Chapter5-4
「どうして奴がここに!?」
織葉はすぐさまハチの横に踏み込んで並ぶと、赤鞘から刀を抜いた。
音もなくすらりと抜けた紅迅は、太陽の光と乾いた地面の照り返しを受け、真っ白に光り煌めいて見せる。
五人の注視する先数十メートル。そこに立つ黒い人物は、間違いなくあの影だった。
影は五人が自分を正しく認知できるのを待っていたかのように、ハチの大声と構えた織葉を見て、背中で隠していた大ぶりのナイフを見せた。
久々に向けられる、明確な殺意。
数年前、自分たちの次元に現れた影から幾度も向けられたそれは、数年経っても五人の背中を凍り付かせた。
「大丈夫、敵は一人だ。周囲に他の反応もない」
軽量槍レジエラを構えた久は周囲を一瞬のうちに見回し状況を整理する。
影は物量が脅威だ。
だが、今現れているのは一人。周囲に他の反応もない。
「タケ、ここから狙い撃てる?」
テンペストを装備した手で手裏剣を掴みながら、ジョゼが敵との距離を算出する。今の距離は手裏剣で仕留めるには少し遠い。
「任せろ。ノーモーションでいくぞ。全員、射線から自然に避けてくれ」
するとタケはほんの少し下がり、背負ったままの弩に全ての神経を向けた。
背中に担ったままの愛弩。それが今どのような向きにあって、引き金がどこにあるのか。また、矢筒内の矢はどこに飛び出ているか。
真っ黒な脳裏に浮かび上がる自分の後ろ姿と武器。
見えていない背中の弩の姿が、明確に頭の中で仕上がっていき――
スパン!
肩紐を軸に、目に追えない速度で腕の内側に弩を回したタケは、その動きの最中、矢筒から一本矢を抜き出し、どこにもひっかけることなく、銃身に装填した。
刹那、右手の人差指に感じた僅かな感覚。
気付けば振り起こした弩は地面と水平に並び、タケの利き腕に収まった。
取り回しの悪い大きな弩からは想像できないほどの早撃ち。
そこから放たれた音速をも超えそうな矢は、空気抵抗や風をもろともせずまっすぐ飛び抜け、ナイフを手にしたままの影の眉間に突き刺さった。
消滅は二年前と一緒だった。
矢を受けた影は、その場で真っ二つに裂けたかと思うと、線香が残す細い煙のように、その身を溶かして空に消えた。
「ふう」
両手に構えた弩を下ろすと、タケはようやく瞬きをした。
「久、あいつがなんで現れたかは不明だが、出現する可能性がある以上、尚の事ここに留まるのは危険だ。急ぎ学園を後にしてセピスに出よう」
たった一人現れた“影”。その出現理由は不明だが、足場や地形が悪くなった学園内でこれ以上遭遇するのは危険だ。
タケはここから急ぎ出るよう、久に進言する。
「あぁ、全員急ごう。もと来た道を全力で戻って――」
「久くん! 危ない!」
またしても、久の発言は遮られた。
そして、久の脇腹を襲う鈍痛。
突如世界が回転した久は乾いた地面にごろごろと大きく転がると、定まらない焦点を自分の脇腹に向けた。
「お、おりは――」
「ひさくんっ! 立って!!」
すると世界が更に逆転した。
上半身に感じる強い重力。
心が体に追いつかないようなその動きは、織葉が倒れた久の腕を引いて起こしたことによるものだった。
脳が揺れ、世界には残像がいくつも走る。確かな感覚は自分の手首を織葉が掴んでいるということだけ。
強引に地面に足をつけさせられ、急に制動する久の身体。久は酷く揺れる世界になんとか焦点を定めた。
「なっ!?」
揺れる頭、定まらない視界。
その最悪な状況下で久が捉えたもの。それは、自分たちを囲む数体の影だった。
「こいつら、いつのまに!?」
まだ酔ったような気分の悪さがあったが、久はすぐさま槍を抜き、織葉と背中を合わせた。
「さっきいきなり、久くんのすぐ横に地面から現れた」
織葉は少し距離を取った二人の影を指差すと、久に手早く説明する。
見るとその二つの影は、両手斧を持っていた。
「織葉、助かったぜ。貸しができちまったな」
久はレジエラの切っ先を最寄りの影へと向けた。
ぐるりと首を回すと、五人は十体弱の影に囲まれていた。
影はこちらに踏み込むこともなく、全員から数メートル離れた場所で、輪になるように並び、五人を包囲している。
「コイツら、こんな動きしやがったか?」
指先に手裏剣をひっかけながら、ハチが一瞥した。
「こんなに賢くはなかった気はするが……」
影の動きはもっと本能的だったような気がする。
多少の待ち伏せや共闘は記憶にあるが、戦闘を第一行動とされているかのような影たちが五人を包囲するだけで何もしてこないというのは、記憶にない。
「ちっ、久々に現れたと思ったら、やっぱ面倒だな!」
ハチが流れる捌きで手裏剣を二枚放つ。
手から離れた手裏剣は、緩やかなカーブを描いて飛び、包囲する影の二人に直撃する。
急回転し飛び抜けるハチの手裏剣は、前方二体の影の腕を切り取り、上半身から二本の腕をもぎ取った。
裁縫を解かれたかのように、切断面が解け、消える腕はぼとりと地面に落ちる。だが――
「ちょ、ちょっと待って!」
手裏剣を握るジョゼが、恐怖の混じった驚きの声を上げた。
「ハチ、あんたの落とした腕から、影が出てきてる!」
「……おい、ウソだろ……!」
地面に落ち、消滅を待つだけの筈だった影の腕。しかし、それは消えることなく、なんとそこから身体が生えてきているのだ。
切られた腕はまるで種子の様で、そこから新芽が伸びるが如く、肩が、胸が、腹部がじわじわと再生され、ものの数秒で足先まで再生させる。
「ちょっと、これって――」
紅迅を構えた織葉が後ずさった。すぐ後ろでぶつかる、久の背中。
久も同じくして、半歩引きさがってしまっていた。
ハチの切り落とした腕は四本――
「これは、まずい!」
影の数は、更に四体が増えてしまっていた。
「こいつら、一体何だ!? あの影じゃないのか!?」
「分からない、分からないが……」
「「全員、奴らを切り落とすな!」」
ハチとタケが叫んだのと、囲む影が五人に襲いかかってきたのは同じタイミングだった。