少しだけ合わせた。


「今はこっちが訊いてるのよ?」


 ざざっと、四人を包む水流が荒れた。まるで彼女の心の波長を現しているかのようだ。


「はい。無礼なこととは承知の上です。ですが一つだけ、お答えして頂きたい」


 太ももに少し強く当たる水流にも動じず、タケも眼鏡越しの鋭利な瞳を向ける。

 互いの鋭い視線は中でぶつかり合い、お互いの真意を見抜かんとせんばかりだ。


「……いいわ。一つだけよ」


 折れたのは黄髪の魔導師だった。


「ありがとうございます。それでは一つ、訊かせてください」


 タケは頭を下げて見せると、彼女に一つの質問を投げかけた。


「あなたは先程まで現れていた、影のようなものの仲間ですか、敵ですか」


 ひどく大きな音を出している筈なのに、水流の音は耳に届かなかった。


「それを聞いてどうするのかしら?」


 水の流れが、またしても少し揺らぐ。


「その答えによっては、私たちはあなたの問いに答えることが出来ませんので」


 大きくはないタケの声が、水音の中を突き抜けて飛ぶ。


「貴方たち、わかってる? 三人とも、私の魔術の中にいるのよ?」

「えぇ。それでも、です」


 二つの強固な意志がぶつかり合う。


 タケたちも相手が分からなければ到底自分たちが過去から来たとは明かせない。

 ましてやこの時代であの影とまたしても邂逅しているのだ。ここばかりは聞き出さずには答えられない。


「……違うわ。私は奴らの味方じゃない」


 水を扱う魔導師が、静かに首を横に振って見せ、そして口を開いた。


「私はあの影、“ひとかげ”の元を絶つことを最優先任務として動いている者よ。あいつらの敵ってことになるかしらね」

「ひとかげ――」


 久しく聞いたその単語に、三人の背中の毛が逆立った。


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